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休日の予定を妄想をしている時が1番楽しい

明日は丸1日自由な時間があるな、何をしようかな、といった時に、色々と予定をたてますよね。YouTubeやアニメを観るのもいいんですが、せっかく丸1日使えるならいつもと違うことをしたい。そうだ、ちょっと遠出して温泉にでも浸かりにいこうか。帰りに古本屋やケーキ屋に寄って、自室でコーヒーを啜りながら買ってきた本とケーキを楽しむ。なんて素敵な時間だろう。そんな妄想を膨らませながらワクワクする。内容は違えど、同じような経験のある人はいるでしょう。僕はしょっちゅうです。いつも計画段階ですこぶる興奮するのですが、いざ実行に移すと予定を練っていた時の気持ちの昂ぶりはどこへやら、なんだか冷めきった自分がいるのです。決してつまらないとか面白くないわけじゃないんです。けれど、あれこれと妄想している時の方が楽しいんじゃないか、なんて思ってしまいます。これはあれですか、「遠足は準備をしている時が1番楽しい」みたいな、あの感覚と同じなのでしょうか。一体なんなんだこれはと、モヤモヤした気持ちになりつつも、まあそんなものかと考えるのを投げ出してしまっていた。

最近ヘルマン・ヘッセの短編集を読んでいたのですが、そのなかの『詩人』というタイトルにとてもタイムリーな場面があった。あらすじはこうだ。とても優れた詩の才能を持つ若き主人公はある日、1人の老人と出会う。その老人の詩にひどく感動した彼は、自身の父と婚約者に別れを告げ、老人のもとで修行をする。しかしある時、彼はとてつもないホームシックに襲われる。そこで、師匠もとい老人に旅立たせてくれとお願いをする。「お前は自由じゃ」と老人。彼は急いで生まれ故郷に帰り、家の庭に忍び込んで寝室で寝ている父の姿を確認。また、婚約者の家のそばにある木から彼女の様子を観察した。ここからは素晴らしい本文を引用します。

こうして目のあたり見たいっさいと、懐郷の念にかられて描いた光景とを比較して見ると、自分がやはり詩人として生まれていることを、彼は明らかに知った。彼は、詩人の夢の中には、現実の事物に求めても得られない美しさ優雅さが宿っていることを知った。

高橋健二/訳 ヘルマン・ヘッセ『メルヒェン』

かくして、彼はまた師匠のもとに帰るのです。僕はこのシーンに衝撃をうけました。要は「遠足は準備をしている時が1番楽しい」的なことなのですが、きっちりとその理由までもが説明されている。詩人の思い描く夢まぼろしのような世界は、現実にはない美しさや優雅さがある。己の中にあるロマンチシズムを現実世界に落とし込んで妄想をしてみるも、結局現実にはただ現実があるだけ。子どもは自由にいろんな妄想をします。夢や希望、期待にあふれています。だからこそ、遠足の準備をする前夜は楽しくて楽しくて眠れないのです。しかし、当日になると前夜とのギャップを思い知らされるのですね。そうした経験を僕たちは何度もしている。だから、大人になると皆変な期待はせず、夢を見なくなる。現実なんてこんなものだと気づいてゆくのです。けれど、純粋な気持ちがわずかでも残っていると、やっぱり誇大妄想はするし、妙な期待だってしてしまう。つまり、休日の前にいろいろと妄想を膨らませてワクワクしたけど、当日になってみると想像していたよりも平凡で、期待を上回ることはないという経験は、己の純粋さ故なのかもしれない。もし心当たりがあるなら、あなたもとてもピュアなのでしょう。だとすれば、そんな美しい自分の心を大切にしてあげたくはなりませんか。

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