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欲求の満たし方

人間の欲求の満たし方として、物質的と精神的の2種が存在する。

まずは物質的欲求の満たし方について。こちらは至って簡単である。お金を使って欲しいものを買って自分の心を満たすのだ。

食べたいものを食べたいだけ買う。
百貨店の地下にある少し高いお惣菜を買ったり、1人だが外食をしたり、スーパーに行くのもコンビニに行くのも面倒だからUber eatsを使ってピザを頼んだり。

欲しいものを意思のまま買う。
薬局のリップではなくデパコスのリップを買ったり、キレイキレイのハンドソープではなくイソップのハンドソープを買ったり、雑貨屋さんに売っている2000円程の名刺入れではなくブランド物の30000円程の名刺入れを買ったり。

物質的に満たすのは至って簡単だが、その分効力はすぐになくなる。また、あまり稼ぎのない若者だと、お金を無駄に多く使うと罪悪感がある。満たされつつも、少し心が苦しくなる。

その一方で精神的欲求の満たし方はというと。お金はかからないが、本当に心が満たされるとは限らない。しかし満たされた時はお金では絶対買えない独特のパワーが存在する。

例えば。
久しぶりに再会した母親とハグをした時。
親友の誕生日にサプライズでプレゼントを渡して喜んでくれた時。
恋人と電話して話したいことをお互いに話して笑い合ってついつい5時間ぐらい時間が経っていた時。
大好きな姉が結婚報告をしてくれた時。

ここでは人を介しての精神的欲求の満たされ方の例を少しあげた。
確かに、1人でも映画や本や音楽などで満たすことはいくらでも出来る。しかしこれらには限界がある。
人は、他人が介入して、喜怒哀楽が生じるものだと私は考える。
ふと何か過去で楽しかったことや辛かったことを思い出すと、誰かしらがいた時のエピソードだ。
1人で心が動くのには限界がある。

ただ先ほども書いたように、満たされない時もある。満たされないどころか、逆に辛い思いや悲しい思いをする場合もある。それも他人による力だ。その分物質的に比べてリスキーがある

リスキーがあったとしても、お金には敵わない何かがある。
その何かを信じて、人々は人々との関わりを求め続ける。それでいいのだ。

満たし方はお金によるものと、人によるものがある。

この世で1番大事なものがお金だとすると、きっと人類の歴史はここまで続いていないだろう。

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