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遠く、最果てへ。

新幹線に乗るのもだいぶ慣れた。
働いて得た対価で未だ見慣れない金額の切符を購入する。行き先は決まって東京駅。
もう何度目かの3時間弱を事前にダウンロードした
映像で消化していく。

関東の人の多さには相変わらず圧倒される。
人が行き交う音は好きだ。
ただ、同じ人物にエステの紹介を3度もされ、その都度断らなければならないとなると話は違ってくる。
流石に顔覚えて欲しい。
わざとやっているのであれば、もっと詳細まで教えてくれ。聞かないけど一方的にやってくれ。
人類の叡智によって生み出されたノイズキャンセリングを両耳にまとい、歩を弾ませるのは植田真梨恵の「最果てへ」。のびやかな声に3拍子が心地よい。
今回いつもと違うのは、終点が東京駅ではないことだ。数多ぶら下がる構内表示に目を回しながら、やっと辿り着いた湘南新宿ラインのホーム。
そう、目的地は横浜だ。

この春から横浜の大学に進学した親友に会いにいく。人生初上陸となったその街はシトシトと梅雨の霧雨が降り注ぐ中、たくさんの傘が行き交っていた。彼と合流するまでに少し時間があったので、桜木町駅まで散歩することにした。生粋のゆずっ子であるアタシにとってその町は聖地と言える場所だった。無意識のうちにBGMをゆずに切り替え、頭の中で歌詞に登場する描写を反芻しながら、息穏やかに六月の湿度と都会の煙臭さを堪能した。

親友と合流する。ひと足先に横浜の街の歩き方を会得した彼に連れられ、遅れまいと歩調を合わせる。
2人で中華街に行った。そこは中国人と日本人と鳩が共存する不思議な世界だった。
老若男女、数歩進めば匂いの変わる魔法に目線を右往左往させながら掻き立つ食欲を満たしていく。
我々の生活に身近な肉まんでさえ、コンビニのホットスナックとは比にならない美味さである。無論“中華街で食べる”ことがスパイスになっているのだろうが。
食事がいちいち美味いおかげで、通りの端に来た頃には気づかぬ疲れが脚にしがみついていた。

濡れた地面は夏本来の気温に乗じて蒸し暑さを奮う。コンビニでしばし休憩を挟み、他愛もない会話を弾ませアタシたちは旅路の別れを意識する。
横浜駅まで2人で戻り、彼は自宅に、アタシは阿佐ヶ谷に向かう。人が溢れる改札前、お互いの健闘を祈り合い別れを告げた。改札を通り過ぎるアタシ。見えなくなるまで手を振ってくれている彼。終わりのない友情を実感する。


阿佐ヶ谷という街の名はよく聞くが、いざ行こうと思えど、果たしてどのような街なのかを知らない。とはいえ東京の街々はほぼ全て電車で繋がっている。恐らく。電車のある街はある程度栄えている。
阿佐ヶ谷駅南口を出ればすぐ目の前に商店街。昭和ながらのどこか懐かしい通りの一角、地下へ降りる階段の先に阿佐ヶ谷ロフトAはあった。
入り口付近に続々と集まる人の列。皆、目的は同じくSHIMAI SHIBAIの家族会議。遂に愛しのちーこさんやぶんちゃんに会えるのだ。
今日この夜のためにどれだけの苦難を忍んできたことだろうか。

目の前にちーこさんがいる。ぶんちゃんがいる。
画面の内側に存在するはずの人物が同じ空間、手を伸ばせば届きそうな距離にいる。
緊張か喜びか何らかの禁断症状かは定かではないが、しばらく手が震えていた。
会は各々料理や飲み物を愉しみながら、盛り上がり衰えることなく進んだ。キャストのお二人もお酒を順調に進めながら、話は満開の様相を見せる。

目的を同じくした集団というのは非常に居心地が良い。皆求めるものは同じ。会話のベクトルを合わせやすい。
相席した初対面の方とちーこさんへの愛を語り合う。来てよかったと思った。アタシが求めていたのはこういう時間だった。いつまでも続けば良いなと切に願った。「愛と平和」は確かにそこにあった。  

SHIMAI SHIBAIのお二人にアタシは“床乃シール”として知られている。お二人に自らの名前を告げた時、目を真ん丸く開いて喜んでくれたのがこの上なく嬉しかった。やっと出会えた。幸せの過多で死ぬことができそうだった。全く過言ではない。手から溢れるほどの幸福だった。
また会いたい。いや絶対に会いにいく。
これからやらなければならないことを綺麗さっぱり終わらせて、また絶対に会いたい。
最高の思い出だった。
ありがとう。さようなら。また会う日まで。


仲良くなった方々と新宿までご一緒した。
雨上がり、霧がかる夜の街は煌々と日曜の輝きを放ち、ものの数秒で車窓から見切れていく。
夢の世界のように朧ぐそれは、“現実の世界”に片足を踏み込んでいることを意味する。
またいつかお会いすることを約束するには小指など脆すぎる契りだった。力強く握手を交わしお別れした。

夜行バスに乗り込み独立型三列シートに身を預ければ、身体の収まりは然程良くないはずだが眠気は強烈に主張を始める。
眠りたくなどなかった。忘れたくなかった。
さっき見たもの、嗅いだ匂い、聴いた音、感じた温度、心を通った言葉、それら全てを。
記憶が着実に上書きされていく様がとても悲しかった。
忘れていない。思い出せないだけだ。
そう信じるしかない。
いつかふと思い出すんだ。
あの瞬間を、あの感動を。


気がつけばバスは金沢市内に入っていた。
未だ座り心地の悪い椅子にしがみつかれた身体を半ば強引に叩き起こし、慌ただしく降り立ったその地は、たった24時間前まで生きていた見慣れた日常の延長線上だった。
いっつもこうだ。
この虚しさを感じるたびに、また頑張らなきゃなと思う。

こうして六月の旅は終わりを告げた。

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