行き過ぎた関心のその先に
アベプラの「固食」にまつわる動画が流れてきたので見てみました。
固食というのは、食事のメニューを毎回変えずに固定化するということ。最近の日記で、食への関心がどうのこうのという話題を何度も挙げてきましたが、そんな僕を狙いすましたかのように当該の動画をおすすめしてくる。相変わらず、YouTubeの優秀なんだか奇妙なんだか分からない謎アルゴリズムには驚かされます。
動画内では、毎食卵かけご飯を食べる人物がゲストとして登場しています。出演者から「美味しいものを食べたいとか、そういう欲はないんですか?」と質問され「食べること自体は好きなんです」と回答してスタジオを驚かせていました。彼と同じく、食習慣をなるべくミニマルにしたい僕も思わず考え込んでしまった。確かに、さんざん食に関心がないと言ってきた僕ですが「食べることが好きではないのか?」と聞かれると即答できない。「美味しい」と感じる体験そのものは好きだし、であれば食べることも好きなのかもしれない…。
実際、コーヒーと甘いものは大好きで毎日口にしているし、食事にまったく関心がないと言うと嘘になってしまう。間食だって立派な食事ですからね。色々と思考をめぐらせた結果、1つの仮説にたどり着いた。
食事に関することで、僕は1つ大きな問題を抱えている。何を食べるか決めるために、必要以上に時間をかけてしまうことだ。休日の朝に目覚めたとき「せっかくの休みだから、昼はいつもと違うものでも食べるか…」と漠然と考えて、いろいろと作業をしつつ「昼はカレーを食べようかな、あ、でも3日前も食べたばかりだし…KFCの月見が期間限定だから食べようかな…いやここでチェーン店を選ぶか?違うだろう…うーん」なんて行ったり来たりの無意味な思考が続きます。結局、昼になっても考えあぐねメニューが決まらない。この一連の流れがものすごくストレスで、だったらいっそ食べなくていいや、という極論に至ったというわけだ。何を食べるか決めるために労力を費やすくらいなら、多少の空腹を耐えるくらい朝飯前を通り越して昼飯前。
何でもいいから適当に決めてしまえばいいのに。たとえばルーレットにメニューを書いてランダムで決めてしまうとか。それなら無駄に頭を使う必要もない。けれど、僕にはそうしない理由がありそうだ。たぶん、失敗をしたくないのだろう。今の自分にピッタリと合う最高のメニューを選びたい。間違いなくコレで正解だった、と言えるような、ベストな解答を見つけたい。80点や90点の答えで妥協したくない。そんな不可解なこだわりがあるせいで、何を食べるか決められないのだ。これは食に関心がないどころか、むしろめちゃくちゃ関心があるのではないか?真逆ではないか。
コーヒーは毎日同じものを淹れているので、どれにしようかと悩む必要がない。だからストレスなく楽しめているというわけね。いよいよ仮説が真実味を帯びてきたかもしれません。
GACKTが20年以上も米を食べていないことは有名ですが(今年の格付けで2粒だけ食べていたけれど)、彼は米が嫌いなわけじゃない。むしろ大好きなのだ。けれど「ミュージシャンとして成功をつかむために、自分の一番好きなものを置いていこう」と決意し、彼なりのこだわりがあって米を食べずにいる。
何かと距離を置く、ということは、必ずしもその何かへの関心を失ったわけではないのだな。むしろ、関心がありすぎるからこそ自分をルールで縛らなければ苦しい思いをするのかもしれない。食事について考えることをやめた、だから食への関心がなくなった。なんて、短絡的に考えていた僕は浅はかだったよ。
東京に住んでいた頃、僕が足繁く通った油そばのお店がある。100杯、200杯なんてものじゃない。もう数え切れないほど食べに食べた。常連客だけが手に入れられる「ブラックカード」があり、それを提示すると太っ腹なサービスが受けられるのですが、僕はカードを提示せずとも顔パスで通るほどになった。僕の人生、後にも先にもこれほど通い詰める飲食店は他にないでしょう。GACKTが死ぬ直前に米を食べると決めているように、僕もあの油そばを…最高の「美味しい」をもう一度味わってこの世を去りたい。
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