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KAZOKU

びっくりするニュースがとびこんできた。

神田沙也加さんの急逝。


そして、

流し見していたTikTokでは5年前突然病気で亡くなったお母さんが

最期となってしまった日に作ってた娘さんリクエストの角煮が、

そのまま冷凍してあってそのままおいしく食べられるように、

プロの方が丁寧にあっためていたという映像があった。


この前、旦那と喧嘩をした。

ささいなきっかけだけれど、大切なこと。

喧嘩の最後に私は「群馬にもそろそろ帰りたいんだよ」と言った。

心の中では本当は

「お父さんやおばあちゃんに会いたいんだよ」と言おうとして、

精一杯言葉を選んだ結果だった。


あたしはまだ子供はいない。

だから子供の気持ちからしかわからないけれど、

こうして亡くしてそこから立ち上がる日々は、

親がくれる最大の「生きる」についての教えだと思っている。

お父さんはあたしに命がけで「生きる」を教えてくれた。


でも、そんなきれいごとを言っていても、

その教えを受け入れるのは病気で余命宣告があっても、

何年もかかったし、まだ受け入れられているかもわからない。

今もあたしは小田和正さんの歌を聴くと、むしろ声を聴くだけで、

お父さんからの言葉かと思って、時間が止まってしまう。


時間が経って、少しずつ忘れていくことが増えていくことさえ、

なんだか悪いことをしているような気持ちがして、

さみしくなったりもしたりしてる。


でも。

その戦いは子供が背負っていくべきだと思う。

だって、親がそれを命がけで教えてくれているから。

「生きる」を。

一生かけて宝探ししていくから。


親孝行ってなんだろうと日々思ってる。

残されて、ここまで精一杯頑張ってるお母さんを見ながら、

旅立った人ばかりではなく今そばにいる人をちゃんと大切にしようと思う。

だけど、こうしたニュースが続くたびに、

親孝行って、

ただ一緒の時間を増やして、

おいしいねってたまには外にごはんなんて行ったりして、

どこか買い物にでかけたりして、

たまに旅行なんかしたりして。

そうして一緒にいるだけで贅沢なんだと今回思った。

高いプレゼントなんかよりも、ずっとそっちの方が贅沢。


お母さんとLINE電話した。

甥っ子姪っ子がわちゃわちゃしている中で、

この悲しいニュースについてお母さんと少しだけ話した。


大切にしよう。

一緒にいる時間を。

そして、その時間を過ごせる自分の命を。

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