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ボブカットの美しさ

昔の映像作品、とくに実写のドラマや映画なんかを観ていると、現代とのファッションの差を感じることが多いです。トレンディードラマなどは特に時代の流行を盛り込みますから、当時のファッションを色濃く残した資料映像とも言えますね。逆に、今見てもまったく古さを感じさせないファッションや髪型も見受けられ、そのコントラストがまた興味深いです。流行というのは一過性であって、新鮮さという刺激を刹那的に楽しむものだ。それもまた一興。ただ、流行を生活やファッションに取り入れるのは若者の特権だと僕は考えています。

トレンドを追い続けるというのは、常にさまざまなところにアンテナを張っている必要があるし、かなり特殊な熱量が求められる。それは若者だからこそ持っているもので、アラサーのおっさんが無理して流行りに乗ろうとしたところで、ぎこちなさが生じてしまう。若かりし頃のように、流行を手足の如く上手に扱うことは叶わないのだ。僕はそもそもそれほど流行を意識してファッションを考えてはいませんが(単に流行に疎いだけ)、とはいえもう30歳になるのですから、自分の中に一貫した美学を持っていたいと考えている。その時々の自分に合わせてファストフードのようにファッションを消費するのも良いのかもしれませんが、僕はそんなに器用ではありません。演繹法に則り、1つの絶対的ルールを定め、それに基づいたファッションを心がけたい。

今の僕にとっては「普遍性」が唯一にして絶対のルールだ。時代や国を問わず、いつどこであっても美しいと感じられるデザイン、つまるところ流行とは対極的な存在。とりわけ髪型において、僕がここ5年ほどずっと魅了されているのが「ボブカット」である。なんだ、最近の流行りではないか、と思われるかもしれない。確かに、地雷系・量産系のファッションとも相性がいいので、街中でもよく見かけます。けれど、ボブカット自体は100年以上の歴史を持つとされている。少年少女でいうところの「おかっぱ」ですから、成人がこの髪型をすることであどけなさ、幼さを体現できる。いつまでも童心を忘れずにいたい僕の人生観とも非常にマッチしている。また、前髪や横髪を一直線に切り揃えたスタイルも非常に良い。頭頂部から弧を描いたシルエットの先に待つ真っ直ぐなライン。自然界には球や直線といった幾何学的な見た目をしたものは少ない。だからこそ、無機質さ・冷たさを表現できるボブカットは美しいのです。人間が人間であることの証明だ。

僕は数年間ずっとボブにしておりますが、いつしか無機質なデザインの服をも身に纏い、完全なる人工的ファッションで山奥にでも生き「俺は人間だ」と叫んでみたい。自然に抗おうとしているのではない。自然と調和し、共存していくためにも、自分が人間であることを強く自覚し、主張する必要があると感じるからだ。でなければ、僕たちは瞬く間に自然の脅威に呑まれてしまうから。

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