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第64葉, 勇気とか 慈悲とか

こんにちは、yasu59 です。

引っ越しをして、周りに喫茶店やカフェが少なくなりました。そうして 喫茶店が好きというよりも、何も考えなくて / 感じなくても 自分が落ち着いて居られる場所を求めていたのだなぁ… と気付かされました。

生活に追われ、読んだり 書いたりする時間が減っていたなぁ と。ぼうっと 遠くを眺めたり、何とはなしに考える という時間が採れていなかった。

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私が表現したいことは 何だろうか?
そう言われると、すごく難しい… けれど。

BLとして、綺麗な話に仕立て上げるな。
商業主義の流れを汲んだBLとは、全然違う と思う。
みんな、きっと ある程度は汚い部分がある。
(でも その汚いように思われる部分を含めてこそ、ヒトだ。)

仮に、そんな嘘みたいに綺麗な存在があったとして
それで全てをみた気になるな。
それはあくまで n=1 に過ぎない。

聞こえてきた声が 全てだと思うな。
それは裏を返せば、耳につきやすい理由があったのかもしれない。マイノリティの中でも、比較的 母数が大きい / 声を発しやすい状況にある人たちかもしれない。

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久しく noteを書けずにいましたが、その間にも 色々ありました。
まず 念願だった 折坂悠太さんのライブを観に行けました。良かった。ライブで初めて聴いた曲、調べてみたら 「正気」という曲だった。折坂さんの(歌)詞集 『あなたは私と話したことがあるだろうか』に歌詞も載っていた。

その本の中には、 幾編かのエッセイもあった。あぁ、こういう文章を書くんだな と思う。後半の方のエッセイでは、 氏に 御子息 or 御息女がいるのを知った。すごいな と思う、 どんな感性の子に育つのだろうか? どんな姿を、 その子には みせているのだろうか?

おかしな話かもしれないが、自分の中での折坂さんの見え方が 変わったような気がした。(おかしい? 当たり前? … ここはあえて、不思議としておきたい)

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最近は 文字起こしをしたいと思っても、なかなか 形になりません。いやはや、困りました…。

まず何よりも "生活" が基礎にあるという事を、今回の引っ越しを経て 痛感しております。寝る / 休む、ご飯を食べる、お皿や衣類を洗う、周囲を整える、、、そうして 動き、考え、読む。時には 勇気を出す。
(自分は 全然できた人間ではないから、慈悲ではなく 勇気を。)

書けなくても、読むことは続けられる… 筈だと思いたい。
今は、松村圭一郎 著『小さき者たちの』を読んでいます。いい本です。安直な感想かも知れませんが、勇気を出させてくれる。と同時に、自分の無知を思い知らされます。

ー筆おきー

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