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の、彼方はるかに。

「オモシロイ」という言葉で感想しがちだ。
何を見ても「オモシロイ」。
何を聞いても「オモシロイ」。
英語の授業では、「オモシロイ」のニュアンスを

fun    と interesting

で使い分けて表現するが、
現代人の私たち、いや少なくとも私は
もっと広い意味で使う非常に便利かつあやふやで
核心をつくような表現ではないと思っているので、
なんだか使うのに抵抗があったりもする。
なかったりもする。
「オモシロイ」という言葉の意味の端っこに
辿り着いてみたいものである。

昨日、金沢21世紀美術館のシアター21にて
らまのだ の「あまやかな足音」を観劇した。
らまのだ の演出である森田あやさんは私が好きな「海外戯曲をやってみる会」のメンバーで、
森田さんが関わった作品を見てみたいと思った。
作品は、主人公の視点から記憶をトントンと回顧していく、非常にテンポの良い語りが特徴的だった。
出演予定の谷恭輔さんが体調不良により急遽降板になり、代打で作家の南出謙吾さんがリーディングしたが、それでもとても引き込まれていた。
いい意味で、別の作品になっていたのでは
とさえ思った。
勿論、俳優である谷さんverも見てみたい。
途中、暴漢と遭遇しそのあまりの恐怖に死を覚悟するシーン、走馬灯を見る描写があったが、
今回見た作品はまさに、誰かの記憶であり、
誰かの走馬灯を見ているかのような感覚だった。

観劇後、出口にて出演された南出さんと少しお話しする機会があった。南出さんは終始、本来予定していた形での公演を実現できなかったことを謝罪されていたが、私は直前見た作品に「オモシロカッタ」と感想したことを、今は少し後悔している。
前述した「オモシロイ」の広い意味の範疇では嘘をついていることにはならないのだが、
私が言いたいのはステレオタイプな「オモシロイ」の意味の平面上には収まらない興奮と気分の高揚だった。私は、その作品の世界に没入し、南出さんの声に脳を震わせ、一つの記憶として心に刻んだ、
そんな夜だったのだ。楽しかったのだ。
なんというか、これを南出さんの前で表現できなかったことが少し悔しくて、この不自由さを克服したいと思った。

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