見出し画像

#ゆたかさってなんだろう

今の時期近所を歩いていると、住宅街のお庭にバラが咲いているのをよく見かけます。

わたしの実家でも、両親が大切に育てているばらが今年も美しく咲いてくれました。

咲くまでには手間も時間もかかるけれど、その時を楽しみに、手入れをしながら、成長を見守る。

ばらは季節が来ると律儀に目覚めて、花を咲かせて見る人を喜ばせる。

やがて花が散ると、また来年も会えますようにと願いながら、また手入れを始める。

1年のうち、咲いている時間は短いけれど、ばらに関わる全ての時間が、とてもゆたかなものだなと感じます。

それは、そこに「大切」という思いがあるからなのかなと、ふと思いました。

自宅の庭に植えたばらを、大事にして、大切に育てて咲かす。

人が得られるゆたかさのひとつに、何かを「大切だ」「大事だ」という思いを持てること、が入ると私は思っています。

家族と過ごしているとき、趣味に没頭しているとき、友人と語らうとき、大好きな仕事をしている時、お気に入り家具の手入れしているとき。遠い日の楽しい思い出に耽るとき。

時間でもモノでも人でも、大切に思えるなにかに接している時というのは、人生を支えてくれるものだと思います。だから、大切に思えることが沢山あると、それだけでとてもとてもゆたかになることができるはずなのです。

大切なものは、他人の目に見えるものではなく、自分の心のなかにこそあるものです。だから、隣人がどんなに豊かかどうかなんて、それは本人にしかわからないし、それでいいのだと思います。

目に見えるものではなく、誰かに自慢するものではなく、人と決して比べられないもの。自分のなかにある、どうしたって大切な、確かなもの。それだけで、わたしを支えてくれるくらい、強い想いのあるもの。

それが、ゆたかさの姿なのではないかな、と、自宅のばらを見ながら考えていました。

そんなひとつひとつの「大切」が循環して、世の中を少しずつ優しく、ゆたかにしている。

だから、誰もが、大切なものを大切にできる世の中であって欲しい、と願います。

本当はとてもとても大切なのに、傷付けたり、守れなかったり、そんな悲しみが少しでも減りますようにと、そんなふうに思いながら、大切なテーブルランプの電球を交換しているいま、ああ、わたし、とてもゆたかだなぁ、と感じています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?