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話し方の悪癖

他者と言葉を交わすとき、誰しも言葉の選び方や話の運び方に癖がある。自分の体臭や己に振り撒いた香水のニオイに鈍感なように、自分の癖というのは他人から指摘でもされない限りなかなか気付けない。気付くとすれば、その癖があまりにも強すぎる場合ではないか。体臭や香水と同じように、自覚できるレベルということは客観的に見ると度が過ぎているのだ。僕は癖の強すぎる自分の語り口に、常々嫌気がさしております。こうしてゆっくりと時間をかけて自分の考えを文字に起こしている時でさえ、後から読み返すと妙な癖に気付く。いわんやノンストップで続く会話をや。
僕の癖は、つい卑屈な返しをしてしまうことだ。そんな言葉を投げかけられたとて、相手も困る。謙虚という言葉の範疇であればまだよい。ただ、いき過ぎた謙りは自虐となり、やがて行き着く先は「そんなことないよ」と言ってもらいたいだけの小賢しい道化だ。「わたしブスだから〜」と、心の内に秘めた自己愛とは裏腹なことを言う女性と同じだ。そんな卑しい感情に気付かぬまま自嘲気味な言葉を発する人もいるかもしれない。それならまだ救いはある。僕は不幸にも自覚があり、まるで中学生の頃に書いた開眼の書(落書きノート)を公開処刑されているような気持ちになる。そんなみっともないことをするな、ああ、またそんな卑怯な言い回しをする。とりわけ、自分との関係が比較的浅い相手に対して顕著だ。つまるところ、自分が好きで好きで仕方がないのだろう。傷つきたくないし、ダサい奴だと思われたくない。幾重にも張り巡らせた防衛線の先で、防弾チョッキを装着しヘルメットを被りシェルターに籠っている。それほどまでに他人と距離を取りながらも、好意はちゃっかり頂戴する。誘導尋問によって話し相手から捻り出した「そんなことないよ」を、自己肯定感を高めるための褒め言葉へと昇華する。本当は何の価値もないのに。ゲームでいえば、複数人でのクエストに参加するだけして安全な所で放置しているプレイヤーだ。リスクを犯さず、他者の働きにあやかり報酬だけ得ようとする乞食。他者の善意につけ込み、自分を肯定・承認してもらおうと企てる浅ましさ。ほら、またこんな文章を書いている。読み手に同情してもらおうとしているんだろう。いつもならこんな恥ずかしいもの、いや臭いモノには蓋をして蔵に仕舞っておくのだが、今回はそういうテーマゆえ世に放ってみようと思う。文字ですらくどく、うんざりするだろう。ここまで読んだあなたは凄い。
実際、世の中の大半の人間はそこまで自分自身に関心などないだろう。だから余程でない限り自分が傷つく心配をする必要はないし、相手を傷つける恐れもない。ちょっとした言葉選びの違いやニュアンスの齟齬で一喜一憂したり、家にまで持ち帰って反省会をする脆い人間は、本来会話などすべきでないのだろう。しかしそういう人間こそ、会話によってしか心の安寧が得られないのだからタチが悪い。こういうメカニズムが働くから、自己愛の強い僕のような奴は、自嘲気味で控えめかと思えばやたらと自分の事ばかり話す理解不能な行動を起こす。リアルの会話を何だと思っているんだ。ここは小説でも漫画でもゲームでもない。だから伏線もフラグも無いし、相手が口にする言葉に北欧神話や旧約聖書に基づいた深い意味も無い。だから、いちいち気にするな。そして自分ばかりが良い思いをしようと思うな。こんな書き殴ったような汚い文章を残すのはとても気持ち悪い。ただ、自戒の意を込めて。たまにはこんな厨二くさいのも許してください。ありのままの自分を記録することが、このnoteの1つの目的でもあるのです。
↑こういうとこが、卑怯だって言ってんのよね。

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