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箸休め, 「軽い手荷物の散歩」

考えることは 哲学であり、創作であると思う。
 
振り返ってみると… 私が考えるようになった最初のきっかけは、はてなブログで偶然 見かけた、とある文章だった。当時は、本当に悩んでいた。今でこそ、悩みがない!という訳ではないけれど 、行き詰まっていた。その人の書いた言葉で冗談抜きに、救われた。
 
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どうやら この社会は、マイノリティにはすこぶる生きづらいらしい。マジョリティのマジョリティによる、マジョリティのための社会なのだ。マイノリティが、「普通」に生きたいと思い、その祈りにも似た思いに端を発する行動を、人は(恐らく とりわけマジョリティは)「〇〇運動」と呼んだりするようなのだ。
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長いこと 旅をしてきたように思う。いや、旅というにはいささか大仰だから、散歩。マイノリティに生まれ、最初のうちは気づかなかったけれど、育っていくうちに色んな物を見聞きして、なんとなくだが物事が分かってくると、自らの出自 それ故…ではなく、 自身の“なんとなく”の理解と私を取り巻く環境 それ故に苦しんで、そんな中で出会った人やモノを享受し救われて、その分 今度は恩や愛を他の人へ送る側になりたいと願うようになった。
 
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「私たちのまわりにはね、たくさんの呪いがあるの。」と『逃げるは恥だが役に立つ』にて口火を切ったのは 石田ゆり子さん。石田ゆり子さん扮する、百合ちゃんはきっと 私に、そして あなたにも優しく、ほんのちょっとの勇気みたいなものが詰まった飴玉を ぽいっとくれるみたいに --「自分に呪いをかけないで。そんな恐ろしい呪いからは、さっさと逃げてしまいなさい」-- と、言ってくれている気が 確かにした。
 
そうやって、生きづらさという“呪い”を解いていく必要があると思う。私にかかっていた呪いを解いてくれたのは、他でもなく、前述のブログにあった言葉たちであった。
 
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少し前に、こんなやりとりをSNS上で見かけた。
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自分の内面に目を向けるという事が減ってきたと感じる。そして、自分と、自身と向き合う事を ”病み” と表現する人が出てきて、病みという言葉がライト化してしまった。―― そして、人は他人からの (飽くなき) 承認を求めるようになりましたとさ。
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悲しいことだなと 改めて思う。きっと 孤独は創作の原動力だ。結局 アドバイスというものは無責任だし、その助言に従っている限り、最高到達点は その助言者になってしまう。独りで考えることなく、周りの助言にばかり従って行ったら… そしてそれをもっと長期的に考えると、人間力というか 人としての厚みや奥ゆきの減少という結果に行き着いて、現状維持さえも 難しくなってしまうのだ。
 
そりゃあ、自己肯定感も下がるよ。飽くなき承認を求めてしまうよ、無理もない… と書いていて思ってしまった。確かに、「意識を内面へ向ける事」を(ライトな)病みと表現することで、自分で自分の首を絞めてしまっている節もあると思う。けれども、マウンスプレーニング的な大人だったり、資本主義故に安定した職業に就いてほしいという親心だったり、仕事や社会の高度化による“子どもと対話しながら遊ぶ”時間の減少だったり、便利になり過ぎて 考えなくても生きていける社会になってしまった事だったり、行き過ぎた「生活の商品化」だったり、情報量が多くなり過ぎてしまったり… 原因は根深く、複雑だと思う。
 
だからこそ、「何を捨てて、その結果として 何を手元に残すか」だ。
そのことに、常に 自分の取捨選択に自覚的でありたい。まさに『堕落論』的な考え方なのかもしれない。でも、孤独は底を突くということを最近知った。そして、『逃げるは恥だが役に立つ』で新垣結衣さん扮する 深海晶が言うような「ひとりではない」生き方が出来るようになってきたと思う。こう書いていて、そうだ… と はたと気づいた。
 
私は、弱いまま 強く生きたいのだった。
 
矛盾を抱えたまま、まとまらない言葉のまま、分かりやすくはなくても 解った風な呼称で何かや誰かを束ねずとも、強くはなくても、私は私のままで。優しい強さと、それに裏打ちされた言葉たちを携え、私は 生活という営みを続けていきたい。
 
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「少数意見の尊重」なんて今や 綺麗事にしか聴こえないし、歯の浮くようなラブソングはこっちから願い下げだ。自分のためにあると思えるカルチャーや居場所がない… 私は、そんな現状を変えられるきっかけを 私の言葉で作っていきたいのだ。理解してもらうための言葉ではなく、自らが理解していくための言葉たちで。
 
仕事と家事という、ダブルバインドの労働の中でも「生活」という営みは続いてゆく。
 
キリンジの『エイリアンズ』、星野源さんの『喜劇』、『Pair Dancer』 最高。
こんなカルチャーがもっと、もっと、もっと 必要だと思う。
 
まとまらないけれど、構わない。
まだ、旅の途中だ。 


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最近 「大豆田とわ子と三人の元夫」を観て、最高だなと改めて思った yasu59でした。また来週

ー筆おきー

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