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何のために働いてるの?

自分は一体なんのために働いているんだろう、なんて、働いたことのある人なら九分九厘考えたことがあるだろう。いくら考えたって答えの出ないそんな疑問を無視する人もいれば、自分なりの回答や信念を持って働いている人もいるでしょう。僕は最近、答えらしきものを見つけました。あくまで今の自分にとっての答えにすぎませんが、自分の中で何も意義を見出せずに働くよりかはマシな気がします。もちろん、働く理由など「生きていくため」、99%の人にとってはこれが絶対的な正解だと思います。残り1%は人類史にとって有意義な何かスゲーことをやっているのでしょう。当然僕のようなボンクラは前者なのですが、日々働いているのが「生きていくため」だなんて、そんな当たり前すぎるつまらない理由で頑張れますかという話です。なので、自己満足でいいから何か大義名分がほしい。自分だけが納得できればいい、誰かの役に立たなくたっていいから、働く理由をくれ!と、渇望しながら日々ハイホーと勤労にはげんでいたわけです。

労働日と休日を繰り返しながら、僕は気づきました。どうやら僕は、休日を楽しむために働いているようです。労働日は当然つらいし、自分の自由時間が少ない。だから休日はそのギャップから来る開放感がたまらないのだ。あーはいはい・・・そんなの誰だってそうだよと、なに自分が大発見をしたかのような言い方をしているんだよと言いたげですね。「毎日が休みだったら、休日の新鮮味がないじゃん?」こういうことを言う人に限って、毎日が休みだった経験なんてないでしょう。自慢になるような話ではないのですが、僕は大学卒業後に計3年ほど無職の期間がある。”計”というのは、何度か職に就いた期間があるからだ。でもすぐに辞めてしまっているので、合計すると3年ほど無職だった。つまり毎日休みだ。寝ても覚めても季節がめぐっても、年がら年中365日休み休み休み。ネットで「無職って最初は楽しいけど半年もすれば辛くなるだけだぞ」→「それはお前に無職の才能がなかっただけ」こういうお決まりのやり取りがある。これに準ずれば、どうやら僕は無職の才能があったらしい。毎日楽しくて仕方がなかったし、一生これが良いと本気で思っていた。暇だとか焦りが出てくるとかは一切なく、むしろどんどんやりたい事が増えていった。そんな僕でも、労働日が休日を彩る”スパイス”になると感じている。無職の時も休日は楽しかった。まあ毎日休みなんだけど。仮に無職時の休みの楽しさを10とすると、労働日ブーストによって強化された休日の楽しさは15くらいある。労働のつらさ、束縛が休日の楽しさを引き立てるのだ。この、労働日と休日の「つらさ・楽しさのギャップ」が良いのだ。

以前、Twitchのストリーマーがタバコはなぜ美味いのか、なぜハマるのかという説明をしていた。具体的な数字は忘れたのでご容赦願う。非喫煙者の平常時がグラフの「0」だとして、ちょーうまい大好物を食べると数字は「5」になる。これが非喫煙者の感じる快楽。一方、喫煙者は平常時が「-5」らしい。そして、タバコを吸うと「1」になるという。お分かりいただけただろうか?非喫煙者の上がり幅は0→5の「+5」で、喫煙者は-5→1の「+6」なのだ。確かに、結果として「1」ならダメじゃん、と思われるかもしれないが「+6」という上がり幅、ギャップは他じゃ味わえないもので、これがクセになるんだとか。非喫煙者の僕はこの説明にとても納得した。やはり、感情のコントロールとしてギャップは重要ですね。本題に戻りますが、僕は労働日につらい気持ちを溜めて溜めて・・・そして休日に高くジャーンプ!するのです。このギャップや落差はサザエさん症候群など情緒不安の一因にもなるので諸刃の剣なのですが、やはり休みの前日はたいへん気持ちがいいです。つい踊っちゃいますね。無職期間があったからこそ、毎日休みであることと、たまに休日があることの差がよくわかります。どちらも悪くないですが、たまの休日は格別ですね。それに、なんと働いているとお金ももらえるんですよ。

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