令和6年能登半島地震ルポ金沢市より③


【読む際のお願い】
⭐︎令和6年能登半島地震に関して、地震災害やテレビによる災害速報について記録しました。心身に負担を感じやすい方はご注意下さい。
⭐︎自宅は金沢市内で沿岸から10キロ近く離れているが海抜は高くない。
⭐︎公的機関の情報ではなく個人の体感を記したものであり、曖昧な表現や報道機関の情報と誤差、矛盾が生じうることを留意してほしい。

─2024年1月3日

久しぶりに自室のベッドで寝起きした。昨日は床に座布団を敷いてコタツに羽毛布団だったため背中がまだ痛い。布団に吸い込まれているようでなかなか寝起きが悪かった。

10時55分ごろ、能登で震度5、加賀で震度3。自宅では揺れよりも先に石川テレビ(フジテレビ系)で警報が流れる。3〜5秒後細かく揺れ始め、大きな揺れを伴いながら20秒ほど揺れ続けた。
母親が灯油ストーブを消し、上に乗せてあったヤカンを下ろす。祖父がいる和室のふすまを開け、ガス栓も閉めて貰った。揺れがおさまって1分ほど後に臨時ニュースに切り替わる。チャンネルをNHKに切り替え、首相の会見を見る。
今朝初めてみた情報だが、テロップでは県内の死亡者数は62人に増えていた。

12時過ぎ、帰省している友人に会うため久しぶりに外出する。先の地震から2日経ったものの、道路の表面が割れているのを見るたびに、それが地震によるものか元々あったものなのか考えてしまう。それほど地震が日常に染み付いている。

金沢駅前のフォーラスに来てみた。
年始セールで開店している店もあれば、臨時休業的に閉まったままの店も。客は地元の若者や家族連れが多いが、本来この時期はもっと人が多いはずだ。
香林坊周辺も歩き、久方ぶりの外食をした。尾山神社はそれなりに人が集まり、初詣の列ができていた。暗くなり天気が悪くなることも加味し、金沢駅に戻った。
駅構内観光客はまばらで新幹線の改札前には大きな荷物を持った人がちらほら。
改札口は1日の地震発生時スプリンクラーが発作動した名残で水たまりができ、コーンと規制棒で囲まれていた。
街中まで来てみると人は思った以上に少ない。各路線バスは臨時ダイヤで運行しているものもある。
いずれにしても公共交通機関が活動していることが喜ばしい。

夕方5時、金沢駅から最寄りまで七尾線に或いは富山線に乗りたい。
乗ってみると乗客は少ないのは年始だからだろうか。友人とは至って普段通り和気あいあいと接していた。むしろ地震のことについて意図的に触れぬよう、今だけは忘れようとしていたかもしれない。
時々どっと疲れを感じることがあり、やはりこの二日間でかなり神経をすり減らしていたことを実感する。

夕方6時半、リビングにて家族でホットプレートを囲みながら夕食。自宅がある地域で下水管が詰まり汚水が溢れる事象が相次いだため、トイレや風呂の回数をできる範囲で控えなければならない。地震の影響かは定かではないが、日常生活、衛生や健康に関わってくる事象なだけに神経をつかう。
内灘町の友人宅は断水が解消され、トイレ、風呂が使えるようになった。山間部に住む友人宅は蛇口から茶色い水が出るとインスタグラムのストーリーで発信していた。

午後6時50分ごろ、能登で震度4、加賀では震度2。
やや強い揺れが10秒ほど。夕飯時で少し緊張。
テレビでは少しずつ視聴者提供の新しい映像が流されていくほか、SNS各種でもテレビでは流れていない映像が投稿されていく。津波で建物が押し流され基礎だけ残った沿岸地域、山間からメキメキと地面を押し倒すように流れる土砂崩れの映像…。当時の出来事、実態が少しずつ明らかになっていく。

昼夜共に上空をヘリコプターが飛び交う音がする。普段聞くものより重厚感があるから、おそらく自衛隊の災害派遣だろうか。気にはなるものの致し方あるまい。

夜11時半ごろ、ビデオ電話中にやや大きめの地震。
10秒ほど揺れおさまる。至って冷静を装うが、1日の地震は小さな揺れの後に非常に大きな揺れが来たため油断は決してできない。

翌0時半ごろ、能登で震度4。自宅もやや強めに揺れ、ベランダに面した大窓がガタガタ音を立てる。揺れがおさまったかと思ったが2、3分ほど体で感じるほどのごく小さな揺れが続く。小さな地震が多く、何か大きな地震の予兆かのように感じられ怖い。外は寒く雨が降り、今が夜中だということも不安を煽る。なんとなく寒気を感じて窓に手をやると、地震の揺れによってズレ動いたのか少しだけ開いていた。

いつまで続くのかわからない。一日中揺れずテレビの速報もない、そんな日常が戻ってくることを願う今も、この地面は小さく揺れ続けている。

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