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年末というだけで謎の焦りが発生する

時間はもちろん、暦やカレンダーも人間が発明したものです。自然界にはお盆も正月もありません。師走だろうと年末年始だろうと、自然はいつだって悠然とただそこに存在している。人生のなかで、自然が僕たちの感情を揺さぶるケースは少ない。出生、老化、死は自然の摂理ですが、受験や就活、恋愛や結婚は人間が作り出したシステムです。僕たちが一喜一憂するのはたいてい後者の人工的なイベントでしょう。出くわす数もそちらの方が圧倒的に多い。アリストテレスが提唱したように、僕たち人間が社会的動物であるわかりやすい例だ。

人類の端くれとはいえ、僕とて例外ではありません。身の回りの小さなコミュニティ、人間関係、イベントでメンタルが大きく上下する。世はまさに年末ムード。年末って、特に何かがあるわけでなくとも謎の焦燥感に駆られる。そして謎に暗い気持ちにもなる。なんでしょう、まるで90年代の世紀末感のようです。ノストラダムスの大予言もそうですが、地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災など、立て続けに大きな事件・事故があり、さながら末法思想のように世相が落ち込んでいたようなイメージです。2000年問題なんてのもありましたね、結局何も起きませんでしたが。人間が勝手に決めた西暦という数字が1つ変わるだけで、自然界では別に何も起こらない。だというのに、どうして僕たちはそこまで特別感をおぼえるのでしょう。世間が「さぁ年末だぞ、いよいよ年越しだぞ」という雰囲気をつくるものだから、何かしなければいけないという気持ちになる。結局、いつもと大して変わらぬ時間を過ごすのだけど、なんだかそれが悪いことのように思えてくる。「年末なのに、そんな普通の過ごし方してていいの?」誰かが僕にそう囁いているような気がするのだ。もちろん、誰かがそんなことを僕に言うはずありません。きっと、自分の中にいる別の自分が僕を駆り立てているのです。

こうして、変に周りを意識してしまう自分がイヤだ。だから僕は、年末ムードの盛り上がりピークである大晦日18時〜25時あたりはアニメを観たり寝たりします。極力自分の世界に閉じこもり、ほとぼりが冷めた頃に社会への扉をそっと開けるのです。はやくいつもの日常に戻ってほしい。そんな風に思いながら、溜まっている深夜アニメでも観てウトウト眠ろうと思います。みなさまよいお年を。こんな情緒不安定な調子ではありますが、来年もあるのエッセイをよろしくお願いします。おやすみなさい。

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