第6回公演チラシ

【脚本公開④】エキセントリック∞トリック

コッテコテミステリ本編。
長編です(比較的)。

初演

劇団AQUA 第6回公演
エキセントリック∞トリック
日程 2014/6/28,29
会場 市川市勤労福祉センター本館 3階大会議室

タイトル

エキセントリック∞トリック

登場人物(男2・女2・男女可1)

探偵・不知火 しらぬい(男性)
助手・朝比奈 あさひな(女性)
警部・十六夜 いざよい(男性)
令嬢・鬼龍院 きりゅういん(女性)
怪盗・レトロ れとろ(男女可)

上映時間の目安

1時間15分~1時間30分

怪盗レトロからの暗号

注)脚本の本文中では表示が難しいのですが、
5行目の「せ」は小文字表記で、「む」には濁点が付いています。

へわつそす
もまりけゆてす
つへつくけ
をまつまるえそ
たせけこくい“む

プロローグ

数人が舞台上に立っている。シルエットで顔はよく見えない。
演説する一人の探偵。

不知火「いいですか? 確かに被害者の榊さんに、直接コーヒーを手渡したのは鬼龍院嬢です。…が。これだけで彼女を犯人と決め付けるのは、あまりにも乱暴すぎるのではありませんか?」

不知火「よく思い出してみて下さい。
榊さんが倒れたのは、コーヒーを飲み干した直後です。もし西園寺さんの仰るとおり、コーヒーに毒物が混入されていたとすれば、飲み干すまでの間に中毒症状を起こしているはず…。おかしいとは思いませんか?」

不知火「……そう。実際に毒物が混入されていたのが、もしコーヒーではなく、ミルクだったとしたら?」

不知火「榊さんはカップに残ったコーヒーに、ミルクを混ぜて飲み干しました。これがもし彼の好きな飲み方で、毎度のことだったとしたら?
……そうです。
犯人は彼のこの飲み方を知っていて、尚且つテーブルに毒入りミルクを用意することができた人物…。
鬼龍院嬢、一つお聞きしてもよろしいですか?」

鬼龍院「…は、はいっ…!」

不知火「あなたが飲んでいたのはストレートのダージリン。間違いありませんね?」

鬼龍院「そのとおりです‥。」

不知火「では、あなたはテーブルの上のミルクには一度たりとも手を触れていませんね?」

鬼龍院「は、はい…。もちろんです。」

不知火「ではこれで決まりですね。彼女は犯人ではありません。」

ざわめきだすSE。

不知火「静粛に。静粛に、お願いいたします。話はこれで終わりではありません。
    もう少し、私の推理を聞いてください。」

静かになる。

不知火「…ありがとうございます。
    これで、ミルクに毒物を混入することさえできれば誰でも容疑者に成りうることがわかりましたね。
ところで、西園寺さん。最初に、榊さんが何者かに毒を飲まされて亡くなったと言いだしたのはあなたでしたよね。まだ検死もしていない段階で。
さらに、あなたは私がミルクに手を伸ばしたとき、とっさに、私からもあなたからも遠い位置にあるミルクを私に手渡しましたよね?
なぜですか? ……答えられませんか?」

間を置いて。

不知火「真犯人は……あなたです。給仕係の西園寺さん。」

不知火「えぇ、もちろん証拠はこれだけではありませんよ。あなたはこれ以外にもいくつかの間違いを犯しています。一からお話して差し上げましょうか?………。」

演説を続ける探偵。
うっとりと探偵を見つめる令嬢。

鬼龍院「……不知火、さま…。」

暗転。

1場

事務所。
新聞を見ている朝比奈。

朝比奈「かの名探偵、不知火秀一に次ぐ…明晩、次の物を頂きに参上す。
へわつそす もまりけゆてす つへつくけ をまつまるえそ たせけこくい”む 
怪盗レトロ」
不知火「……。」
朝比奈「うっひゃー、先生! 名指しですよ名指し!」
不知火「……。」
朝比奈「ほらぁ新聞に! でかでかと!」
不知火「……。」
朝比奈「……せんせい?」
不知火「……。」
朝比奈「せんせー!?」
不知火「……。」
朝比奈「せー、んー、せー」
不知火「……少しは静かにできないのかね君は」
朝比奈「先生こそ、ちょっとくらい見てくれたっていいんじゃないですか? ほらぁ」
不知火「あのね、朝比奈クン。私はもうその新聞には目を通しているんだ。」
朝比奈「まぁまぁそう言わずに!」
不知火「暗号もちゃんと手帳に書き写したし」
朝比奈「暗号も気になりますけど、違うんですよ!」
不知火「何がだね」
朝比奈「そうじゃないでしょう!?」
不知火「だから、何が」
朝比奈「もう! 先生ってばほんっとつまんない人ですね! 新聞にこんなに大きく載ったんですよ!?」
不知火「つまらなくて悪かったね」
朝比奈「そこでもなくてぇ!」
不知火「新聞に載ったのはこれが初めてじゃないだろう」
朝比奈「今まではこーんなだったじゃないですか!(指で表す)それが今回はこうですよ! こう!」
不知火「(興味なさそうに)はいはい」
朝比奈「ちゃんとこっち見てください!」
不知火「……はぁ。」
朝比奈「もっとこう、あるでしょう?」
不知火「だから、何が」
朝比奈「こんなに大きく新聞に名前が載るなんて、私ももう有名人だな…フフッ」
不知火「……。」
朝比奈「この記事は、切り抜いて額縁に入れて事務所の壁にでも貼っておこう…ぺたぺた。」
不知火「……。」
朝比奈「あー、困っちゃうなー、もう有名人だしなー、外出するときはサングラスを掛けなくては。」
不知火「……。」
朝比奈「ドアを開けたら依頼人が行列作ってるかもしれないなぁフフフ。いやぁ、参った参った。」

ドアを開ける朝比奈。
ドアの外に立っていた十六夜と目が合う。

十六夜「……。」
朝比奈「……。」
不知火「……。」
十六夜「……(咳払い)。」
朝比奈「こ、こんにちはぁ十六夜警部……。」
十六夜「あ、あぁ。こんにちは朝比奈くん。」
朝比奈「えへへへへ…。」
十六夜「ははははは…。」
不知火「朝比奈クンは連日の尾行でちょっと寝不足なんだよ。ね。」
朝比奈「そ、そうなんですぅ寝不足で…」
不知火「はっはっは。」
朝比奈「ってちょっと先生。」
不知火「何かね」
朝比奈「何かね、じゃないでしょ! 先生のせいですからね!!」
不知火「はて。そうだったかな」
朝比奈「先生が止めてくれないからこんな、こんな…生き恥を…もう! 先生のばかぁ…。」
不知火「朝比奈クン」
朝比奈「なんですか」
不知火「(肩に手を置き)ドンマイ☆」
朝比奈「……うらぁぁぁぁぁぁぁ」

追いかけっこする朝比奈と不知火。
しばらく遊んでいるが、十六夜の咳払いでぴたりと止まる。

十六夜「(咳払い)。」
朝比奈「……失礼しました十六夜警部。」
不知火「ま、座りたまえよ」
十六夜「あ、あぁ…そうするよ」
朝比奈「ふぅ。」
不知火「で、今日はどんなご用件かな? 十六夜クン」
十六夜「仕事のときは警部と呼べといつも言ってるだろ?」
不知火「わかったわかった。で、十六夜クン。用件は?」
十六夜「……。今朝の新聞は見たか?」
朝比奈「(新聞を手に持って頷く)もちろんデス!」
不知火「怪盗レトロの予告の件かね。」
十六夜「まぁな」
不知火「そんなところだろうと思っていたよ!」
十六夜「そうか、それなら話が早い。警察の方からお前たちに協力要請が出てるんだ。…前回お前がレトロ相手に派手にやってくれたからな…。毎度のことで申し訳ないが、頼めるか?」
不知火「もちろん! 鳴海幼稚園このは組から25年の友情はそう簡単に潰えたりしないさ!」
十六夜「腐れ縁っつーんだよ。く・さ・れ・え・ん。」
不知火「またまた」
十六夜「お前のなーそういう態度が」
不知火「好きなんだろう、知ってるよ!」
十六夜「はぁ…。」
朝比奈「ため息つくと幸せ逃げちゃいますヨー」

テーブルに紅茶を置いていく朝比奈。

十六夜「あぁ、ありがとう。…だが、こいつと一緒に居て、幸せになれたためしがないよ。」
不知火「えー?」
十六夜「昔っから俺の好きになった女性は、皆こいつに取られるんだよ。はぁ…。」
朝比奈「そ、そうなんですか…。それはそれは…(不知火を見やる)」
不知火「そうだったかな。はて。」
十六夜「はてじゃないだろ! 幼稚園のときの愛理ちゃんもそう。小学生のときのメグミちゃんもそう。中学のときの木下さんも、高校のときの水瀬さんも、大学のときの雪村さんもそうだ!! 嫌んなるよ、まったく。」
不知火「やぁ、よく覚えているね十六夜クン。」
十六夜「ちくしょー皆こんなやつのどこが…。」
不知火「向こうから寄ってくるんだから仕方ないだろ?」
十六夜「あーもう」
朝比奈「(十六夜と不知火を見比べながら)でも、わからなくもないっていうか…」
十六夜「え?」
朝比奈「なんでも」
不知火「さてさて、そろそろ本題に入ろうじゃないか!」
十六夜「あ、あぁ」
不知火「暗号だったね。」

朝比奈がテーブルの上に新聞を広げる。

朝比奈「へわつそす もまりけゆてす つへつくけ をまつまるえそ たせけこくい”む 
か…」
不知火「噛みそうだね」
朝比奈「先生も読み上げてみたらどうですか? 滑舌の練習になりますよ」
不知火「遠慮しとく」
十六夜「あ、これ予告状。同じ内容の。」
不知火「あるなら早く出したまえよ」
十六夜「出すタイミングなかっただろ!」
朝比奈「警察宛ですか?」
十六夜「1通はな。2通送られてきたからそっちはお前にやる。不知火殿、って書いてあるだろ」
朝比奈「本当だ」
不知火「ふーん…。ご丁寧なもので」
十六夜「で、どうだ? 暗号の謎は?」
不知火「警察の見解はどうなんだい」
十六夜「いや、名探偵殿の仰せのままにとな」
不知火「つまり丸投げか」
十六夜「そうとも言う」
不知火「全く」
朝比奈「…金木犀、ですね」
十六夜「え?」
朝比奈「予告状から、金木犀の香りがします。」
十六夜「そ、そう言われれば確かに…。」
不知火「十六夜クンは、香水を付けるほどには身だしなみに気を使わないはずだぞ」
十六夜「失礼な!」
不知火「事実だろ。となると、怪盗レトロか。」
朝比奈「紙が変色したり歪んだりしている様子はありませんね。」
不知火「たまたま香りが付着したにしてははっきりした香りだし、練り香水をわざわざ付着させたのかな?」
朝比奈「そうかもしれません。」
十六夜「(二人のやり取りをニヤニヤしながら眺めている)……。」
不知火「なんだね」
十六夜「いや、さすがだなと思ってな」
不知火「私と私の有能な助手を褒めてくれてありがとう。そのニヤニヤ笑いは気持ち悪いからやめてくれたまえ」
十六夜「わりわり。いやしかし、頼もしいよ。」
不知火「ううむ…」
朝比奈「しかし、暗号の意味がさっぱりわからないですね…。レトロは何が言いたいんだろう」
不知火「よし、じゃぁ一緒に考えてみようか。」
朝比奈「はい、先生!」
十六夜「フッ…お手並み拝見、だな」
不知火「何言ってるんだ十六夜クン。君も一緒に考えるんだよ。」
十六夜「えっ」
朝比奈「へわつそす もまりけゆてす……。」
不知火「そのままじゃ全く意味が通らないね。」
朝比奈「はい。それに、この…予告状の周りに上、下って書いてあるのも気になります。」
不知火「それは一旦置いといて、この暗号文の気になったところを先に考えてみようか。」
朝比奈「気になったところ…ですか?」
不知火「あぁ。」
十六夜「そんなの全部だ全部!」
朝比奈「全部って…」
不知火「全く、十六夜クンも少しは観察眼を養ったらどうだい?」
十六夜「俺は行動力でのし上がってきたタイプなんだよ」
不知火「そりゃ、そうだろうね」
朝比奈「先生、五行目がすごく読みづらいです」
不知火「たせけこくい”む  かな?」
朝比奈「はい。二文字目の「せ」は小さく書いてあるし、最後の「む」には濁点がついています。普通、文章でこういう書き方ってしないですよね。」
不知火「そうだね。これは大事なポイントだから、覚えておこう」
朝比奈「はぁい」
不知火「じゃぁ、今度はこの暗号全体の特徴について考えてみようか。」
十六夜「全体?」
不知火「あぁ、全体。」
朝比奈「全体の特徴って言われましても…」
十六夜「どこ見ても意味わからん、としか」
不知火「そうか…。じゃぁこの暗号をもう一度読み上げてみようか。はい、朝比奈クン。」
朝比奈「へっ…へわつそす もまりけゆてす つへつくけ をまつまるえそ
たせけこくい”む!?」
不知火「はい、十六夜クン」
十六夜「えっ俺も!? へわつそす もまりけゆてす つへつくけ をまつまる…(噛む)
    だーーーーっ!!」
不知火「どうだった? 読んでみて。」
十六夜「舌が回らない!」
不知火「それはわかったから。朝比奈クンは?」
朝比奈「何かに似てるような…なんだろう、このリズム…。」
不知火「そう、声に出して読むとわかるけど、リズムが何かに似てるよね。」
朝比奈「……わかった! 俳句ですね!」
不知火「惜しいね。短歌だよ。」
十六夜「同じだろ」
不知火「違うだろ。俳句は五・七・五。短歌は五・七・五・七・七だぞ。」
十六夜「どっちでもいいわ」
朝比奈「それで、短歌のリズムがどう関係してくるんですか?」
不知火「まぁまぁ、焦らないで朝比奈クン。少しずつ読み解いていこう。」
朝比奈「じらさないでくださいよう!」
不知火「もう鍵は揃っているよ。じきに解けるさ。」
朝比奈「本当ですか!?」
不知火「あぁ。ところで、暗号にはいくつか種類があるけど、この暗号は何に当てはまるかな?」
朝比奈「うーん…最初は文字を並び替えただけのアナグラムかなって思ったんですけど…違いますよね。」
不知火「そのとおり。」
十六夜「え、なんでだよ」
朝比奈「さっき、先生が気になる点を探せって言ってたじゃないですか。それで、ボクは小さい「せ」と濁点のついた「む」を指摘しました。」
十六夜「ふんふん」
朝比奈「単純にならびかえるだけなら、最初から文章として成り立たないような、こういう文字は入らないと思うんですよね。組み直したところで意味が通らないから。」
十六夜「な、なるほど…。」
不知火「さすがは朝比奈クン。鋭いね。」
朝比奈「もう、白々しいですね。先生は一足先に答えがわかっちゃってるくせに」
十六夜「……お前…。」
不知火「どうだかね。」
朝比奈「あと有り勝ちなのは文字を数字や記号で置換する方法ですが…。これは元が平仮名なので、逆にこれを数字や記号に置換するのは、考えにくいですね。」
十六夜「そうか? できないことはないだろ。」
朝比奈「できなくはないかもしれませんけど、先生がさっき短歌の形式と同じだって言ってたじゃないですか。ということは、これはきちんとした文章になるんですよ。」
十六夜「うーーん…なるほど」
朝比奈「あと、思いつくのはシーザー暗号くらいですけど…シーザー暗号でもこの5行目に入ってるような不自然な文字が入るとは考えにくいですよね…。」
十六夜「シーザー?」
不知火「果たして本当にそうかな?」
朝比奈「え?」
不知火「朝比奈クン、あともう少しだよ。もう少しでチェックメイトだ」
朝比奈「…ということは、シーザー暗号というところまでは合っているんですね…。」
十六夜「ちょっとまった、お前たちだけで勝手に話を進めないでくれ」
不知火「十六夜クン、ついてこれてないな?」
十六夜「お前たちみたいな切れ者と一緒にするなよ…。第一、シーザー? って何なんだよ。 サラダしか思い浮かばねーよ」
朝比奈「シーザー暗号は、換え時式暗号の一つですよ。全ての文字を特定の数だけずらして置き換えるんです。本来のシーザー暗号はアルファベットなんですけど、これは平仮名をずらすことになりますね。」
十六夜「ずらす…?」
朝比奈「うーん…例えば、『おぜるお』という文字列があったとします。これだけだと何を言っているのかわからないですよね。」
十六夜「さっぱりだ」
朝比奈「けど、これを3文字ずつ前にずらせば意味が通じる言葉になるんですよ。」
十六夜「おぜるお…をか?」
朝比奈「はい。おを3つ前に戻すと、え、う、い…と戻って「い」です。」
十六夜「じゃぁ、ぜは「ざ」になるのか」
朝比奈「そうです。同じように、全部戻すと『おぜるお』と言う文字列が『いざよい』になります。」
十六夜「おお! なるほど。大体わかった」
不知火「本当かな…。」
朝比奈「けど、この暗号の場合、シーザー暗号もちょっと考えにくいんですけど…」
不知火「まだ諦めるのは早いよ。可能性を模索するんだ。」
朝比奈「可能性…」
不知火「不自然な文字が入るのはなぜか? 短歌調で構成されているのはなぜか?」
朝比奈「うーん…」
不知火「一定の考え方に囚われてはいけないよ。色んな方向から考えてみるんだ。」
朝比奈「小さい「せ」や濁点のついた「む」を使うということは、それを使わざるを得なかったということですよね…。」
不知火「そうだね。あいうえお順だったら、まずその二文字は発生しないだろうね。」
朝比奈「……あ、そっか。」
不知火「閃いた?」
朝比奈「はい! いろはにほへと…ですね?」
十六夜「え? え?」
不知火「そのとおり。」
朝比奈「短歌の形をとっているのもヒントだったんですね。」
十六夜「待て、置いてくな! 何の話だよ?」
不知火「えー、十六夜クンまだわからないのか…」
朝比奈「いっぱいヒントもらったじゃないですか」
十六夜「だーかーら、俺はお前らとは違うんだって。ちゃんと説明してくれよ」
不知火「仕方ないな…。さっきの朝比奈クンの例だとあいうえお順から特定数シフトしているだろう。この暗号の場合、あいうえお順ではなくていろは順からシフトするって話をしてるんだよ。」
十六夜「ほ、ほう…。」
朝比奈「いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし えひもせす ……ですよね! 前に学校で習いました!」
不知火「そう。いろは順は全部で47文字。拗音や濁音が存在しないから、通常使わないような文字の表現になっているんだね。」
十六夜「こんな面倒くさいことをするなんて、レトロのヤツ、相当なひねくれ者だな…。」
不知火「今に始まったことじゃないだろ。レトロは毎回こんなんだ。」
朝比奈「確かに…。」
不知火「さて、お分かりいただけたかな? 十六夜クン。」
十六夜「まぁ、いいだろう。続けてくれ」
朝比奈「問題は何文字戻すかですが…。」
不知火「それも少し考えればわかることさ。この暗号は短歌の形をとっているだろう?」
朝比奈「うーん…ということは…」
不知火「「せ」を拗音にするにはなん文字戻せばいいかな?」
朝比奈「五・七・五・七・七…。」
不知火「「む」を濁音にするには?」
朝比奈「へわつそす もまりけゆてす つへつくけ をまつまるえそ たせけこくい”む 」
不知火「もうわかったかな?」
朝比奈「文字通りでいいんですね。短歌の句型は五・七・五・七・七。」
不知火「そうなるね。」
朝比奈「この暗号で言うところの、一行目が5文字。2行目が7文字。3行目が5文字。4行目と5行目は7文字戻せば……チェックメイトです、先生。」
不知火「腕を上げたね、朝比奈クン。」
朝比奈「親切な誰かさんがうまいこと誘導してくれたので。」
不知火「そんなことないよ。」
十六夜「俺はもうお手上げだ…あとは頼んだ」
不知火「と、十六夜クンが言っているので…答えを書き出してみようか。」
朝比奈「そうですね!」

大きいホワイトボードとかに書き出す想定で。

朝比奈「へわつそすは五文字戻して……うーん、と………い、ち、か、わ、し……。もまりけゆてすは7文字だから…き、む、ろ、う……」

相談しながら、ホワイトボードに
「いちかわし きむろうふくし かいかむの ほむかむにある りゅうのなみた」
と書き記す。

不知火「いろは順に「ん」の文字はないから、「む」で代用してると考えていいだろうね。」
朝比奈「「む」の濁点は7文字戻って「た」なので、「だ」になるってことでいいんですよね?」
不知火「そのとおり。」

「いちかわし きんろうふくし かいかんの ほんかんにある りゅうのなみだ」
に修正する。十六夜さんは手帳にメモするの忘れずに。

十六夜「おおお………」
不知火「やっと意味が通じる文章になったね。」
朝比奈「龍の涙…っていうのは?」
十六夜「聞いたことあるぞ。どっかの金持ちのお嬢さんが所有する首飾りの名前だ。」
不知火「十六夜クンがアクセサリーの名前に詳しいなんて意外だよ。」
十六夜「……。何度か盗難に遭いかけてるから課の中でよく話題に上がるんだよ」
朝比奈「あぁ、なるほど」
不知火「納得したよ」
十六夜「なんか失礼なこと言われてる気がするんだよなぁ……」
不知火「うん?」
十六夜「まぁいいか。毎度のことだけど、ありがとな、助かったよ。早速、課に戻って捜査会議にかける。」
不知火「あぁ、おつかれさま。」
十六夜「じゃ、お二人さん。また明日。」
朝比奈「お疲れ様です」

十六夜が去る。

朝比奈「さて! じゃぁボクたちも準備しなくちゃですね!」
不知火「気が早いなぁ。まだ昼間だぞ?」
朝比奈「備えあれば憂いなし、ですよ! 先生。」
不知火「……はぁ。」
朝比奈「レトロをどうギャフンと言わせてやりましょうかねぇ…。」
不知火「目的が変わってないか?」
朝比奈「そんなことないですよ。ロープでしょ、懐中電灯でしょ、ガムテープでしょ…あ、そうだ先生。」
不知火「うん?」
朝比奈「あのおっきい網ってどこに仕舞いましたっけ?」
不知火「…張り切りすぎるなよ。」

暗転。 

2場

役者は会場外から登場(仮)。

十六夜「うわ…」
朝比奈「わー、人がいっぱいですね!」
不知火「新聞に載っていた暗号を解いた皆さんが集まっているんだろう。私たちのようにね」
朝比奈「なるほど」
十六夜「しかし、これは…警備が追いつくかな」
不知火「そういえば、警官隊は外に配置するだけなのかい? 建物内は?」
十六夜「いやー、それが会場の責任者の意向でな…。建物内には警官隊を入れるなと」
朝比奈「えー、なんでまた」
十六夜「自分が首飾りを死守してみせると息巻いているんだと」
不知火「ふぅん。その責任者は一体どこに」
十六夜「もういらっしゃってるはずだが…おーい!」

舞台上から鬼龍院が登場。

鬼龍院「はーい。警部さんでしょうか?」
十六夜「鬼龍院さんでお間違いありませんな?」
鬼龍院「はい。お待ちしておりました、鬼龍院レイカと申します。」
十六夜「警部の十六夜です。いやー、あなたほどの美しいお嬢さんとお知り合いになれるとは…警部やっててよかったー!」
鬼龍院「いえいえ、そんな…」
不知火「おや?」
鬼龍院「あれ、そちらは…あっ。」
不知火「ごきげんよう、鬼龍院嬢。」
鬼龍院「不知火さま!」
十六夜「えっ知り合い?」
不知火「1ヶ月ほど前に、榊エンターテインメントの新作披露パーティーがあっただろ。」
十六夜「あぁ、社長の榊祥三が殺害された?」
不知火「その時に、ちょっと」
鬼龍院「不知火さまに、助けていただいたんです!」
不知火「当然のことをしたまでですよ。」
鬼龍院「それでも、とっても感謝しているのです。改めてお礼を申し上げます、不知火さま。(綺麗なお辞儀をする)」
不知火「いやいや、お気になさらずに。」
十六夜「…ふーーん…。」
不知火「なんだい」
十六夜「…綺麗なお嬢さんに出会えたと思ったら、またお前に先越されてて…ほんとお前…なぁ…おい…。」
不知火「はぁ?」
十六夜「いや! 大丈夫だ! 俺はあきらめないからな!!」
不知火「何の話だい」
朝比奈「(小声で)先生のニブチン!」
不知火「え?」
朝比奈「(知らんぷり)」
十六夜「レイカさん、それで、首飾りは」
鬼龍院「首飾りなら、ここです!(首元を見せる)」
十六夜「ほう…」
不知火「それが、怪盗レトロの予告状にあった首飾りですか?」
鬼龍院「はい。」
朝比奈「わー、これ宝石ですか?」
鬼龍院「そうなのです。龍の涙と呼ばれている宝石です。」
十六夜「美しい女性には、美しい宝石がよくお似合いですなぁ!」
鬼龍院「あ、ありがとうございます…。この首飾りはですね、鬼龍院家の娘に受け継がれてきた家宝なのです。」
不知火「そんなに大事なものなのであれば、厳重に保管しておいたほうが良いのでは?」
鬼龍院「私の代では、ずっとこの会場に展示して多くの人の目に触れるようにしていたのですが…ショーケースに入れて守るよりも、こうして身につけて自分の手で守りたいと思ったのです。」
朝比奈「アクセサリーは、身につけてこそですよ、先生。」
十六夜「そうだぞ不知火!」
不知火「まぁ、それはそうだけれどね。…鬼龍院嬢。」
鬼龍院「はい。」
不知火「(白い手袋を装備しながら)間近で見ても?」
鬼龍院「えぇ、構いませんよ。」

鬼龍院が不知火に首飾りを渡す。

不知火「確かに…美しい首飾りですね。」
鬼龍院「はい。…鬼龍院家の女性は、生まれたときから、この首飾りの似合う淑女になれと教育されるのです。今はこうしてわたくしの手元にありますが、受け継ぐためにどんな努力もしてきました。…この首飾りは、わたくしの、レディーとしての誇りでもあるのです。」
不知火「努力をされてきたあなたに、よくお似合いですよ。」
鬼龍院「あ、ありがとうございます…! 不知火さま!」
朝比奈「……。」
十六夜「俺とあいつとでどうしてあんなに違うんだ…。」
朝比奈「スマートさじゃないですか?」
鬼龍院「あの、不知火さま!」
不知火「なんでしょう。」
鬼龍院「一つ、お願いがあるのです。」
朝比奈「お願い?」
鬼龍院「はい。わたくしに、怪盗レトロを捕まえるお手伝いをさせて頂けませんか?」
不知火「お手伝い…ですか。」
十六夜「な、なにっ」
朝比奈「先生にはもう、ボクという優秀な助手がいるんですけど!」
不知火「何張り合ってるんだよ…」
鬼龍院「わたくし、本当に、不知火さまに感謝しているんです。朝比奈さんには及ばないでしょうが、お手伝いさせて頂けませんか?」
不知火「そうは言っても…あなたのような方に、危険な真似をさせるわけには」
十六夜「そうですよレイカさん! ここは俺や不知火たちに任せて、あなたは安全な場所へ…」
鬼龍院「いいえ。これでもわたくし、この建物の一切を任されている身です。この建物のことは誰よりもわかっています! きっとお力になれるはずです。」
不知火「それは…確かに、そうなんですけれども。」
鬼龍院「それに…この大切な首飾りを守るのに、ゆっくり腰を下ろしていることなんてできません。…わたくしが一番、わたくしの誇りを守りたいと思っているのです。」
不知火「鬼龍院嬢…。」
十六夜「レ、レイカさん…。」
不知火「…わかりました。」
朝比奈「先生!?」
不知火「あなたがそこまで仰るなら、少しだけお力添えをお願いしたい。…構いませんか?」
鬼龍院「! …えぇ、もちろんなのです!」
不知火「朝比奈クン。鬼龍院嬢のサポートを頼む。」
朝比奈「で、でもぉ…」
不知火「私が信頼を置いているキミにしか頼めないことだ。…お願いできるね?」
朝比奈「まぁ、ボクは先生の優秀な助手ですからね!!」
不知火「感謝するよ、朝比奈クン。」
十六夜「おぉ、コロッと」
不知火「そこが朝比奈クンの可愛いところさ。」
鬼龍院「宜しくお願いします、朝比奈さん。」
朝比奈「任せてください! ボク、これでもちょっとだけ人より五感が鋭いんです。」
不知火「朝比奈クンなら、この大勢の客の中から、怪盗レトロを見つけ出すことができますよ。」
鬼龍院「あら、どうしてなのですか?」
朝比奈「予告状です。」
不知火「レトロが予告状に手がかりを残しているんです。それを辿れば、必ずあの怪盗を見つけることができるはず」
鬼龍院「まぁ…!」
十六夜「ご安心ください、レイカさん。かのコソ泥は、この十六夜が! この手で! 捕まえてみせますよ。」
鬼龍院「心強いです。朝比奈さんも、予告状の香りを辿るなんてわんちゃんみたいでとても可愛いのです。」
朝比奈「なんでだろう、あんまり褒められている気がしないですね…」
十六夜「まぁ、犬っぽいのは…」
不知火「否定できないけれどもね」
朝比奈「ひどーいせんせー!」
不知火「私じゃないよ。十六夜クンがだね」
十六夜「いや、お前も肯定しただろ!」
不知火「いや十六夜クンが」
朝比奈「どっちでもいいから、それ以上言うとデコピンしますよ」
不知火「嫌だよ、朝比奈クンのデコピンはものすごく痛いんだから」
朝比奈「フンッ」

3場

十六夜「さて…さすがにこの中からレトロを探すのは骨が折れるぞ。」
不知火「安心したまえ十六夜クン。目星はついてるさ」
十六夜「本当か!?」
不知火「予告状にあっただろう? 上、下とね。」
十六夜「あ、あぁ…。」
鬼龍院「どういう意味なのですか?」
不知火「簡単ですよ。朝比奈クン、この会場は大会議室って名前だけど、何か気になるものはないかな?」
朝比奈「気になるもの…ですか。」
不知火「うん。」
朝比奈「設備でってことですよね…‥(見回す)あ、ステージがありますね。」
不知火「そうだね。舞台には右側と左側を表す言葉があるのを知っているかい?」
朝比奈「テレビで見たような……えっと…確か…上手、下手…でしたっけ?」
不知火「そう。私たちから見て左側が上手。右側を下手と呼ぶんだよ。」
十六夜「それがどう関係してくるんだ?」
不知火「字で書くとわかりやすいけど、上手、下手は漢字で上の手、下の手って書くんだよ。」
十六夜「おお…?」
鬼龍院「なるほど…。」
朝比奈「あぁ、なら簡単ですね! この予告状を、書いてあるとおりに傾ければ…」
不知火「あとは、その予告状が教えてくれるさ。」
朝比奈「予告状に書いてある装飾はほとんど白抜きですが、一箇所だけ黒抜きの場所があります。ここにレトロが居るんですね!」
不知火「ご名答。」
十六夜「てことは…。」
朝比奈「あっちですね!」

慌ててレトロの居るであろうブロックまで走る十六夜と朝比奈。

十六夜「お前か! それともお前か!」
鬼龍院「け、警部さんそんな乱暴に」
十六夜「もしくはお前か!」
不知火「鬼龍院嬢は私の後ろへ」
鬼龍院「あっ…はい!」
朝比奈「……。」
十六夜「吐けぇ~~~~!! お前がレトロだな!?」
不知火「落ち着くんだ、十六夜クン。」
十六夜「落ち着いていられるか! この中にレトロがいるんだぞ!」
鬼龍院「……。」
不知火「朝比奈クン」
朝比奈「はい、先生!」
不知火「……。」

朝比奈、匂いを嗅ぐ仕草。

朝比奈「こっちですね」
不知火「あぁ」
朝比奈「ふんふん……。わかりました」
不知火「ふふ、さすがは私の優秀な右腕だ。」
朝比奈「えへへ…」
不知火「じゃぁ、同時にいこうか。」
朝比奈「はい、先生!」

レトロの目の前に立つ二人。

朝比奈「怪盗レトロは」
不知火「あなたですね?」(同時に指をさす)
レトロ「……え?」
朝比奈「あなたから、予告状と同じ金木犀の香りがします」
レトロ「か、香り?」
不知火「それにそのコート。今は真夏ですよ。そんなに着込んでいるのは不自然だ。」
レトロ「さ、寒がり…なんです。ぼぼ僕が、レトロ…なんて…。」
不知火「嘘だね。首元に汗が浮いている。」
レトロ「ひ、冷や汗です!」
不知火「本当に? …そのコートを脱いでみてはいかがかな? なんなら手伝ってさしあげても、いいんだ…よ!(レトロに覆い被さろうとする)」
レトロ「(するりと抜けて)…遠慮しておこうかな」

捕まえようとするが暗転。
暗転中そこかしこから聞こえてくる声。

十六夜「うわっなんだ見えないぞ! どこだー! レトロはどこだー!」
不知火「照明に細工を…!?」
朝比奈「うわぁんせんせー! 暗いよー! せんせー!」
不知火「大丈夫だ、朝比奈クン。懐中電灯を持ってきていただろう?」
朝比奈「はい! (カバンを漁る)か、懐中電灯…懐中電灯……あれ?」
不知火「どうした?」
朝比奈「懐中電灯がなくなってます! た、確かに入れたはずなのに……」
不知火「なに?」
鬼龍院「きゃっ」
不知火「鬼龍院嬢!?」
十六夜「レイカさん! どうしましたか!?」
鬼龍院「い、いま何か…」
十六夜「まさか」
不知火「レトロか!」
十六夜「照明を! 照明を早くー!!」

4場

舞台上だけ照明。(スポットだと尚可)
舞台上に立っているレトロ。

レトロ「龍の涙の首飾り、確かに頂戴いたしました。美しいお嬢さん。」

レトロは鬼龍院から奪った宝石を高く掲げている。

鬼龍院「怪盗レトロ…!」
不知火「やぁ、また会ったね。手癖の悪い怪盗クン。」
十六夜「レトロめ! すぐに逮捕してやるぞ! 現行犯逮捕だ!」
レトロ「わぁ怖いですね。早々に撤退しなくては。」
十六夜「なめてんのか」
レトロ「そんなまさか。そんなことよりも、お見事でした、名探偵殿。まさか、こんな大観衆の中から私を見つけるとは思いもよりませんでした。」
不知火「よく言う。これから始まる大捕物をその大観衆に見せたいがために、ここまでヒントを出したんだろう? 目立ちたがりめ。」
レトロ「おや、なんのことでしょうか。」
不知火「予告状だよ。暗号自体もそうだが、あの香りもヒントだったんだろう?」
レトロ「……ヒント、というほどのものでもありませんが…。しかし、どうせなら、気づいて欲しいじゃないですか。」
朝比奈「…なんですかそれ。」
レトロ「何らかの仕掛けを施す人間というのは、本当は、皆誰しも誰かに気づいて欲しいと思っているのです。そうでなければ、仕掛けた意味がありませんから。」
不知火「まぁ、実際に気がついたのは、この朝比奈クンだがね。」
レトロ「そうなんです、驚きました。まさか香りだけであの距離から私を特定できるなんてね。名探偵殿はとても優秀な相棒をお持ちのようだ。」
朝比奈「それほどでもありますけどね。」
不知火「朝比奈クンは、私の自慢の右腕なんだよ。」
朝比奈「…褒めても何も出ませんよ?」
不知火「事実を述べただけだよ。さぁ怪盗クン、その首飾りを返してもらおうか?」
十六夜「大人しく返せば、この場は見逃してやってもいいぞ?」
レトロ「やだなぁ、せっかく手に入れたものを、そうやすやすと返すわけないじゃないですか。」
朝比奈「まー、そりゃそうですよね。」
レトロ「それに、この建物の周囲を警官隊が包囲していることも知っています。返したところで、逃がす気なんてないでしょ?」
十六夜「てへへ、バレちゃった!」
不知火「可愛くないぞ」
十六夜「可愛いだろ!」
朝比奈「気持ち悪い」
不知火「とにかく、私たちもキミをそう簡単に逃がすつもりはないんだ。」
レトロ「逃がすつもりがあってもなくても、私は捕まりませんよ。」
朝比奈「大口叩けるのもそこまでですよ! せぇいっ!!」

用意していた網を投げる朝比奈。
はじき返して朝比奈に網が被さる。

朝比奈「わわっ助けてせんせー!」
不知火「朝比奈クン…。」
レトロ「囚われの姫君を助け出してあげてくださいね、王子様。」
朝比奈「ひ、姫…!?」
十六夜「待てー!!」
不知火「よし、解けたぞ」
朝比奈「行きます!」
不知火「あぁ」

レトロを追いかける。
挟み撃ちにしようとするが、するりと逃げられてしまったり。
アドリブを挟みつつ進行してください。

十六夜「くっそーしぶといな…」
朝比奈「こっちの体力の消耗を狙ってるようにも見えますね」
不知火「実際そうだろうね…ここいらで決着をつけなければ」
鬼龍院「…わたくしに任せてください。」
十六夜「レイカさん!?」

レトロの軌道を予測する形で鬼龍院が先導して先回りする。
通路など、少し狭いところで追い詰める。

鬼龍院「首飾りを返してください!」
朝比奈「もう逃げられませんよう!」
十六夜「確実に捕まえてやる」
レトロ「皆さんお揃いで…これはちょーっと、分が悪いかもしれませんね」
不知火「観念したらどうかね。」
レトロ「そうですね。聡明なお嬢さんたちに免じて、この首飾りは諦めることにします。」
十六夜「おぉ、本当か!」
レトロ「えぇもちろん。私も負けが決まった勝負はしたくないので。」
朝比奈「本気…ですかね。」
不知火「どうだか。食えないヤツだからな」
レトロ「もちろん本気ですよ。ただ…捕まってあげるつもりは、ありませんけどね!」

レトロ指パッチン。
同時に暗転。

十六夜「ぐあっまたか!」
朝比奈「暗いのやだー! ふざけんな懐中電灯どこやったんだよレトロー!」
不知火「朝比奈クン、こっちに。」
朝比奈「は、はぁい…」
不知火「十六夜クンと鬼龍院嬢は、落ち着いて近くの壁に寄ってください!」
十六夜「お、おう!」
鬼龍院「わ、わかりましたぁ」
不知火「……。」

明転。

不知火「まさか同じ手を二度も食うとは…」
鬼龍院「不知火さま! 首飾りが…」

扉の前で座り込んでいる鬼龍院の首元に、首飾りが着けられている。

不知火「おや…。」
朝比奈「戻ってきたんですね!」
鬼龍院「そうみたいなのです。本当に良かった…」
不知火「……良かったですね。」
鬼龍院「えぇ! みなさんのおかげなのです。」
十六夜「いやぁそれほどでも…!」
朝比奈「…警部! レトロは」
十六夜「そうだ! レトロはどこに逃げやがったんだ!」
鬼龍院「あっ…警部さん、この扉です。 この扉から逃げていってしまったのです!」
十六夜「なに、逃がすか!」
朝比奈「追います」
不知火「よろしく」

十六夜と朝比奈がレトロを追いかけて会場の外へ。

不知火「大丈夫ですか、鬼龍院嬢。」
鬼龍院「わたくしは大丈夫です。それよりも…」
不知火「レトロなら、十六夜クンと朝比奈クンが追いかけてくれています。」
鬼龍院「不知火さまはいいのですか?」
不知火「…女性を一人残すなんてできませんよ。」
鬼龍院「まぁ。申し訳ないのです。わたくしのせいで…」
不知火「とんでもない。じきに戻ってくるでしょうから、少し休んでいましょう」
鬼龍院「はい。…不知火さまは、お優しいのですね。」
不知火「女性には紳士的に振舞わないと、怖―い助手が教育的指導を施してくるんですよ」
鬼龍院「ふふ。おふたりは、仲が良いのですね。朝比奈さんが、少しだけ羨ましいのです、」
不知火「……家族みたいなものですよ。」

5場

十六夜が戻ってくる。

十六夜「くっそ、逃がしちまったそうだ。」
不知火「朝比奈クンは?」
十六夜「あぁ、しばらく会場の周りでレトロの痕跡を探してみるってさ。」
不知火「そうか…。」
十六夜「レイカさん、申し訳ありません。我々の力が足りずこんな結果に」
鬼龍院「いいえ、いいのです。こうして首飾りは手元に戻ってきましたし」
不知火「……。」
十六夜「仕方ない、今日のところは引き上げるか…。な、不知火」
不知火「十六夜クン」
十六夜「なんだ?」
不知火「後の処理は頼んでも構わないかい? 私はまだ、他に…やることがあって」
十六夜「それは構わないが…。 ……あっ!!」
不知火「?」
十六夜「お前!!! レイカさんとふたりきりになろうったって、そうはいかないぞ!!」
不知火「はぁ? 何を言っているんだねキミは。会場内の点検だよ。」
十六夜「えぇぇ…。」
不知火「さ、わかったならホラ、帰った帰った。あとは任せたから。」
十六夜「信じられるかそんなん!!」
不知火「信じてくれよ、親友だろう?」
十六夜「うっ…」
不知火「心配しなくても、キミの思っているようなことは一切ないぞ。断言する。」
十六夜「ほ、本当か?」
不知火「本当。」
十六夜「お前、お前ほんとなぁ…! 信じるからな!! 何もするなよ!!!」
不知火「だから、何もないと言っているのに…。」

十六夜が去る。(男泣きで)

鬼龍院「不知火さま?」
不知火「さて、と…」
鬼龍院「何か、気になることでもあったのですか?」
不知火「まぁ、そうですね。気になることと言えばそうです。」
鬼龍院「あら。どこなのです?(会場内を見渡す)」
不知火「……。」
鬼龍院「不知火さま? わたくし、お手伝いします!」
不知火「その必要はありません」
鬼龍院「……え?」
不知火「鬼龍院嬢。私には今、どうしても解けない謎があります。」
鬼龍院「ナゾ…ですか?」
不知火「えぇ。」
鬼龍院「不知火さまにも解けないナゾなのですか?」
不知火「そうです。きっと、答えはあなたしか知らない…。」
鬼龍院「わたくしだけ、…ですか?」
不知火「えぇ、そうです。」
鬼龍院「まぁ、どんなナゾなのでしょう!」
不知火「……。不可解なことが、3つあります。一つ目は、あなたが私たちの捜査に協力すると提案したとき。あのとき、私は「朝比奈クンの力でレトロの予告状の手がかりを辿る」としか言わなかったのに、あなたは「朝比奈さんが香りを辿るなんてわんちゃんみたい」と言いました。香りを辿るなんて、一言も言っていないのにもかかわらず、です。」
鬼龍院「そうだったかしら。すみません、よく覚えていなくて。…けれど、もしそうだったとしても、きっと、偶然言い当てられてしまっただけなのです。」
不知火「二つ目は、あなたが怪盗レトロをわざと逃がしたこと。」
鬼龍院「逃がしたわけではないのです…逃げられてしまったのですよ?」
不知火「そうでしょうか? 二度目の照明が落ちる前、あなたは怪盗レトロが逃げた扉の目の前にいました。暗闇の中であの扉を開けるには、あなたを扉の前からよける必要がある。ですが、暗転中、あなたとレトロがぶつかるような音もなく、声もなく、あなたはただこの扉からレトロが逃げた、と証言しただけ。明らかに不自然です。」
鬼龍院「仕方ないのです…。怖くて、体がすくんでしまったのですから……。」
不知火「そして三つ目。あなたの持っている、その首飾り。精巧に作られた偽物です。けれどあなたは気がつかない振りをしている。」
鬼龍院「あら。これは本物ですよ。代々見守ってきたわたくしが保証します!」
不知火「本当に?」
鬼龍院「えぇ!」
不知火「嘘です。この首飾りが盗まれる前と後で、首飾りの揺れ方が微妙に違います。」
鬼龍院「そんなの、不知火さまの考えすぎでは?」
不知火「いいえ、考えすぎではありません。先ほどあなたを助け起こしたときに、首飾りの重さを確かめました。わずかですが、盗まれたあとの首飾りの方が軽くなっていました。」
鬼龍院「……。」
不知火「それだけではありません。…朝比奈クン」

朝比奈が出てくる。

朝比奈「はい、先生。」
不知火「ずっと聞いていたんだろう、なんで黙っていたんだい。」
朝比奈「大事なお話みたいなので、邪魔してはいけないと思って…」
不知火「キミが邪魔になることなんてないよ。さぁ、キミならわかっていただろう。盗まれる前後の首飾りの違いが。」
朝比奈「……色です。」
鬼龍院「え?」
朝比奈「首飾りについていた龍の涙。あんなに綺麗な石だったのに、盗まれたあとは、その色が濁ってしまっていました。」
鬼龍院「どうしてそう言い切れるのです? あなたには、それがわかると。」
朝比奈「わかってしまうんです。わずかだけど、色の出方や輝きが違うから。」
不知火「朝比奈クンは常人よりも少しだけ五感に優れています。十六夜クンの目は誤魔化せたかもしれませんが、私たちの目は誤魔化せません。」
朝比奈「……。」
鬼龍院「そうですか…。」
不知火「この3つの不可解な点から、考えられることは一つ。怪盗レトロによる首飾りの奪取は、全てあなたの手引きによるものだった。……違いますか?」
朝比奈「……。」
鬼龍院「……ふふ。お手上げです。全て、不知火さまの仰るとおりですよ。」
不知火「そうですか。でも、私には、一つだけわからないことがあります。」
鬼龍院「あら、それはなんでしょうか?」
不知火「なぜ、あなたはこんなことをしたんですか? なぜ、怪盗に協力してわざと家宝を盗ませるような真似をするんです。あなたはあれを、とても大切に扱っていたように見えました。それなのに、なぜ?」
鬼龍院「……。」
不知火「答えて頂けませんか? 鬼龍院嬢。」
鬼龍院「……それはね、確たる目的があったからなのですよ。」
朝比奈「目的?」
鬼龍院「えぇ。(朝比奈の方を向いて)あなたにもわかりませんか? あなたは不知火さまをとても慕っているようですが、そのあなたにも、わからないのでしょうか? わたくしの心は。」
朝比奈「……。」
不知火「説明してください、鬼龍院嬢。一体どういうことですか?」
鬼龍院「……あなたに見つけて欲しいがために、少しヒントを出しすぎてしまったかと思っていましたが…人の気持ちというものは、やはり上手く伝えられないようですね。」
朝比奈「…ヒント?」
鬼龍院「えぇ。わたくしも、怪盗レトロと同じですよ。」
不知火「同じ、とは…」
鬼龍院「不知火さま。あなたに気づいて欲しくて、わたくしを見つけてほしくて堪らなくて、ついこんな真似をしてしまいました。」
朝比奈「なぜですか。」
鬼龍院「なぜ? 決まっているでしょう、もう一度不知火さまにお会いしたかったからなのです!」
不知火「そ、そんなことのために…あなたは、犯罪の片棒を担ぐような真似を?」
鬼龍院「わたくしにとっては、そんなことではないのです。…いくら名探偵と言えど、さすがに人の心までは推理することができないのですね。」
朝比奈「先生のことを愚弄するのは、やめてください。」
鬼龍院「とんでもないです、朝比奈さん。わたくしは嬉しく思っているのですよ。おかげで、わたくしの気持ちをきちんと言葉で伝えることができるのですから。」
朝比奈「……。」
鬼龍院「不知火さま。」
不知火「……はい。」
鬼龍院「一ヶ月前、わたくしがあなたに助けていただいたとき。あの時から、わたくしは、ずっと不知火さまをお慕い致しておりました。助けていただいたこと自体は、もちろんなのですが…ですがそれよりも、わたくしの心を虜にしたものがあります。……謎を解き明かす、あなたの、あの瞳の奥でゆらりと燃え盛る黒い炎が……あの時からずっと、わたくしの心に張り付いて離れないのです。」
不知火「鬼龍院嬢…。」
鬼龍院「だから、あなたに会いたくて、もう一度、目の前であの黒く揺らぐ炎が見たくて…あなたに喜んで頂きたくて、この舞台を用意したのです。いわば、この舞台は、この謎は、わたくしからあなたへのプレゼントなのです!」
朝比奈「…気味が悪い。」
鬼龍院「不知火さま。あなたの瞳の奥の炎は…とびきりの謎を、今か今かと舌なめずりをしながら待ち続けているのです。あなたが探偵なのは…あなたを興奮させる素敵な謎を孕んだ事件を、待ち続けているから…。わたくしにはわかるのです。あなたの気持ちが。あなたの心が。」
不知火「…やめてください…。」
鬼龍院「わたくしはあなたの理解者です。愛しています、不知火さま。きっと次は、もっともっと、素敵な謎をご用意してみせます。怪盗の暗号なんかじゃ、やっぱり簡単すぎてしまいましたものね。もっと大きな謎でなくては、あの時のようなあなたを、たくさん見られない…。」
不知火「やめてください、鬼龍院嬢!」
鬼龍院「………愛していますよ、不知火さま。」

鬼龍院が去る。
追いかける朝比奈。
崩れ落ちる不知火。

鬼龍院「…なんの御用ですか。」
朝比奈「あなたは、間違っています。」
鬼龍院「そうかしら。何が正義で、何が悪かなんて、自分が決めるものなのですよ。わたくしは、わたくしの正義に、逆らったことはしていません。」
朝比奈「いいえ。あなたは間違っています。だって、あなたは先生を傷つけたから。」
鬼龍院「…ふふ、あなたは本当にご主人様に忠実なわんちゃんですね。」
朝比奈「あなたが本当に先生のことを愛しているのなら、これ以上、先生を傷つけるようなことはしないでください。……あの人は、本当は弱い人だから…。あなたなんかが、触れて良い人じゃない。」
鬼龍院「傷つけることなんてしていませんよ。真実をつきつけただけ。名探偵は、真実を求めるものでしょう?」
朝比奈「例え、そうだったとしても…あなたが先生を侮辱した事実に変わりはない。先生は、…先生は、かつて一人だったボクを、救ってくれた恩人なんです…。ボクの恩人を侮辱したあなたを、ボクは絶対に許しません。」
鬼龍院「……いずれまた、あなたたちにお会いする日が来るでしょう…。その時には、もっと大きな謎をあなたたちにプレゼントします。だからどうか、楽しみにしていてね?」
朝比奈「……。」

鬼龍院が去る。

エピローグ

事務所。
新聞紙を顔の上に乗せてぼーっとしている不知火、
掃除機をかけている朝比奈。

不知火「……。」
朝比奈「先生、そこどいてくれません?」
不知火「……。」
朝比奈「先生、どいてってば」
不知火「……。」
朝比奈「先生、聞いてますか?」
不知火「聞いてない」
朝比奈「聞こえてるじゃないですか! 正直邪魔なんで、そこどいてもらえません?」
不知火「いやだー」
朝比奈「いやだーじゃなくて! 子供ですかアナタは…。」
不知火「はいはい、どうせ朝比奈クンよりも子供ですよ私は」
朝比奈「べつにそこまで言ってないですよ」
不知火「うん……。」
朝比奈「どうしちゃったんですか先生? 今日は依頼も断ったりするし…。」
不知火「うん、ちょっと、忙しくてね。全部の依頼を受けることはできないんだよ。」
朝比奈「今の今までソファーで寝てた人がそれ言います?」
不知火「寝ていたわけじゃないよ」
朝比奈「……本当ですかね(新聞を手に取る)」
不知火「あっ」
朝比奈「わー、これ、昨日のレトロの事件が載ってるんですね! 『名探偵不知火秀一、またも怪盗レトロの犯行を阻止!』」
不知火「……。」
朝比奈「(しまったと言う顔)……。らしくないですよ、先生。」
不知火「なんでもないから、気にしないでくれ。」
朝比奈「なんでもなくなんか、ないくせに…。」
不知火「……。」
朝比奈「先生の大好きなコーヒー。もう冷めちゃってますよ。」
不知火「……忘れてたんだよ」
朝比奈「読みかけの本を裏返しにして置くなんて、先生らしくもない。ページが折れちゃいますよ。」
不知火「…もう何度も読んだ本だし…。」
朝比奈「いつもファイリングだけは無駄に几帳面なくせに、今日はバラバラだし…‥。」
不知火「……。」
朝比奈「ペンの芯だって出っぱなし。インク、乾いちゃいますよ?」
不知火「……。」
朝比奈「…また寝たふりですか?」
不知火「寝てないよ。」
朝比奈「たぬき寝入りって言うんですよ、それ。都合悪くなった人が使うやつです」
不知火「………朝比奈クン、今日は妙に手厳しくないか?」
朝比奈「どうですかね。なんでもないので、気にしないでください。」
不知火「(しょんぼりする)……。」
朝比奈「………嘘ですよ?」
不知火「なにが?」
朝比奈「なんでもなくないです。ちょっと面白くないです。」
不知火「なんで?」
朝比奈「……先生が、一人でなんでもできるみたいな顔してるから…」
不知火「……そんなことないよ。」
朝比奈「嘘です。先生っていっつもそう。一人で背負い込んじゃうんですよね。ダメなときくらいダメって言えばいいのに、かっこつけちゃってさ…。」
不知火「………。」
朝比奈「先生。ねぇ、聞いてますか? 先生?」
不知火「………。」
朝比奈「先生…?」
不知火「……。」
朝比奈「先生ってば……。」
不知火「……。」
朝比奈「(デコピンをお見舞いする)…。」
不知火「いてっ」
朝比奈「……。」
不知火「ひどいよ、朝比奈クン……。」
朝比奈「ふふ。ごめんなさい。…ほんと、先生ってば…。仕方のない人ですね。」
不知火「…悪かったね」
朝比奈「(テーブルの上で何かを書いている)……。」
不知火「…朝比奈クン?」
朝比奈「できた! じゃ、ボクは夕飯作るんで。依頼断っちゃって暇で暇で仕方ない先生はこれでも解いて待っててくださいね?」

朝比奈が去ってしまう。
テーブルの上に置いていった紙を拾い上げる不知火。

不知火「これは……。アナグラム?」

不知火「(考え始める)こことここを並び替えて……次は……ふ、簡単だね。すぐに解き終わってしまうよ……。」

不知火「なになに……。」

メモの暗号を読む不知火。
ハッとして朝比奈を追う。

楽しそうな会話が聞こえてくる。
呼び鈴を鳴らす音が聞こえてきて…。

幕。

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