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Base Ball Bear鑑賞 ベボベにおける”到達点part.1”(ライブは「サービス業」なのか?)

「明日というか日付変わって今日は武道館ですね。」というタイミングで書きはじめつつ、寝てしまって起きて仕事して武道館観に行って、さらに終了2週間後のアップになりました。今回の投稿は歌詞の解釈とかじゃなくベボベのライブに関する総論って感じです。

タイトルが若干紛らわしい感じになってしまったので念のため先に書いておくと、今回の武道館ライブも最高でしたし、僕はベボベのライブを単なるサービス業だとは感じていないので、その前提で読んでください。

ベボベ3度目の武道館ライブ直前に何を聴いてライブに向けて聴き手としての自分の耳やメンタリティをチューニングするか迷ってたんですけど、結局1度目と2度目の武道館ライブの配信ライブアルバムですね。
ちなみにヘビーなベボベファンだと自称しておきながら、これらの武道館ライブに実は行ったことない私です。1度目は高校受験直前だったし、2度目も高校生で全然お金がなくて行けなかったです。

個人的な経験としては、特に1度目の武道館ライブの映像なんかは高校生のときとかに頭おかしくなるくらい観続けてきたんで、「このタイミングでシャウトしてたな」とか「湯浅のギターアレンジこんなんだよな」とか「この曲のこの部分は映像ではこんなカメラの映像だったな」とかめちゃくちゃ覚えてますね。
「あくびして 言っていタァ!」とか。あとは「エレットリックサ!マァ!」の煽り方覚えちゃうとか。『4D界隈』のギターソロとか。
そんなベボベファンあるある。

ところで小出氏はよくインタビューなどで1度目の武道館の反省を口にしますよね。先日の武道館ライブでは2度目についても反省を口にしていましたし、『EIGHT BEAT 詩』でもこんなこと言ってます。

そして、いつの間にか広いステージ 風でめくりあがってゆくページ
全くない手応え 響かない声 冷え冷え 壁そびえ立ってるようで

ただ、僕は現場にいなかったんでそこでしか感じ取れないものがどうだったかは分からないですけど、ライブ映像や音源というメディアで鑑賞する限りでは控えめに言って最高といった感想です。好きなポイントは挙げればいくらでもありますけど、そもそものセットリストとか、『GIRL OF ARMS』のギターソロとか、『YUME is VISION』のCメロとか。

じゃあ逆に小出氏が感じた手応えの無さとは何だったのかを考えるために、これ以降のライブで変化していったことを見つけていこうと思います。
見つけていこうと思いますとか言いつつ結構シンプルなことなんですけど、①アレンジの大胆さ ②おふざけ感 の2つが大きなものかなと思います。

まず①アレンジの大胆さ については、たしかにこれを機に大胆なアレンジは増えましたよね。映像でも1st武道館ライブはわりと原曲に沿ったアレンジでしたが、2nd武道館ライブではメロや尺も含めて大胆なアレンジを加えて、僕の好きな小出vs堀之内のパートなんかもありましたね。
ということで私の動画↓

ライブにおけるこういうセッションコーナーが定着してきたのはこの1st武道館以降の3.5thアルバムのツアーとかじゃないかと思います。こんなインタビューもありました。

…「曲と曲の間のクソみたいなセッション」という意味を略した彼らの造語である「クッション」を挟み、…
https://rockinon.com/live/detail/43182

今の時代、音楽活動というのは貫いた信念みたいなものを表現するアートの側面と、お客さんを満足させるというサービスの側面があると小出氏も言っていたわけですが、ごっつええ感じファンの小出氏は何だかんだいっても変なことをやってお客さんに面白がってもらうのは嫌なことではないでしょうし、SCHOOL OF LOCK! B組の講師としてベボベLOCKSで変なことを長年やってきたというだけはあるんだろうなと思います。
で、たぶんそういったライブでの演出をイメージして生まれた曲の1つには、たとえば『BOYFRIEN℃』なんかもあるんだと思います。「それまではライブでマイクスタンドを置くことすらもしていなかった湯浅にシャウトさせる」という演出という意味で。

そんなサービス精神は確かに1度目より2度目の方が1つレベルの高いもので、かつベボベのみなさんのもつ普段のベボベらしさに対して余計な変換を伴わない、無理に捻出したようなものでなく自然なサービス精神になっているんじゃないかと思います。

さて、最近「サービス」と「パフォーマンス」の関係性を考えていて、それぞれに共通する形式や要素ってどんなものなんだろうか、とか思ってました。
つまり、たとえばブライダルやホテルのスタッフのように一流のホスピタリティが求められる「サービス業」においては、お客さんを観客に見立ててある種の「パフォーマンス」をすることが必要だと思います。お客さんに対して心地良い立ち居振る舞いや言葉遣いを見聞きさせるというような。
そして一方で今回のテーマであるライブのような「パフォーマンス」においては、ここまで書いてきたようにお客さんを楽しませたり喜ばせたりするという「サービス」の側面もあります。
ただ、もちろんこれら2つのものは同一のものでは無いはずです。もし仮に「サービス精神に振り切ったパフォーマンス」があれば、それは相当くだらないものだと思いますし、同じく「パフォーマンス意識に振り切ったサービス(接客)」があれば、そんな接客は受けたくもないと思います。
要するにこういう関係だってことですよね。↓

赤の部分が「サービス⋀パフォーマンス」

こんなことを考えているときに思い浮かぶのは小出氏の歌詞にたくさん出てくるあのフレーズです。代表して『それってfor誰 part.2』から。

気持ちが良くて気持ち悪すぎるんだ
この違和感こそ僕の証明さ
「それって、for 誰?」part.2

「サービス」と「パフォーマンス」を対立する関係とみたときに、「サービスに振り切ったパフォーマンス」は「気持ちが良くて気持ち悪い」ものなんだろうなという気がします。そういう意味で、多分1度目の武道館ライブではそのバランス感をうまく掴んで実践するということには至らなかったんだろうなと思います。ただそれはいちリスナーの我々にとっては「サービス」を受けている状態なので気づきづらいといえばそうかもしれないですね。しかも現場にいなければなおさらです。
とはいえ、僕らもライブを観にいくときに「サービス」を受けに行くというつもりではないわけで、だとすると現場レベルではもしかしたら何らかの「違和感」を覚えたりするのかもしれないですね。

そのバランス感を実現する方法を模索する中で、おそらくベボベとしてしっくり来た手段というのが、先ほど挙げた【①アレンジの大胆さ】【②おふざけ感】だったのではないかと思います。①は打ち込みを入れずにギタードラムベースだけでやるからこそ、②はたとえばベボベLOCKSとかダンス湯浅将平みたいな変なことを長いことやってきたからこそ、といった感じで、やはりそこにBase Ball Bearの魅力やBase Ball Bearらしさや歴史がつまっている気がしてアツいと思います。

そこで生まれた最高の「パフォーマンス」のひとつで、僕がめちゃくちゃ好きなのは『海になりたい part.2』のライブアレンジです。タイトルにも書いた「到達点part.1」と言ってよいと思います。2度目の武道館ライブにもありますし、日比谷ノンフィクションⅢにもあります。どちらも映像作品になっているので観たことないベボベファンは観たほうが良いです。あまりに好きすぎて動画でマネしたことあります。

「あんまり上手くないですね!(ユイ ヒラサワ,2009)」最後のファズの音作り、もうちょいロー~ミドルを削ってジャリジャリした感じがあってもいい気がします。あと背景どうにかしろよって感じですね。自分の演奏への批判の声が止みません。

逆に、元ネタの武道館や野音の湯浅氏のギターに対しては称賛の声が止みません。なんでこんなに良いと感じるのかを考えてみると、この演奏で湯浅氏らしい狂気のエナジーとちょっとした切なさみたいなものが表現されているからなんだろうなと思います。

さて、ここで「サービス」と「パフォーマンス」に共通する形式って何なのか、という話に戻りますけど、僕は【その人らしさ】みたいなものなんだろうなと思います。その人やバンドの「アイデンティティ」や、AIの台頭みたいな議題に対して述べるとしたら「記名性」とも言い換えられるかもしれないです。
これはずっと思ってるんですけど、アーティストというのは作品を通してその作品そのものの魅力を表現しているのか、それもと作品を通してアーティスト自身を表現しているのか。いやまあ両方だと思うんですけど、でも僕はアーティスト自身のことを表現しているという側面を見つけて、それをおもしろいと感じることが多い気がします。

「サービス」や「パフォーマンス」を通して、ハッキリと述べられているわけではないけれども、その人のもつ歴史とかストーリーとか特別感みたいなものが感じられるときに、それが良い「サービス」や「パフォーマンス」になるんだろうなと思います。さらにそれはあくまでスタッフとお客さん、演者と聴衆みたいな関係性の中で双方向に働く作用でもありますよね。演じるだけでもダメで、エゴばかりでも鬱陶しく、その絶妙なバランス感が備わったものが素晴らしい「サービス」や「パフォーマンス」になるんだろうなと思います。

まあとにかく、武道館や野音の『海になりたい part.2』のアレンジは、ベボベのひとつの到達点だと僕は思っています。ただ、到達点というのはいくつあっても良いと思います。誰だって到達点みたいなものを超える作品やライブばかりができるわけじゃないし、そもそもいつも超えていたらひとつ前のそれは果たして到達点といえるのかということもあります。
僕は正直、まだまだ4人時代のベボベを懐かしく感じてしまう機会が多いタイプのリスナーで、この前の武道館でも3人編成のカッコ良さを感じつつ、それでもどうしても『short hair』なんかは頭の中で湯浅ギターが聴こえてきてしまいます。ただそれは今のベボベが4人時代のベボベに劣っているからとか、全くそういうことではなくて、今回も過去のライブに対して長い文字数かけて書くくらい、キモいくらい色々な考察しながら考えて聴いちゃうようなクセがあるからです。そうやってキモいくらい思考を巡らせながら鑑賞するのを、僕は好きでやっちゃってるんですけど、これはどうしても時間がかかる営みなんでございます。3人編成に対して巡らせた思考の総量が、4人時代に対して巡らせた思考の総量に、まだ全然追いついていないので、どうしても4人編成に対して色々と良さを述べたくなってしまうという、極めて個人的な問題だと思います。

つまり、Base Ball Bearにはまだまだたくさんの到達点が待ち受けているんだと思います。僕の好きなライブバージョンの『海になりたい part.2』で、これが一つの到達点だと思ったのとともに、この先にある次の到達点の予備動作だとも思いました。

今回は大変ステキで且つ恥ずかしい文章を書いてしまった気がします。以上、おつかれした

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