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押したり引いたりしながら

友人のガーデニング講座に参加した時
植物への肥料の与え方や使い分けについて
「枯れてきたからって肥料を与え続けるのって、弱っててしんどい時ににステーキ食べろって言っているようなものですよ」って
例えを使っていて

それそれそれ!と
机でパーカッションする勢いだったんですが
(どなたかの本で書いてあった:激しく同意→膝パーカッション)

肥料が良い悪いではなく
人間でも何かの選択が良い悪いではなくて
特に自己啓発とか叱咤激励とかチャレンジって
それが今の状態にあっているのかどうかって
めっちゃ大事やと思います

私がヨガのレッスンの時に
「頑張らない」ってお伝えするのは
ヨガのポーズ🟰アーサナが完成(見た目が完成とされる形にする)ことを
頑張らないでほしいと思うからなんです

あなたがヨガの時間
自分自身の体を確認して
ここが動きにくいなぁ、これは気持ちいい、これ以上はちょっとキツイ…というのを
自分で感じ取って
その先のポーズの角度やら
なんなら、やるかどうかを
自分で調整、選択する練習をする、ということを目指しているからなのです

で、ポーズをがんばるのはそれはそれで
得られることがあるのでいいんですけど
私がヨガをご一緒する方々は、日常を過ごすために何かしらがんばったり、プレッシャーを感じていたり、無理をしていたりする場合が多い

そうすると
頑張る、人に合わせる、無理をするというのがノーマルポジションみたいになってて
すでに頑張ってるところからのスタートだったりするわけです。

その力が入ってる状態で次の動作
(ヨガなりなんらかの行動)をおこすと
自分が無理してるかどうか
心地良いのかどうか
やりたいのかやりたくないのかを
素直に感じ取って、判断するのが難しい

日頃運動サボってるしなぁ…
先生のポーズはこうやから、あれが正解やろうし…
人から見たらどんなふうに見えてるんやろ…
という、自分の痛い・気持ちいいではないところで判断すると
ヨガの恩恵が充分に発揮できない

それって日常生活だなぁと思うんです
ひととの関わりの中で、全て自分の思い通りになんてもちろん出来ないんやけども
誰かのために、気が進まないけどこの方が良さそうだから、こうするのが常識やからっていうのばっかりを基準にし続けると
周りに気を取られて自分の望みをかなえる体力とか気力がなくなっていっちゃうんです
自分の機嫌を自分でとる!
自分の選択に自分が責任を持つ!って
かなり気力も体力も使うのに

無理や我慢は一時的に上手く回せるように見えるけど、自分が我慢してると誰かに怒りが向きません?

「私の望みを聞いてほしい、そして尊重してほしい」ってところが満たされると
ひとへの感謝や思いやりに繋がるし
次への一歩を踏み出す力も養えるし
そしたら自己肯定につながるし
自分を認めたら周りとの関係も変わってくる
卵が先か鶏が先かみたいな話なんですけど

だからこそ自分を大切にって
自分が感じたことを尊重して
出来ない自分を責めることではなく
現実何が出来ているのか
変えたいのなら何ができるのか
これなら出来るかも!の
スモールステップを真剣に考えて
マジで取り組んでほしい
それこそが「頑張りどころ」やと思います

その
「自分の感じたことを尊重する」練習として
私はヨガにご縁があり、気に入ったものですから、こうしてお伝えするヨガのひとになったわけなんです


で、もしヨガがハマらなくても
あなたのせいではもちろんない。好みってあるし。
(もちろん、お伝えする身としては、できるだけ楽しさと良さをご提案する努力はする)

全方向に向いたスイッチを一度オフにして
必要なものをオンにしていく
頑張ったら休む
自分が、大切なひとが幸せでいられるように 
出来ることをする
そして呼吸をする 

そんなことを
ヨガを通してお伝え出来たらと思います

皆様の毎日が、心地よいものでありますように

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