語彙力とはナニで、どうやって身につけるのか
僕は毎日まとまった文章を書く習慣をつけているし、ひとよりかは文章を書くのは得意だと思い込んでいます。何より書くことが好きだから一銭にもならない日記投稿を続けているわけだし。仕事柄、日本語の組み立て方や語彙力を褒めてもらえることもたまにある。自分ではまだまだヒヨッコだと自覚していますが、文章を書く習慣がない人を騙くらかすことくらいはできるのかもしれない。語彙力のある人というと、年がら年中読書をしている本の虫というイメージが湧きますが、僕はそれほど読書をする習慣があったわけではない。むしろ昔は漫画ばかり読んでいた。それでも、文章を書くこと自体は好きだったので、オリジナルの小説(真・黒歴史)をしたためては友人や国語の教師に読んでもらうなどしていた。
さて、文字を読む読書と文字を書くことはどれほど密接な関係があるんだろうか。もちろん読まないよりは読んだほうが知っている言葉や表現は増えるでしょう。しかし、多くの知識があることと語彙力があることはまた違うのだ。『あの花が咲く丘でまた君に出会えたら』の作者である汐見夏衛先生が、語彙力について私見を述べられています。
この見解こそ、まさしく「語彙力だなあ」と思わされました。詳しくは記事全文をご覧ください。
言葉は伝わってナンボです。口頭にしても活字にしても、他者に何かを伝えるために存在します。であれば、難解な言葉や表現を用いて独りよがりな文章を書いたって意味はない。まあ、自分が気持ち良ければ全く無意味というわけでもないのでしょうが。難解な言い回しや繊細な表現をするのであれば、特定の層にクリティカルにヒットしなければならない。8割の人にはまったく伝わらないけれど、残り2割の人の胸をがっちり掴むような、そんな表現でなければ。あるいは、特別な表現ではないけれど、大勢の人にしっかりと伝わる言葉。マグロの一本釣りを狙うか、投網で色々な魚を一網打尽にするか。その二者択一でしょう。
汐見先生は、こうも言っています。
これで合点がいきました。僕はさほど読書はしてきませんでしたが、とにかく言葉に敏感でした。漫画やアニメの好きなセリフは暗唱していたし、面白い表現を見つけたらすぐ日常会話の中に取り入れていた。中学生の頃に「なかなかどうして」という言葉を覚えた際には、無理やりにでも会話にねじ込んでいた。おそらく、そうした言葉に対する人一倍強い関心が語彙力に結びついたのでしょう。そして、材料があれば料理をしたくなる。自分の語彙力、表現力を存分に発揮できるのが文章を書くことですからね。これからも奇妙奇天烈摩訶不思議な言葉や奇想天外四捨五入な表現をドンドン覚えていこうと思う。(←これは「ぼくドラえもん」の歌詞からの引用です。)
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