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母の世界と、娘の世界。

母と娘。


今読んでいる本で、わたしと母の関係を思い返すことがあった。


その本では、娘の立場から、亡くなった母との関係性を想起し、今の自分の存在にどう影響しているかを考察している。

その中で、
「聡明な母は、自分の感情を言語化することを強制した。ただ、自分が成長していくと、母の中にある矛盾を見つけ出した。ほして、それに反抗する様に、母が理解できない世界に身を投じることとなった」
と語られていた。


本の中にもあったが、「成長するとは、親が知らない世界を作り上げていくこと」、ニアリーイコールで"自我が芽生える"ということだろう。


わたしにも同じような過去がある。


わたしも、母が絶対の神であった時代があった。仕事も育児も、嫁姑関係もなんなくこなすのが、母というか"女性"という存在の理想像なのだと思っていた時期もある。


いわゆる"普通に"結婚して、兄妹も仲が良くて、子供もいて、姑の世話もしている。そういうのが、女性の生き方だと思っていた。


ただ、わたしには荷が重かったようだ。


高校卒業時には、なんとしても実家を出たいと思っていたし、高校生で実家にいるときも母親が理解できない世界を作り出し、そこで自我を見出していた。


たとえその世界が不純であったとしても、当時のわたしにとっては安らげる場所であった。



親が理解できない世界を作る。


成長とはそれだけではないと思うが、親が正しいと思っている世界ではないところに身をおくことで、自虐的に自分を守っていたんだと思う。


ただ、母の存在の対象として作られた世界は、わたしが自分で望んだ世界ではなかったようだ。そうではなかったら、こんなにこじらせていない。こんなに生きづらくない、と思う。


本は、思いがけず、言葉をくれた。


準備はしていなかったから、まだうまく自分の言葉にはなっていないけど、本を読むって、こういう作業だと思っている。


幸い、まだ本の途中なので、色々考えながら読み進めよう。


楽しみだなぁ。




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