#20 honesty

こんにちは。久しぶりの更新です。

昨日まで、実家に帰省していて、実家でくつろいだり、友達と遊んだりと今回も充実した帰省を送ることが出来た。

あくまでも主観だけど、今年は梅雨時期に雨が降らなくて、逆にお盆前後で雨が降って、なんだか季節が仕事していないなあとふと感じた。

気づけばもう8月下旬。

ついこないだまで年末年始だったのに、本当に歳を重ねるごとに時間の経過が早いと感じている。

これって一応名前があって、「ジャネーの法則」っていう名前があるらしい。

さて、前置きはこの辺にして。



昨日は、

「乃木坂46 真夏の全国ツアー2021~福岡公演~大園桃子卒業セレモニー」

が催された。

僕は、オンライン配信での視聴だったが、まあとにかく感動した。

#18の記事でも書いたが、僕はつい1か月半前に乃木坂46を気になり始めたばかり。

そんな新入りほやほやの僕が、大園桃子さんの活躍・経緯を生で追っていなかった僕が、なんと泣いてしまった。

やばくない?このアイドル。

まあよくよく考えてみれば、武井壮でも乃木坂46の攻略法をなかなか思い浮かばないくらいだから、僕が勝てるわけなかった。昨日は完敗だった。(下の動画参照)

そんな昨日のLiveで、どこに感動したのか?

1回目のライブ配信は17時半から20時半まで。

そしてその直後の21時半から24時半まで1回きりのリピート配信。

1回目のライブ配信は、なんせアイドルのLiveを視聴すること自体が初めてだったから、「どういうLive配信をするのか?」ということを自分の本能にしたがって、視聴した。

前述したように、その結果として、僕は感動して泣いてしまった。

感情を分解していくことで、言語化していくことで、僕は改めて自分が浮かび上がり、自分らしさのアップデートに繋がると思う。

だからこそ、2回目のリピート配信では、「なにが僕を感動させたのか?」という客観的な視点から視聴した。

2回目を見る前は、1回目のLive配信から時間を空けて視聴したいなとも思っていたが、敢えてすぐ見直すことによって、1回目の気持ちを思い出しながら見ることが出来たから結果的に良かった。

その分析の結果、僕がこのLiveを経て、感動したことは4つあった。

①生き様を変えてくれるアイドル


まず1つ目はこれ。

#18の記事でも書いたように、言ってしまえば、「乃木坂46」というのは、こちらから見れば、「ただのアイドル」かもしれない。

でも、アイドル本人から見れば、もちろん人生を懸けている。

それが昨日、改めて確信へと変わった。

昨日のアンコール前、最後の楽曲の「ごめんねfingers crossed」を歌う前の遠藤さくらさんの涙ながらのMC。


2回目のセンターということで、ずっと考えていたのは、「こんな私が乃木坂のセンターでいいのかな?」「先輩方に迷惑をかけていないのかな?」ということ。

そのようなセンターへの重圧を抱えながらも、Liveやテレビ番組で披露する際は、毎回、「どうだったかな?」「もっと出来たんじゃないのかな?」と反省があるそう。

でも、そうやって曲と向き合い続けてきたことで、「出来ないからもういいや」ではなく、「悔しい」「もっと頑張りたい」という気持ちへと変わったそう。


こんな感じの内容だったと思う。

センターになるということは、自分がそのアイドルの顔になるという喜びと同時にプレッシャーを抱く。

そうしたプレッシャーに押しつぶされることなく、むしろそれをバネにして「やるしかない」と腹を括り、ただただ高みを目指していく向上心が素晴らしいと思った。


また、大園桃子さんもそう。

昨日のライブのアンコールの直前にこれまでの大園桃子さんの経緯の動画が流れた。

最終オーディションに合格した後なのに、喜んでいない。3期生お見立て会では、涙ながらの自己紹介。

「できない自分に敏感で、感情に嘘もなかった。」 

言ってしまえば、アイドルとしてやっていけるのか?と感じるくらい“弱い女の子”だと感じた。

けれども、「三番目の風」のMV撮影や「逃げ水」でのWセンターを経て、表情にもゆとりが生まれた。

時には、立ち止まることもあったが、別れが惜しい先輩ができ、好きな後輩も出来た。

もともと、大園桃子さんは乃木坂46を知らない状況で、オーディションを受けて“しまった”そうである。

そうした0の状況から、本人も最後の最後で話していたように、『乃木坂46になれた』から卒業をしたのではないかなと個人的に解釈している。


遠藤さくらさんにしても、大園桃子さんにしても、どちらにせよ、この乃木坂46というアイドルが自分の生き様を変えてくれたというのは間違いない。

もちろん他のどのメンバー、どのアイドルでも、それぞれのオリジナルのストーリーがあると思うからこそ、これからも見守っていきたいと思った。


②リスペクト

次に2つ目はこれ。

昨日のLiveの中盤のMCで4期生から1期生への質問コーナーがあった。

そこで、柴田柚菜さんが質問した。

私たちにももうすぐ後輩が出来ますが、これから乃木坂を繋い繋いでいくものとは?

という質問だった。乃木坂46というグループ全体を俯瞰した鋭い質問。

これに対して、星野みなみさんは答えた。

特にこれ!と言って、繋いできたものはないかもしれないけど、「お互いを褒め合うこと」を大切にしてきた。

これが今まで乃木坂46を繋ぎ、ここまで大きなグループにしたものだったんだなと気づいた。

お互いを褒め合う→尊敬する→リスペクト ということでまとめたが、これは本当に強い人間や組織では必ずあるものだと僕は感じた。

組織という集団で行動すれば、必ずすれ違いは生じる。

自分が思っていることと真逆のことを相手は考えているかもしれないから。当然である。

それに対して、否定してしまうことは簡単であるが、それをしてしまうと、その組織は崩壊してしまう。

だからこそ、そうしたお互いの違いを認め合い、尊重し合い、褒め合う。

そうしたリスペクトの積み重ねが組織を作るのではないのかなって感じる。

これは、アイドルや会社、チームという組織だけではなく、個人レベルでも行えるものであると思う。

話は変わるが、2日前に「大分トリニータvs北海道コンサドーレ札幌」の試合を観に行った時のことだ。

札幌の選手のウォーミングアップが始まり、自身のサポーターがいるゴール裏に全員であいさつしていた。

そしてその後。

僕が座っていた席は、大分トリニータのサポーターばかりのバックスタンドの真ん中付近の席だったが、札幌の選手で1人だけこちらに挨拶してくれた選手がいた。

それは、小野伸二選手。

多くの選手がゴール裏の自分たちのサポーターに挨拶し、すぐさまウォーミングアップを始める中、小野選手は1人だけこちら側に対しても、深々とお辞儀をしてくださった。

小野選手は来月に42歳を迎えるベテランプレイヤー。そんな選手でも、いやそのような選手だからこそ、相手チーム、相手サポーターに対して、リスペクトの姿勢をしっかりと持っている素晴らしい選手であると感じた。


この2つの事例から、組織を構築するものはリスペクト。ただそれは、組織だけではなく、個人レベルでも行えるものでもある。ということを感じた。


③素直さ

そして3つ目はこれ。

Liveの終盤で乃木坂46のキャプテンの秋元真夏さんから大園桃子さんに向けられた言葉。


期の垣根を越えた、先輩・後輩同士の交流は、どうしても最初は、お互いに「心に鍵をしている」ことが多い。

だからこそ、後輩から「大丈夫ですか?」と聞かれた時に「大丈夫だよ」と無理してでも言ってしまう。

でも、桃子から心配された時に、桃子は「素直」で「飾らない」子だから、本音で話すことが出来た。

人の気持ちを柔らかくしてくれた。


要約するとこんな感じだったと思う。

まずは、秋元真夏さんの後輩へのリスペクトの姿勢。

②の項目の補足になるが、キャプテンが後輩に対して、こんなにもリスペクトしている。

後輩から見た先輩、特にキャプテンの背中って本当に大きいものだと思う。

そんな周りの目と「完成したキャプテンでなければならない」というプレッシャー・使命感に駆られる中、未完成の自分を曝け出すことの出来る後輩。

人間味のあるこの後輩とそれを信頼し、リスペクトできる先輩。この関係の偉大さをすごく感じた。

「弱みを言うことができる」人の存在ってめちゃくちゃ大きいと思う。


現在はそれほどでもないし、そもそも勝負を仕掛けないようになったが、僕は結構、負けず嫌いというか、相手がマウントを取ってきた時に、相手に負けじと自分も相手に勝負をしてしまうタイプである。

その結果、最終的には自分の調和性・協調性で引くことが出来る。

しかし、心の中では、マウントを取られてしまったと感じた段階で既になにかもどかしく、悔しい気持ちになる。

仮に相手側に全くそんな意図がなかったとしても、自分がそう感じてしまった段階で始まりである。

そんな自分であるが、逆に自分の弱みをさらけ出したくなる友達もいる。

そういう人たちの共通点として、

「話をよく聞いてくれる」「自らも弱みを出してくれる」

という、2点が浮かび上がってきた。

秋元真夏さんから見た大園桃子さんもこれではないのかなって思う。

大園桃子さんは素直で、自分を飾らないで、ありのままに表現する。つまり、大園桃子さん本人がすでに自らも弱みを出してくれていた。

だからこそ、秋元真夏さん自身もそんな素直な大園桃子さんに対して、自分を素直に出すことが出来た。

小学校の時に、「自分のして欲しいことを相手にもやりなさい」ということを先生が言っていた。

もちろん、場合によっては、お節介・ありがた迷惑になりうる可能性も存在するが、相手に何かをして欲しいときはまずは自分から行動することが大切だということを感じた。


④愛の形

最後はこれ。これが1番言いたかったこと。

やさしさとは
何なんだろう?
君に駆け寄る速さか
それとも落ちた涙を
一緒に拾うことか
愛の意味とその価値を
僕は考えたけど
答えが見つからなくて
ただ歩くしかなかった

やさしさとは
何なんだろう?
君を慰めることか
あるいは涙の理由(わけ)を
何も聞かないことか
今さらどうすればいいか
誰か教えてくれよ
正しい答えじゃなくて
今 信じられることを

アンコール後の「やさしさとは」の歌詞。
これで僕は涙を流しました。

やさしさとは何なんだろう?

考えたこともなかった。でも答えはないと思う。

その「やさしさとは」の大サビの前で、齋藤飛鳥さんから大園桃子さんへの言葉。


桃子が「乃木坂も悪くないな」って言ったあの時。

普通に聞いたら、「どの立場で言ってんだ」ってなるかもしれないあの言葉。

でも当時、ほんのちょっとだけ他の人より桃子のそばにいたから、桃子があの言葉を言っていた時の気持ちが痛いほどよくわかりました。

だけど、あの時、あんなに近くにいたのに、なんで私の力で「乃木坂っていいな」って思わせられなかったんだろうって、ずっと心残りでした。

力不足な先輩でごめんね。


そのまま引用。改めて文面を見返すと、偉大な齋藤飛鳥さんっていう先輩にこんなん言われて泣くのを我慢する方が難しいと思う。

ここでいう、やさしさ。寄り添い力。

齋藤飛鳥さん本人からすると、物理的に近くに寄り添って、背中をさすってあげることがやさしさではないのかもしれない。

寄り添うことに加えて、見えている本人の気持ちを変えてあげられる、そんなカンフル剤のような役割までをやさしさと定義しているではないだろうかと考えた。

これは、齋藤飛鳥さん本人でもおそらく分からないだろう。

だからこそ、「答えが見つからなくて、ただ歩くしかなかった。」ということだと思う。


また、「愛の形」という観点からはそれるが、「やさしさとは」という関連でもう1つ。昨日のライブで齋藤飛鳥さんはかなりいじられていた。

1回目は、3色パンで「ぶりっ子セリフ」を言わされた時。

2回目は、好きな食べ物を聞かれ、「いちごミルク」の自己紹介をした時。

3回目は、最後に齋藤飛鳥さんから大園桃子さんに挨拶を言うときに、大園桃子さんから「もっと好きって言って」と言われていた時。

そういう風に、恥ずかしいこと・嫌なことをさらけ出せるという「ノリの良さ」もある意味やさしさの一種であると思う。


そして最後。

2期性の北野日奈子さんから大園桃子さんへのメッセージ。

ただ手を差し伸べて支えることだけが愛じゃなくて、心に寄り添ってただ見守ることも愛だと、桃子から教えてもらいました。

俺的にはこれがこのnoteのまとめ。マジで良いこと言うなあ。

前述したように、物理的に近くに寄り添うこと。それだけがやさしさではなく、それだけが愛ではない。

心に寄り添って、ただ見守ること。

「心に寄り添う」っていうのは、大園桃子さん自身の特徴である、素直さを発揮して、相手に対しても、自分を吐き出すことができる状況のこと。

僕はそう解釈している。


困っている人を見かけた時、大半の人は助けてあげたいと思う。

でも、なかなか心のキズというものは、周りの人にとっても、見つけることが難しいものであると思うし、本人にとっても吐き出しづらく、辛いものであると思う。

そんな人に対して、どうやって愛を贈るか。

その答えは人によっても、状況によっても異なる。

物理的に近くに寄り添うこともやさしさだし、言葉を使って、心に寄り添うこともやさしさ。どちらも立派な愛の形。

そんなことを大園桃子さんから、そして乃木坂46の昨日のLiveから学びました。すごく貴重な時間でした。



5000字超えと大変長くなってしまいましたが、言いたいことは全てはっきり言えたと思います。

ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。

これからもまた書いていきたいので、是非読んでください。

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