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甲種無害化景郭319号

貝楼諸島アンソロジーに寄稿した「しほかぜさえわたる」と同じ世界の違う時代の話です。

「来週から果樹園を作ることになったからよろしく」
 現場から戻った健一が事務所に入るなり、机に広げていた新聞から顔をあげて大田部長が声をかけてきた。
「そうですか、わかりまし……」自分の机に向かおうとして健一の体と声が止まった。「部長、それってまさか」
「お、察しがいいねえ、甲種無害化景郭319号、果樹園造形だよ」にこやかに笑う。
「えーと、あれって三年後じゃなかったですか」
「うん、なんだか早まったみたいなんだ。困ったもんだよ」
 ここ連日のように設計部と観測部が深夜まで会議を行っていた理由がわかった。
「まあいいですけど、オレの他に誰がやるんですか?」
「うちからは君一人だよ」部長が言う。
「ちょっとまってください、オレ、先月にようやく柔砂利特級技術士の免許を取ったばかりですよ。果樹園って柔砂利超特級が必要じゃなかったでした? オレひとりじゃ無理っすよ」
「ぼくもそう思うんだけどねえ……いやいや、君一人じゃだめって思っているわけじゃないんだけど、なにしろ果樹園計画って159年前から計画されていた一大事業だからねえ」
「そうでしょ、部長からもなんか言ってくださいよ」
「ま、明日から僕といっしょに会議に参加してもらうから、今日はもう帰っていいよ。ごくろうさま」健一の言葉はのらりくらりとかわされてしまった。
 帰り道、この島の1400メートル上空に果樹園を作るというプロジェクトを自分一人で行うという重圧に、突然病気になって入院する羽目にならないものかなと思う反面、妙な期待感にワクワクしている自分に気がついた。

現在(予定八時間前)

 そんなやりとりがあったのも、もう二ヶ月以上前のことだった。
 健一の眼下に貝楼諸島のウィンチェスター・​ミステリー・ハウスとも呼ばれる島の全貌が見える、もっとも全周17キロの小さな島なのでこんな高みまで登らなくても島そのものは見回せることはできる。健一はいま、高さ1800メートルの糠望楼のてっぺんにいるのだ。屋根があるので完全な吹きっさらしではないが、日差しがさえぎられているせいでかなり寒い。そして、ここから400メートル下にある中展望までは梯子を降りていかなければならない。中展望はこれから作ることになる果樹園のために作られた場所だ。じゃあ今いるこの場所は何のためにあるのかと疑問がよぎったが、理由はまだ明らかにされていない。たぶん設計部の奥にある十年ごとに解錠される金庫のなかにあるのだろう。しかしここに果樹園を作らなければズレが歪みに変化して貝楼諸島全体に災厄が訪れるということは誰でも知っていた。わからないのはなぜ果樹園を作ることで回避されるのかということだが、知っているのは159年前の設計部にいた人間だけだ。

二ヶ月前

「糠望楼の中展望に果樹園をつくるのはいいですが、柔砂利機や資材はどうやって運ぶんですか? てっぺんの屋根を壊さない限りヘリで機材を降ろすことができない以上、下から上がるしかありません。まさか背負って1400メートルもの梯子を登っていけってわけじゃないですよね」果樹園成型会議で開口一番に健一は質問した。132年前に完成した糠望楼にはエレベーターなど存在しない。
 健一の向かいに座っていた設計部の水下がニヤリと笑う。「いまから47年前につづら街道の安田敏子さんが行方不明になった出来事があったんですよ。で、その安田さん、どこで見つかったと思います?」
「クイズは別にいいので質問に答えてくれませんか」健一の隣に座っていた大田部長が負けじとにこやかな表情で問い返した。
「おっと、これは失礼しました。安田さんは糠望楼のてっぺんでみつかったんです。どうしてだと思います?」太田部長はにこやかに笑い続けている。沈黙に負けて水下は口を開く。
「柿渋峠の中間に糠望楼のてっぺんとつながる穴が空いていたんです。安田さんは運悪くその穴を通っててっぺんに行ってしまったわけです」
「でも穴はもう塞がれてしまっているんじゃないですか」健一が質問する。
「そうなんですけどね、まだ当時は穴塞ぎに微人を使っていたんですよ」
「微人柱ですか」太田部長がつぶやく。「なるほど、47年前といいましたね。だったらまだ完全に異化していないわけですな」
「そうです。埋められた微人を取り除けば柿渋峠から糠望楼てっぺんまでの直通ルートができあがるんです。登る必要はありません、一瞬です」

現在(予定八時間前)

 てっぺんには取り除かれた452体の異化しきれていない微人の塊が散らばっていた。健一の後から治郎が現れた。穴は一方通行なので、もう梯子を降りるしかない。必要な機材と資材はすでに搬入済みで、梯子の隣に積まれている。「治郎さん、機材をロープで下ろしていきましょう」
「その前に朝飯でも食わないか」健一はさっきも治郎のその台詞を聞いた。

二ヶ月前

「健一さんには治郎さんの補佐をしてもらいます」大田部長が言った。
「治郎さんって古本屋の?」
「ええ、君は知らないかもしれませんが、治郎さんは柔砂利士だったんです、それも超特級の。今は引退してしまったんですが」
「じゃあオレなんか必要ないじゃ……」
「残念ながら歳には勝てずボケ始めているんです」
「ちょっと……大丈夫なんですか」
「ボケてはいますが腕はなまっていません、それに今現在、超特級柔砂利士は治郎さんしかいないのです」

現在(予定六時間前)

 機材を手渡すと健一の心配もよそに治郎はてきぱきと行動を起こしはじめた。中展望は空間的に折り畳まれた200平米、空間比重は5.13の広さだ。風が入ってこないぶん、てっぺんよりも温かいが、それでも外気温度は20度ぐらいだろう。窓からは糠望楼の外壁にびっしりと絡みついている夜這い蔦葛の葉が見える。葉の裏に白いつぶつぶが見えた。
「あれは墜下喋の卵だよ」健一がなにを見ているのか察した治郎が答える。「もうじき孵化するだろう。そしたら幼虫は葉を食べ終わると地面に落ちていくのさ」
「学校でならいました。変な虫ですよね。落ちながら成長して蛹になって地面に落ちるまでに羽化するなんて」
「そうさな、羽化できないやつは地面に激突して潰れちまうんだから」

二ヶ月前

「中展望に果樹園を作るのはいいですが柔砂利でできるのは固体です。なので作ることができるのは果樹園の土台だけ。だったら土を運んで木を植えたほうがいいのでは」健一が質問すると水下はフッと鼻で笑って答えた。
「柔砂利で作らなければズレは解消しないんだよ」
「しかし、それで果樹園になりますか」
「われわれが行っていることは概念に対する干渉だ。だから柔砂利で作ったものを果樹園として認識できれば干渉できる。果樹園という概念をぶつけて干渉させるんだ。すでにポスターも島中に貼っている」水下は壁に貼られたポスターを指さした。

”糠望楼中展望に高度1400メートルの果樹園新設”

「島の住人は中展望に作られるのが果樹園だと認識してる。あとは実作業する君が果樹園であることを疑わなければ大丈夫だ」
「治郎さんは大丈夫なんですか」
「ボケも入っているし、それ以前に超特級だ」つまるところ自分が一番の重荷を背負っていることに気がついた健一はこの場から逃げたくなった。
「でも、ここまでは大した問題じゃない。この計画の一番の難関は、果樹園を高度1400メートルの場所に3秒間だけ存在させるということだ」
「時間制限ありなんですか」
「そうだ、3秒後に消滅させなければならない」
「できなかったらどうなるんです」
「果樹園が作られなかった場合と比べればましだが、かなりの地殻変動が起こる。死傷者も多数だ」
「無茶ですよ。柔砂利の強度がどのくらいなのか知っているでしょ。作ってそれを3秒後に壊すなんてパンジャンドラムを爆発させたって不可能です。ハイメッシュ複合多面体構造が実用化されていればいけるかもしれませんが、それでも3秒は不可能です」
「そうだよなあ、だからプランBも同時進行中だ。でもプランBでも被害は完全には食い止めることはできない。死傷者も出る予測がでている。でもこれは織り込み済みだ。525委員会も承認してくれた」
 だまったままだった大田部長が立ち上がった。
「わかりました。プランBはおまかせします。我々は中展望に果樹園を作り3秒間維持する。それを達成させます。では準備がありますので」そして健一の耳元に顔を近づけ「君は果樹園を作ることだけ考えればいいのです」と声をかけた。

現在(予定六時間前)

「……東緯134.415度、マイナス補正3.5。高度139,950センチメートル」測量値を見て冷や汗がでた。もう一度計測したが同じだった。50センチ低い。
「治郎さん、高度が足りません」
「慌てるな、健一。現場じゃよくあることだ」そう言いながらも腕組みをして目を閉じている。経験の浅い健一には解決方法が思いつかなかった。50センチの高さの土台を作ろうにも材料はない。柔砂利を使って土台を作ったとしてもそれは果樹園の一部とみなされる。
 どこから迷い込んだのか、羽化してここまで登ってきた墜下喋が治郎の腕に止まった、ツガイを探して卵を生むのだろう。そして孵化した幼虫が落ちていく姿を見る前に寿命を迎える。治郎は腕に止まった墜下喋を見て「そうか」とつぶやいた。「よし、てっぺんに戻って微人の塊を下ろすぞ。あれを土台にすれば50センチ稼げる。強度はぎりぎりだが果樹園の密度を下げればその重さには耐えれるだろう。今から始めれば夜の10時半には果樹園が完成する。これで全部うまくいくから水下にそう言っておけ。早く終わらせて昼飯を食べようじゃないか」健一に言った。
 健一はヘルメットのインカムで水下に通話して治郎の言葉を伝える。治郎は窓際まで行くと窓を開け、腕に止まった墜下喋を外に逃がしてやった。
「水下さんに伝えたところOKがでました」

現在(予定三時間前)

「治郎さんはどうやって超特級になることができたんですか」過熱した射出口に冷却財をチャリンチャリンと投入しながら健一は尋ねた。「そもそも検定試験は特級までしかないでしょ」
「わしも知らん。ある時からそう言われるようになった」
「そんな、いい加減な」
「地位が人を作るように人が地位を作る、そういうもんだろう。あんたも十年ぐらいしたらそう呼ばれるだろう。そのときには超特級じゃなくて特大級かもしれんし、亞号特種かもしれんがな」

現在(予定一分前)

「もうじき完成する。わしが行けと言ったら飛び降りろ。いいな」治郎は護符塗装を塗りながら、脚立の上に立っている健一に言う。
「はい」
「よし、これで完成だ。行け!」果樹園は完成した。
 重さ25キロの柔砂利機を背負ったまま健一は果樹園に向かってジャンプした。

 1秒。

 2秒。

 3秒ぴったりで健一は果樹園に着地した。25キロプラス体重75キロの重さが果樹園に加わると、その重さに耐えきれず、果樹園の土台にした微人の塊は瞬時に自壊した。
 高度1400メートルの果樹園は消え、高度1399メートルと50センチの果樹園に変わった。そして健一の不安をよそに、なにも起こらなかった。
「うまくいっただろ、腕に止まった墜下蝶を見て気がついた。落とせばいいんだとな」治郎が健一の顔をみて笑う。「完璧ですね、降り口がふさがっちゃったので降りられませんけど」健一も笑う。
 ふと健一の手に何かが触れた。開けっぱなしの窓のから忍び込んできた夜這い蔦葛の蔓が手に巻きつこうとしていた。
「うわ、治郎さん、ここは危ないです。はしごを登っててっぺんに行きましょう。上で太田部長の救援隊と合流します」
「わしはつかれたからおぶってくれないか」治郎は少しかがんで両手を伸ばした。
 このクソジジイと思ったが、ボケているのではなくふりをしてるだけだという確信があった。この人にはまだまだ教えてもらいたいことがある。足首につけた安全筒のスイッチを入れると、治郎を背負ってはしごを登り始めた。

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