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休日の予定がなかなか決められない

休日を迎えるにあたり、前日から意気込んで予定を立てることもしばしばあります。予定を立てることが予定になっている、みたいな。その際、僕は謎の反芻思考に陥りがちだ。たとえば「よし、明日はカラオケに行こう!」と思いついたとする。1度決めたのだからそれに従えばいいものの、そこに待ったをかけるもう1人の自分がいる。「カラオケって平気で2〜3時間は消費する娯楽だよな…ていうかこの間も行ったばかりだし、どうせ前回と同じような曲しか歌わないんだろ?それ意味ある?だったら映画でも観に行った方が有意義なのだが?」などとツッコんでくる。もう1人の自分もあくまで僕の分身ですから、なかなか痛いところを突いてくる。優柔不断な僕が「じゃ、じゃあやっぱり映画を観に行こうかな!」と予定を変更したとする。すると、再びもう1人の自分が食ってかかる。「映画を観に行くんだったら、移動時間だけで往復1時間以上かかるよね?映画鑑賞の前後の時間も考慮すると、軽く半日は消費することになるんだけど、そこンとこOKか?そこまでして観たいと思う映画が今上映しているのか?」ぐぬぬ・・・再び唸る僕。この繰り返しで、結局予定が決まらぬままイタズラに時が過ぎてゆく。もはやこの一人問答が趣味なのではないかというほどに、僕は予定を考えるために使う時間が多い気がします。

機会費用という経済学の用語があります。仮に「今日のお昼はラーメンにしよう!」と決めたとします。この時、実は機会費用が発生している。「お昼にラーメンを食べる」という選択をしたということは「お昼にカレーを食べる」や「お昼にカツ丼を食べる」という選択をしなかった、とも言えます。この”選ばなかった選択肢”を機会費用と言うのです。厳密には、選ばなかったことによって得られなかった価値。つまり「ラーメンの美味しさ」という価値を獲得する代償として「カレーの美味しさ」や「カツ丼の美味しさ」という価値は得られなかったということになる。

僕は何かの選択を迫られた時、ついこの機会費用に気を取られてしまう。先ほども述べたように「カラオケに行くってことは、本来できるはずのアレもコレもできないってことだよな…」といった感じで、こんなことばかり考えているから先に進まないのです。「失敗したくない」という完璧主義な性格が僕の自由を奪っている。べつに失敗したって良いんだ。ダラダラと予定を決めあぐねているよりかは、まず実行に移してみることのほうがよほど意味がある。なので、1度「これをやるぞ」と決定した場合は、よほどの理由がない限り”もう1人の僕”の言うことは無視するようにしています。うまくいかなかった場合、ヤツが「それ見たことか」と嘲笑っている気もしますが、気にしない気にしない。失敗こそ自分がこれから生きていく上で大きな糧となるのですから、それをあえて避けるなんてもったいないくらいです。新潟旅行の日記でも書きましたが、僕は行く先々で多くの失敗をしました。しかし、それによって今後の旅行がより充実したものになると信じています。あまり思い悩まず、まずはやってみる姿勢が大事だと思います。

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