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第66葉, 藤とか 桜とか

どうも、yasu59 です。日帰りで遠出をした4月の下旬、帰りしな 住宅街でふと 藤の花を見かけました。

あぁ、ここにも咲いているんだな。というか、もう 藤の花が咲く時期になったのかと瞬時に思う。あの健気で、控えめで、それでいて妖艶な 藤の花を不意に見かけると、なんとも言えない 郷愁じみた感慨が押し寄せてくる。それも、ひっそりとした路地裏や閑静な住宅街だと… それは ひとしおだ。

いつも、「言の葉の庭」の少しだけ湿った、けれども 雨上がりのような晴れやかさのあるイメージに思考の全てを持って行かれる。

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では、桜には どんなイメージがあるだろうか?

地元が田舎だったせいか、桜に関して 自分はあまり楽しい / 明るいイメージがない。むしろ ここ最近、桜についてまわって拭えないのは 儚さというより、もっとダイレクトな死のイメージだ。だから という訳でもないが、日中にみる桜は 自分にはあまり魅力的に映らない。むしろ 散った / 散っている桜の方が惹きつけられる気がする。

書いていて思い出したが、「秒速5センチメートル」もあった。すごく幼い時に観たからストーリーは覚えていないが、いいものだった事は 明確に覚えている。

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最近、近しい人から「yasu59は、セクシャリティの事に関して 怒っているよね。最近、すごくそれを会話の節々から感じるよ。」と言われた。自分は、そう言われた事が すごく嬉しかった。その訳を説明してみたものの、その人には あまり… というより全然 伝わってはいなかった。

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怒り と 後ろめたさ 。
それに尽きる。自分がこうして、(ある種 備忘録的にだが) 何かしらを書き続け、LGBTQ+に関連した本を読んだり、意図を持って関わっていこうとする… 原動力。 ← もっと 適した言い回しができそうなのに、、、

「怒っているってコトは 自分のやりたい事 / なりたい姿 があるのに、それが叶わなくて 辛かったり苦しいって事でしょ? 」と言われる。あれ、そうなんだっけ… そうなのかな、、、自分。

急に解らなくなる。現状に不満感があるのか、自分はどうなりたいのか、もし 自分のなりたい姿が明確になって それに着実に近づいている / 近づいた実感があったとして… その時にも自分は 今と同等の熱量で行動していけるのか。

でも ただ一つ、確かなのは 自分の想像する「怒り」のイメージは… 沸騰するような怒りではなく、湧水のように 静謐に、そして こんこんと湧き上がる怒りであるという事。


後ろめたさ については、また 追々。

ー筆おきー

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