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元気なフリをするのに疲れた

僕は元気なふりをしていた。生きていて元気なことなんてほぼないのに、元気そうに振る舞っていた。仕事でのコミュニケーションが顕著。僕の職場ではSlackという業務連絡用のツールが導入されている。社会人経験があれば使用経験のある人も多いでしょう。そこで、毎日1発目に送信するメッセージは出勤連絡だ。自分の所属するチームのチャンネルで「出勤します」と書き込む。タイムカードは別のツールを使っているが、互いに出勤したかどうかを確かめることはできないので、Slackでの挨拶は必要なのだ。まあ、あくまで業務連絡ですから、上記のように淡白なメッセージでかまわない。けれど、僕は「おはようございます!出勤します!」と元気満々な文言をぶっ込む。もちろん、モニターの前でキーボードを叩いている僕がそんなにハツラツとしているはずもなく。寝起きまなこで「くっそ〜〜〜〜〜だりぃなあもう仕事やめてやろっかな」とぶつくさ文句を言いながら、Slack上ではいつも元気いっぱいのキャラクターを演じている。

もちろん、わざわざこんなことをするからには、僕なりの狙いもある。まず第一に、自分の精神衛生に良い気がするからだ。やはり、文字とはいえ自分の中から排出された言葉だ。言葉は魂を宿している。そして、人は言葉から強く影響を受ける。つまり、自分の発する言葉が自分のメンタルに直接作用する。嘘であっても元気に振る舞うことで、なんだか本当に人生に対して前向きかのように思えてくる。服装や姿勢をシャキッとすることで、気持ちも引き締まったりする。涙を流すと、何があったわけでなくとも人は悲しい気持ちになる。こうした例にあるように、外的要因によって気分はいとも容易く上下する。だったら、朝の挨拶も「出勤します」とあっさりしたものより、少しだけキーボードを多めに叩き「おはようございます!」と一言添えたほうがいい。たったそれだけの労力で気分が上向くのだから。

もう1つの理由として、周囲からの信頼も得やすい気がします。もちろん、ただ元気なだけで仕事を全くやらなかったらダメなのですが、同じパフォーマンスを発揮するなら元気な人のほうが印象は良い。もちろん、いつも明るくあっけらかんとした人を、あまり面白く思わない人もいる。まあ僕がまさにそうなんだけど。やや嫉妬の混じった憤りを感じる。「なんでアイツはいつもあんなに元気そうなんだよ、呑気なやつだな。俺はこんなに苦しんでいるのに・・・」乱暴な表現をすれば、こんな感じですね。けれど、そんな偏屈な人は少数派です。明るく元気に振る舞っておけば、大抵の人間にはウケが良いはずです。少なくともいつも陰鬱なタイプよりかは。だから僕は、自分のメンタルのためと、周りからの印象を良くするために元気なふりをしていた。けれど、ちょっと限界がきているかもしれない。おかしい、僕の理論に穴はないはずなのだが、瓦解してきているのをひしひしと感じる。というのも、近頃は空が曇りがちで日照時間が少ない。北陸などの雪国は、冬は毎年こうなる。冬季型鬱というのもあるくらいだ。もともと精神が不安定な僕がこうした状況に抗えるわけもなく、敢えなく撃沈。こうなると、元気なキャラを演じている自分と、鬱々とした気分の自分のギャップが広がりすぎて、自分を見失う。とてもつらいが、しかし、こうした抑うつ状態は久しぶりで少し懐かしい気持ちになる。なんなら、安心感すら覚えてしまっているのだから驚きだ。このまま無職の頃に戻ってしまいたい。

僕は、今の自分に違和感がある。労働に従事していることはもちろん、休日に車で出かけたり友人に会ったりしている。まるでまともな大人だ。違う、なんだか違うぞ。これは僕ではない。結局僕も、社会の波に飲まれたマリオネットなのか。ありのままの自分でいることが怖いのか。わからない。とにかく、今のままだとまずいことは分かる。早急に手を打たなければ。とはいえ、今の僕にできることといえばアルコールをぶち込み眠ることくらい。どうも今日はシケている。やすらかに、おだやかに、凪のような安眠が必要だ。眠ろう、今すぐに。おやすみなさい。

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