左の耳に残る言葉

僕が住んでいるところは畑の多い郊外の町だ。
自然のほうが多いせいか、季節に応じて様々な生き物がやってくる。
といっても大半は虫で、カマキリが網戸に卵を産んだり、いつの間にか家の中に入り込んだムカデが天井からポタリとソファーの上に落ちてきたりと、なかなか虫たちとの共存は難しい。アシダカグモなどは我が物顔で家の中を歩き回っていて、どちらが家主なのかわからなくなる時もある。

その次に多いのは鳥だ。

秋の夜などは虫たちが鳴き出す。その逆に、昼間は鳥の鳴き声が聞こえる。
春から夏にかけてなどは鶯の鳴き声が聞こえて、風流には程遠い僕の生活の中にも季節感をもたらせてくれたりもする。
ただ、残念なことに僕は左耳が聞こえない。
小さいころのけがが原因でそれ以来聞こえなくなってしまったのだが、片方の耳は聞こえるということと、長い間そんな状態で生きてきたという慣れもあって不便に思うことは少ない。とはいえども左の方向から音が聞こえるときは聞きづらく、移動したり顔を左に向けたときに初めて気が付くこともある。

そんなある日、九官鳥がやってきた。
野生の九官鳥なのか、それとも飼われていた九官鳥が逃げ出してきたのかわからないのだが、言葉をしゃべったので、おそらくは誰かに飼われていたものだろう。いや、そもそも野生の九官鳥なんているのだろうか。
逃げ出してきたわりには、飼われていたこともあってか、僕が近づいても逃げようとしない。

昔、僕の家でも九官鳥を飼っていたことがあった。
ある時突然母が飼おうといいだしたのだ。
それまで、犬ならば飼ったことはあったが鳥類は初めてで、もっとも小学生の頃のことなので、飼うということに何の疑問も抱くことはなくむしろ新しい生き物を飼うということにワクワクしたものだった。
しばらくして、なんとなく母が九官鳥を飼いたいと言い出した理由がわかるようになった。
母は九官鳥にいつも語り掛けていた。どうやら言葉を覚えさせたかったようだ。
生き物を飼うというよりも言葉を覚えさせるというほうに興味があったらしい。
そのころの父と母はあまり仲が良くなく、いつも喧嘩ばかりをしていた。
いまにして思えば、九官鳥に言葉を覚えさせたのは寂しさからだったのかもしれない。
ある時、学校から帰るといつもは玄関に置いてあった鳥かごが無くなっていた。
母に聞くと、エサをあげようと鳥かごの蓋を開けた途端、逃げ出してしまったということだ。空っぽになった鳥かごはしばらくの間、物置におかれていた。

今、目の前にいる九官鳥がその時逃げ出した九官鳥だ、というつもりは全くない。なにしろ40年近く昔のことなのだ。

「た・す・け・て」

突然そんな言葉を目の前にいる九官鳥がしゃべった。

「た・す・け・て」

それは母が九官鳥に覚えさせようとした言葉。

そしてそれは、聞こえないはずの左の耳に残り続ける母の言葉だ。

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