冷笑系だったころの小田嶋隆を読む

 小田嶋隆氏が亡くなってからもう2年余り経つわけである。先日書店で内田樹氏が小田嶋隆氏のツイートを題材に語るという本が出ていたし、まだ書店の本棚に最晩期に出版された単行本が並んでいるのは見ることができるけれど、でももうそんなになるんだ。

 小田嶋氏というと日経ビジネスオンラインに長きにわたって連載されていた時事コラムの印象が強い人が多い、と思う。それはしかたない。逝去当時の東京新聞は「反権力の論客、コラムニスト」という見出しで訃報を報じていた。

 けれども自分の中では、(これまた見出しの中にある)「噂の眞相」で連載されていたコラムのほうが先にくる。そういえばオカドメ編集長も亡くなってもうずいぶん経ちますね。
 この雑誌で連載していたときの小田嶋氏の印象は今(というか、亡くなる少し前)のそれとはかなり異なるものだ。確かに権力におもねっていたわけではない。ないけれども、「反権力の論客」と言われるとそれはそれで違和感がある。

 「噂の眞相」という雑誌について少し補足しておく必要があるかもしれない。2004年に休刊した政治的に左翼色の強い雑誌、というと「世界」のような雑誌を思い浮かべるか、あるいは「週刊金曜日」のような雑誌を浮かべる方が多いのではないかと思うけれど、どちらとも色合いは違う。左翼色が強いというのはあくまで政治的な立ち位置の話であって、自認としては「スキャンダル雑誌」だった。表紙を開くととびらページやグラビアには今だとゾーニングが議論されそうなイラストや写真が並んでいた(注:この雑誌は全年齢で買えました)し、真面目な評論がどしどし載っていたわけではない。今で言うと「リテラ」「実話BUNKAタブー」などに近い。話がずれるので深くは述べないけれど、今だと大問題になるような記事もちょくちょく掲載されていた。

 そういう雑誌に長期連載していた書き手だったわけである。確かに「反権力」というのは間違いではないかもしれない。けれど、「気骨のコラムニスト」みたいな表現には違和感がある、というか、日経のコラムで知ってファンになった人がこのころの文章を読んだら呆れるのではないかと思う。

 小田嶋氏の古い著書というのは、なかなか入手が難しい。図書館などにもあんまりはいっていないし、古本でも少ない。でもまあ探せばあるので、図書館などでこつこつ借りて読んだりしている。それで今回紹介するのが、噂の真相に連載していたコラムをまとめた「無資本主義商品論」である。

「本書は、雑誌『噂の真相』誌上で、ほぼ10年の長きにわたって連載コーナーを一冊にまとめたものだ。」(p3)

p3

 とある。初出の表記を見ると1988年4月から1995年3月までとなっている。7年だが、それはいい。
 このころの噂の真相はリアルタイムでは知らない。まだ小学校低学年か、最初期のものは小学生ですらなかったんだから当たり前だが。おれが読んでいたころの「噂の眞相」にも小田嶋氏のコラムは連載され続けていて2004年の休刊まで続いていたので、自分が知っているのはそのあと再度連載が始まったものらしい。それは「かくかく私価時価」という単行本になっている。

 この「無資本主義商品論」という単行本にみられる小田嶋氏の論調はまったくもってサヨクではない。むしろ今で言う冷笑系に近い。その端的な例は、たとえばこんなところに現れる。

「じゃあ、愛はどうだ?友情はどうだ?真実や真理は金で買えるというのか?」
という人(新聞にでも投稿しやがれ)がいるかもしれない。
確かにそういうものは金に換算できない。無価値であるか、でなければ、そんなものははなっから存在しないからだ。

 いかにも、利根川コピペとか貼り付けて2chライフを過ごしていた人間が言いそうなことではないか。

 この本の中で読み取れる「冷笑」のしかたは、かなり法則性がある。金や資本主義に対する無条件な礼賛、環境問題にたいする視線、メディアにたいする目線、女性を見下した態度、あたりにまとめられる。
 いっぽうで「日々働く労働者」にはその冷笑的な視線は向けられない。けっこうマジメに社会システムへ批判的な目線をむけていたりする。そういう意味ではサヨク的ともいえるのだが、どうも抑えるべきところが抑えられていないせいで、それもただのご都合主義のように見えなくもない。
 なんだかどこかにそんな世界があったような気がする。もちろんそれは21世紀のインターネットである。
 この本のサブタイトルは「金満大国の貧しきココロ」。90年代まだバブル崩壊からそんなに間がなかった頃だからそういうことがハスにかまえた物言いとして意味を持てたかもしれないが、今となってはただ権力のほうを向いた冷笑なだけである。

 特にひどいのは「女性」に対する視線である。これについてはtwitterでも何度か指摘されているところは見かけたことがあるので、かなり遅くまでそのままだったといえるのかもしれない。
 「女の側からの勤務評定「聖バレンタインデー」の虐待」という回は89年3月に書かれたものだが、ここには義理チョコという形であらたな交際費がかたほうの性別にだけ発生していることなどはピクリとも出てこない。出てくるのは、「チョコレートの数という形で評定が下される」のは残酷な話だという嘆きと、「女性の権益は、確実に拡大している、と私は思う」という締めの一文。
 あるいは、女性の性の商品化について論じた回(89年12月)では、かなりスルドイことを書いている。特に、次の一文はペケで「ツイフェミ」と呼ばれるようなアカウントが書いたら、自称弱者男性によって炎上させられるかもしれない。

問題は、女性という人たちが、もっぱら性においてしか商品化されていないという事だと私は思っている。

なるほど先見の明があるなあと読みすすんでいると、ここでズッコける。

そしてまた、ここが重要なことであるのだが、女性の性の商品化に腹を立てているのは、実は、自分の性が決して商品化されないでいる女性たち、つまりブスとおばさんだけであったりする。

あ、これはダメだ、となるわけだ。

ん?女性の自立?
そんなもの、男をしゃぶり尽くしてこそじゃねえか。第一、チンポも持たない人間がひとりで自立してどうするっていうんだ。
ま、学問的教養にしろ男女同権にしろ、目指すのは勝手だが、そんなものが実際に存在すると思うのは阿呆だってことだな。
(p243)

これは95年2月に書かれたものだ。
東京の高校の学費高騰を題材にした回なのだが、正直に言ってお前はそれの何が面白いと思ったのかとしか思えない回になっている。その締めがこれなんだからどうしようもない。つまりは学費が高騰しているからもう高校など行かせずに丁稚奉公に出す、そのほうがタメになる、という話なのだが、小石川高校を出て早稲田大を卒業した人間が書いてると思うと呆れてくる。

 小田嶋氏は生前、ときどきツイッターで昔と変わったことについて苦情が寄せられるのについて苦情を言っていた。他の単行本(そのうちにこのnoteでそちらについても書きたい)などを見るに、別に「噂の眞相」という媒体に合わせて冷笑的な振る舞いをしていたというわけでもないので、そういう書き手だったわけである。日経ビジネスオンラインでの文章がそうでなくなったというのは、つまり論調を変えることになるきっかけがあったということなんだろう。その論調が変わった理由は、つまりこういう「今のインターネットで冷笑ぶってるような人間が言っていること」をそのまま言っていたことについて思うところがあったんじゃないか、となんとなく思っている。

 いちおう、補足すると、別に「ひどいコラム」ばかりというわけではない。面白かったり先見の明を感じたりする箇所もたくさんある。「企業城下町の殿様商売」という回ではトヨタのかんばん方式についての批判的な文章がつづき、その最後はこう締めくくられる。

結局、品質というのは、実に非人間的なものなのだね。

 あるいは、コミュニケーション関連の商品には、やたら高い値段がついているという回の締めはこうなっている。

きっと、われわれ日本人は、いつまでたっても、「団結」=「連帯」=「ふれあい」=「コミュニケーション」=「ちいちいぱっぱ」にだけは、金を惜しまない人たちであり続けるのであろう。

 最後にちょっと余談である。
 都知事選以降、ネット民やメディアぐるみでのバッシングに合っている蓮舫氏が、小田嶋氏の訃報に際してお悔やみツイートをしていた。ツイートじたいはどうということはなかったんだけど、当時、ちょっとおどろいた。小田嶋氏は蓮舫氏についてあんまり好意的ではないことをはっきり前に出していたためである。
 なんでそんなことを覚えているかというと、当時なぜかここぞとばかりに「追討」を始めたツイートが散見されたからである。ま、別におれは死んだ人だからといって悪く言ってはいけないという主張ではないので本当によく思っていなかったんなら好きにしたらよろしいけれど、その2週間後くらいにどんなことを言っていたんだろうね、そういう人たち。
 そんなことはどうでもいいとして、そうはいっても二重国籍のときには擁護の陣を張っていた。そのタイトルが「蓮舫議員は別に好きじゃないが」なのがまあナンだが、内容はきちんと当時の異様な空気について批判しているものだ。だからこそお悔やみツイートに至ったのかもしれない。

 それもそうなのだが、蓮舫氏が都知事選に出馬するということになって野党支持層から聞こえたのが東京という地域意識を鼓舞するのに格好の候補だ、という話である。自分は東京と無縁なのでこのあたりはまったくピンとこないのだが、そういえば小田嶋氏も東京に生まれ育ったアイデンティティが強い書き手だったのはさまざまなところでうかがえる。遺著になったのが「東京四次元紀行」だったくらいだし。
 正直なところ東京の街について書かれたコラムはおれには理解しかねる(まあ、そうなんだなってのは分かる)けれど。
 そんなわけで、もし小田嶋氏が存命だったらこの都知事選をどう見たのか、選挙運動をどう論じたのか、などと考えてみたりするわけだ。


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