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20年連れ添った『私・予備軍』の話

今日、「頭部皮膚腫瘍 摘出」という日帰りの手術をした。
名前ほど物騒なものではない。
20年の月日をかけて肥大したほくろを切り離し、その傷口を縫ってもらっただけである。

私が適当な性格をしているせいで、「明日は手術だから」だの「多分その日の午前中は抜糸で」だのと口に出す度、数々の友人を仰け反らせてしまったことに関してはこの場を借りてお詫びしたい。


尊敬する祖母の額ど真ん中。
おおらかな伯父の鼻の横。
私の知る限り、親族内で肥大したほくろの存在はこの二つだ。

私のほくろは頭頂部にある。
おそらく生まれつきのそれが目立ち始めたのは、小学生低学年の頃だった。
まだ好奇心だけで生きている子どもが初めて見る盛り上がったほくろ。
「あんまり触ると余計大きくなるで」
母から注意されたときには既に、散々弄り回した後だった。

ほくろの成長を恐れる私に、ブラックジョークが大好きな父親は身振り手振りで、ある作り話をした。
ほくろはこのまま大きくなり、二十歳までに本体と入れ替わって、結果私がほくろになるという狂った話だった。
当時の私は怯えに怯え、それからかなりの間『私・予備軍』のことを触るのはやめた。



巨大なほくろを自分の欠点だと認識するようになったのはいつからだろう。
おそらく、中学校に入学したあたりだ。
それまで「変」というのは特別感があって誇らしいものだった。
友達に得意気に見せたこともあるし、なにより尊敬する祖母から「頭にできる大きいほくろは賢い印やな」と褒められたのが大きかった。

中学校に入学した辺りで、ほくろは成長しすぎたあまり薄いピンク色になった。
薄ピンクは、面白さより不気味が勝つ色だ。
いたずら半分に触ることはなくなったものの位置が悪く、髪を洗うとき乾かすとき櫛で梳くとき、気を抜けば爪でがりっと引っ搔いてしまう。それを積み重ねた結果が薄ピンクだった。

ほくろが大きすぎるせいで自然な分け目が作れない。
これは容姿を気にし始めた年頃にとってかなり深刻な問題だった。

そしてある日、ついに自力で取り除こうとしたのだ。
心配性で怖がりなくせに、昔から妙なところだけ度胸があった。
ぐらついた歯をさっさと引っこ抜いたり、手に刺さった棘を待ち針で救出したりという無駄な成功体験があったからこその暴挙だった。
結果、ちゃんと失敗した。出血したのだ。
痛みよりも、爪と肉の間を埋める赤色に耐えられなかった。
歯を引っこ抜いたときも指は血塗れだったというのに。
たぶん、ほくろをなめていたんだと思う。
イボコロリで足の魚の目がぽこんととれたように、ほくろも引っ張れば簡単にとれると思い込んでいた。だのに、血なんか出されてはたまったものではない。
以来私はすっかりほくろに畏怖してしまい、取り除くという考えを捨ててしまった。
無茶な自力摘出手術をきっかけとしたかどうかは定かでないが、ほくろはどんどんでこぼこした形になっていった。


それからはほくろのことにまで気を回す余裕のない日々が続いた。
親子間で真面目にほくろ問題を話し合ったのはなんと大学に入学してからだった。

外に出るとき必ず鏡の前でほくろの隠し方を試行錯誤する私を見た母が何気なく尋ねてきた。
「それ取ってもらう?」
「取るの痛いんちゃうん」
過去、皮膚科で膝裏にトラウマ級の治療を受け、さらに自力のほくろ摘出手術を失敗した経験のある私はおそるおそる返事をした。
「現代医療は痛くないやろ」
母の適当な一言が案外決め手になった。

大きい病院で取ってもらうことになった。
頼もしそうな女医さんが手術の説明をしてくださった。
「念のため病理検査に出しますが、まぁほくろでしょう」
麻酔を打つ。ほくろを取る。傷口を縫う。抜糸は年明けに。
しっかり覚えていなければいけない事柄がこれほど曖昧なのは、久々の採血を唐突に告げられたからである。

採血室に行くまでの不安と恐怖、採血中の痛みによるパニックで全て吹き飛んでしまった。
数か月前にさほど痛くないと聞いて打った筋肉注射のワクチンがそこそこ痛かった。その瞬間はもう何も信じられないと思っていたが、採血の注射の痛みが比でなかったことから私は贅沢な人間であったのだと心の底から思い知った。
ついでに、二十歳を迎えたのにまだ注射で涙目になってしまう情けなさも痛感した。

手術を明日に控えた日、どうせもう取るのだから触ってもいいだろうとほくろの位置に手を当てた。
悪性でもないやろうに、切り離すことにしてしもてごめんなあ、の意を込めてつついてみた。
やはりでこぼこして気持ち悪かったので、取ることにしてよかったと思った。酷い本体で申し訳ない。

その日の夜は布団に入ってもなかなか寝付けなかった。
自覚はなかったが、どこかで手術への不安を抱いていたのかもしれない。
はっきりした意識のまま目を瞑り、色々考えた。
ほくろには申し訳ないが、奴には私自身の嫌な部分を全て背負って旅立ってもらおう。そして手術を終えた私はより多くの伸びしろを得る、ということにしよう。
そんなことを考えているうちに、いつのまにか眠れていたようだ。

当日。
親との会話で私がなぜか全身麻酔だと思い込んでいたことが発覚した。
全身麻酔が一番の懸念だった私の、手術へのハードルが勝手に下がった。
それよりも自転車に乗るのに何も考えずロングコートを羽織ってしまったせいで、サドルにどう座ればコートがタイヤに擦らないのかを考えるほうが余程困難だった。
風もべらぼうに強かった。
道中でふと、これはあと数十分後に「私の嫌な部分の全て」という濡れ衣を着せられ、生命を絶たれるほくろによる全力の抵抗なのではないかと思ってしまった。
それからは厄介なロングコートの裾も強風もさほど苦痛でなくなった。障壁が贖罪になったのだ。

病院に着いてからは相変わらず血圧が低すぎてうんざりしたり、待合場所が分からなくてうろうろしてしまったりした。
担当の看護師さんが前と同じの、優しい穏やかな方で安心したりもした。
名前を呼ばれて手術室に入ると、想像していたよりずっと多く人がいて、すっかり怖くなってしまった。
言われるがままに寝そべって、しかし看護師さんと女医さんの意見が割れ、何度もうつ伏せになったり仰向けになったり、ごろんごろんしているうちに緊張がほぐれた。

「麻酔を打つ時の注射だけはどうしても痛いんです」
顔に布がかけられて、くすみブルーってやつだと呑気に思っていると、女医さんが申し訳なさそうに説明してくださった。なるほどと覚悟を決めたが、正直それも、採血の痛みよりずっとずっとましだった。

麻酔を何回か打ったあと、「じゃあ始めます、頭抑えますね」と言われ、ぐぐぐと頭を押さえられた。
激痛の類ではないが、こんなに抑えられてしまったらただでさえ少ない細胞がもっと潰れるのではないか。
そんな心配をしている十数秒の間に「ほくろ取れました」という信じ難い報告をいただいた。
やはりお医者さんはすごい。私があと数年若くて、数学と仲良くできていれば間違いなくこの瞬間から医者を目指したと思う。

それからは髪の毛が全てゴムになって、女医さんが帯を巻くようにそれらのゴムを動かしているような妙な感覚を味わい続けた。
おそらく縫合をしてくださっていたのだろうが、なんだか不思議で面白かった。
途中で女医さんが私の帯みたいなゴムみたいな髪の毛に触れつつ、「あっ髪の毛に血が飛んだので拭きますね」となかなかに耳慣れない、バイオレンスな響きを伴った説明をしてくださったのも不謹慎ながら面白く感じた。

手術の終わりを告げられ、体を起こすと「取ったもの見ますか?」と聞かれた。
「見ます、20年連れ添ったので」と答えると看護師さんが小さく笑いながら瓶詰めのほくろを見せてくださった。
私はただ「うわぁ……」と言った。
ドン引きするぐらいグロテスクだった。
尖った根元に血が混じっている異様感に表面のでこぼこも相まって、小人型宇宙人の脳みそにしか見えなかった。
あんなに根が深かったのか。
そりゃ自力で摘出できるわけがない、指だって血まみれにもなる。

抜糸の日付を確定し、手術室を出た。
エレベーターの鏡で自分の頭を見ると、分厚いガーゼが頭にでんと乗っていた。
そんなわけで帰り道はロングコートの裾でも強風でもなく、手ぬぐいのようなガーゼばかり気にしていた。
「首から上だけ温泉に浸かっている人」のまま数十分自転車を漕ぐのは一種の修行であるように感じた。

家に帰ってから、「このあとツイートの雰囲気変わったら手術で人格変わったと思ってください」という父親譲りの三文ブラックジョークを呟いていたツイッターに手術が終わったことを報告した。
そして真っ直ぐリビングに向かい、パソコンに手を伸ばした。
ほくろが私の全ての嫌な部分を背負って旅立ったということを証明するために、「才能がないから何を書いても面白くないと全てを諦めている私」を摘出した私はただちに今日のことを文章にする必要があったのだ。

note自体は去年に登録していた。
下書きの項目にいくつもある書きかけのなにかは、どれも何が面白いのか分からなくなって途中でやめてしまったものだ。
話を締め括ろうとしている今だってほくろを取っただけの話の何が面白いのか、客観的視点で考えようとしても全く分からない。
ただ頑張って書き切ることだけを目指して書いた。
なぜならこれが私から、かつては『私・予備軍』にまで上り詰めたほくろへの確かな餞であるからだ。

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