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ムチャな遊び方

最後にムチャな遊び方をしたのっていつだろう。おそらく大学生の頃なのだろうが、明確に思い出せないほどに過去の出来事だ。気づけば極力リスクのある選択をしない、安心・安全な遊びばかりに落ち着いてしまっている。予算や解散時刻は事前にきっちりと決め、翌日の体調を考慮した無理のないスケジュールを組む。一定の楽しさは担保されるが、それでもたまには「刺激が足りねェ…!!」と、絶望と愉悦を兼ね備えた激しい何かを渇望する。

しかし、歳を重ねるごとに新鮮さや刺激に対しては鈍感になってゆくものです。子どもは10コの経験に対し10コの刺激を得る。体験すること全てが初めてで新鮮だからだ。暇な1時間を悠久の時かのように長く感じるのは、1秒1秒の間に身体がニオイ、音、雰囲気などその場に存在するあらゆる要素を取り込み、1つ1つを丁寧に処理しているからだ。けれど、大人になるとその処理過程が雑になる。これは既知、これも既知、スルー、スルーと、知っているものはいちいち認識しない。だから今の僕たちは、子供の頃よりも暇な1時間を短く感じるはずだ。ということは、子供よりも損な1時間を過ごしていることにならないか?子供に匹敵しなくてもいい。けれど、彼らのように短時間で濃密かつ刺激的な体験をしたい。これは一種のノスタルジーだ。そんな願いを僕は今日叶えてきたのでお話しします。

僕は多い時は週2日ペースで通う程度にはサウナが好きです。とはいっても、それは春や夏のお話。今みたいな寒い時期は1人だとまず行きません。雪山で凍死したいなぁなんて思うこともありますが、それは例外として、基本的に寒い場所へは行きたくないのです。ましてお金を払って寒くつらい思いをするなんてもっての外。絶叫マシンくらい理解できない。けれど、ひとから誘われれば話は別です。誰かと会うというイベントは、会って何をするかよりも「会うこと自体」に目的があるからです。今日は年末年始で地元に帰ってきている友人から声がかかり、サウナへ行くことに。つい先日、年末にも会ったばかりなので、今日はサクッとサウナでととのって解散というパターンかと思っていました。ひとまず集合時間を決めて落ち合い、適当なサウナをチョイス。店舗に到着し、券売機でチケットを購入。己の手で身包みを剥がし、いざ浴場に繰り出す。そしてサウナ室前で僕たちは一瞬立ちすくむ。なんと、扉が半開きになっているではありませんか。よく見ると、扉には「故障中」の張り紙が。そんなことありますか。いや、そりゃ故障くらいはありますよ。けれど、このありさまを客に伝えず営業して大丈夫なのか。僕がこの店舗を提案した手前、こんな事態になってしまい友人に頭が上がらない。さぞ隙間風が気になるだろうことは容易に想像できましたが、しかしお金は払っているので渋々サウナ室へ入る。が、思いのほか気にならないことに驚きました。水風呂や外気浴もわるくなく、それなりの満足感を得られました。それでも、サウナ室の扉が故障していたことを引きずっていた僕は「別のサウナ行く?」と謎の提案をしました。サウナを梯子するという奇妙奇天烈な申し出に、友人は笑ってGOサインを出してくれました。僕もまともな人にはこんな提案はしないのですが、この友人は少々イカれており(そこが面白くて好きなのですが)、だからこそ一旦言うだけ言ってみたのです。

そうと決まれば1店舗目を早々に切り上げ、2店舗目をリサーチしてすぐさま向かいます。しかし道中の車の中で、僕の中で決して抱いてはいけない感情が芽生えてしまう。「面倒くさい。行きたくない。」早々に切り上げたとはいえ、1店舗目でも2セット回しているので、適度な疲労と充足感が身体を包んでいたのです。であれば、なんで今からまたサウナに行かなければならないんだという不満が噴出するのが道理です。助手席に座る僕が小声で「行きたくない」と漏らすと、なんと友人も同意見とのこと。通常であれば「やっぱり行くのはやめよう」と、満場一致でプラン中止です。しかし、僕たちは2店舗目に向かう足を止めません。不愉快だ、行きたくない、そうした負の感情を越えた先に一体何が待ち受けているのか、それをこの目で、いや身体で確かめたかったのです。この不可解さ、不合理さに、僕は心底ワクワクしました。ワケがわからないし、意味もない、けどやってみたいからやる。そんな当たり前のことができなくなってしまった僕たちのなかに、いま子供心が復活を遂げたのだ!そして2店舗目でも、しっかり12分×2セットを遂行します。ただ梯子すればいいわけではありません。1回1回のサウナと丁寧に向き合い、毎回全力を尽くすのです。しかし、当然ですがめちゃくちゃ疲れました。サウナを梯子するというだけで、こんなにも身体に負荷がかかるとは・・・。そして、僕は友人に対し最後にもう1つ提案。「じゃ、3店舗目行きますか」

驚き呆れたような様子で、それでも笑いながらOKを出してくれた彼にはこちらも脱帽です。もちろん、お互いの体調を最大限考慮した上での判断です。いくら子供心に憧れていても、コンプライアンス意識はきっちり大人ですからね。して、3店舗目に向かう僕たちは既に達観したような面持ちで、心に澱みなどない。まるでサウナのすべてを知り尽くしたかのような気になり、堂々と3店舗目へ向かいます。この時は、2店舗目に向かう際に感じていたような不快感はありませんでした。1度乗り越えてしまえば耐性がつくのでしょう。もう何も怖くない僕たちは、難なく3店舗目の2セットを終える。気持ち的には余裕でしたが、身体は正直なもので、もうズタボロでした。あまりに疲れました。同時に達成感もひとしおでした。当然のことですが、何か目標を決め、それに向かって苦心するというの良いものですね。大人になった僕たちが忘れていたものを思い出せたような気がします。しかし、こんなムチャな遊び方に付き合ってくれる友人がいることには感謝しかありません。ありがとうございます。本年も、なかなかの好スタートです。

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