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第53葉, 下山とか メイプルシロップとか

どうも、yasu59 です。
いつも パソコンでnoteのページをみているのですが、スマホで観てみると…めちゃくちゃ読みにくいですね。自分の書き方が、、、善処します。

先日 長田弘さんの「記憶のつくり方」を古本屋で見つけて購入しました。最後のほうに マルクス・アウレリウスの「自省録」から引用してある箇所があったのですが、それがすごく響いたから。でも、帰ったら 家に全く同じ装丁のものがありました。今の自分に響いた記念に… と思いながらも、そっと 1冊は実家へ持って帰り、置いてきました笑

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思えば… ” 頑張れ、自分 ” が口癖のようになっていた。

前述の詩「みずからはげます人」は 、" 「そう考えない自由が私にあるのだ」" という引用から始まる。そして、詩の最後に引用されていた アウレリウスの言葉は

ここで生きているとすれば、もうよく慣れていることだ。またよそへゆくとすれば、それはきみののぞむままだ。また死ぬとすれば、きみの使命を終えたわけだ。そのほかには何もない。だから、勇気をだせ

マルクス・アウレリウス, 「自省録」

だった。似てるようで、少し 違う気がする。” えいやっ ” の一歩だけを踏み出す、そんな勇気。その一歩が踏み出せれば、ドミノ倒しみたいに 殆ど自動的に進んでゆく、そんな山場をちょっと乗り越えられるだけの勇気。

次は、「食卓一期一会」(ハルキ文庫) より引用。というか、これもまた 孫引きだ…

ざっとそれぐらい一緒に煮つめてはじめて、
ほんとうのメイプルシロップの森の味になる。
いまじゃきれいさっぱりわすれられちまったが、
昨日みてぇに、ついほんのちょっと昔のはなしさ。
メイプルシロップがメイプルシロップだったころの、
すばらしいまともさが、まだ日の糧だった頃の。

ガルブレイス, 「スコッチ気質」

同じく、「食卓一期一会」(ハルキ文庫) より以下
※これは 孫引きではありません。

おいしいもの、すぐれたものとは何だろう。
思想とはわれらの平凡さをすぐれて活用すること。
きみはきみのイワシを、きみの
思想をきちんと食べて暮らしているか?

長田弘, 「食卓一期一会」, イワシについて より

ゆっくりとした いい時間をゆっくり過ごす。とても単純なことだが、そのとても単純な事が 単純にはできない。

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とても酸っぱい真実 が、この世には多分にある。毎度のことで 別に驚くような話でもないのかもしれないが。

言葉で、心が乾いてゆく。
それは、どんな言葉だろうか?
湿気を帯びた / 鈍器のような / 心のうちを狙いすました / 逃げようのない鎖のような…

そんな言葉たちは、循環しないし 循環させてはいけない。どうにかこうにか、濾過して昇華させていかないと。そういった言葉たちが降り積もった世界のまま、次世代に渡すわけにはいかない。

どうか、一人でも多くのひと(特に若者)が メイプルシロップがメイプルシロップだった頃の "すばらしいまともさ" を享受できますように。それを享受できない環境にある時には、飴玉サイズのほんの少しの勇気を手に 下山だ。

自恃だけど、自恃だけじゃない

ー筆おきー

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