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僕ハ...少シダケ右翼ニ...ナッテシマッタヨウデス...

たまに元カノと通話をすることがあります。先日も小一時間ほど喋りました。職場の苦労を聞いたり、僕は僕で最近観た動画やアニメの話をしたり、基本的にとりとめのない会話だ。そんななか元カノが「愚痴を言わないのがえらいよね」と言ってきた。そう、僕は恐らくほとんど愚痴を吐かない。「恐らく」というのも、愚痴ってのは本人に自覚がないことも多いからだ。あと保険の意味もある。お前!日記で散々愚痴ってるじゃないか!と言われるかもしれないし。まあしかし、それでも愚痴はかなり少ないでしょう。とすると、僕は人間関係や社会環境に対して一切の不満を抱いていないのか?ノーノー、そんな聖人君子じゃない。むしろ人一倍多く、そしてこじらせた不平不満を感じていると思います。だからこそ愚痴を吐かないのだ。

そもそも、職場での不満を社外の人間に話したって半分も伝わらない。自分の抱いている怒り、憎しみ、妬み嫉み、理不尽かつ攻撃的な感情、それに共感してもらうには複数の条件が噛み合わなければならない。自分と価値観が近くて、同じようなことに怒りや不満を抱き、そして同じ環境下にいること。自分の嫌いなAさんについて話そうにも、相手がAさんを知らないことには共感度は低い。さらに、Aさんと自分の関係性、Aさんや自分がコミュニティ内でどういう立ち位置にいるかなど、包括的に状況を把握していなければ「確かに!その状況でAさんにその発言されたらムカつくわー!」という共感に繋がらない。

だったら、職場の同僚に職場の愚痴を吐けばいいんじゃない?そう、その通り。愚痴で鬱憤を晴らしたいのであれば、それがもっとも効果的だ。しかし、職場で愚痴を吐くのは大きなリスクも伴う。ヘタを打つと、自分の立場が危ぶまれるのだ。「あの人、Aさんのこと悪く言ってましたよ」とリークされたらたまったものじゃない。よほど信頼できる人でない限り、職場内での愚痴は避けた方がいい。というか、原則するべきでない。となると、職場内の愚痴を言う相手がいない、ということになる。吐け口がないのであれば、鬱憤を募らせたって仕方がない。なので僕は、会社の人間に対して特別な感情は抱かないようにしています。

元カノはこうも言いました。「愚痴は吐かないんだけど、なんかこう抽象的というか、世の中に対しての漠然とした不満みたいな、解決のしようがないことを言うよね」と。僕が思わず「それってネトウヨみたいな…?」と呟くと「そう、そんな感じ」と返され、ハッとした。「愚痴は負の感情を増幅させ、ロクなことがない」なんて某メンタリストの受け売りをしているくせに、僕はもっと危ない領域に足を踏み入れてしまっていたのかもしれない。そうか、これがネトウヨの始まりなのか…確かに僕はふわっとした疑問、不満を抱くことが多い。日記に書く内容もそういうテーマが多い気がする。誰か、僕が手遅れになる前に救ってくれ。誰でもいい、悪魔でも…!

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