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【エッセイ】RPGゲーム

「なんのゲームしてきた?」

僕はこの質問が得意ではない。

それに対する答えは「ウイイレとパワプロかなぁ」

記憶をたどる限りここから話が盛り上がったことは一度もない。僕としては「スローリプレイの時のファンデルサール骸骨みたいやんなぁ!」や「マクレスターユナイセットってなんやねん!」などといったあるあるで盛り上がりたいところだが、そんな話で盛り上がるのは学生時代の同級生のほんの一部だと思う。

恐らくこの手の質問への適切な答えは、「モンハンかな!」「ポケモンはやりまくったなぁ!」などだろうと思う。つまりRPGゲームだ。なぜRPGゲームだと話は盛り上がるのか。

それは共通体験を持っているからだど思う。RPGではストーリーの選択肢はあるとはいえ、それぞれ同じ敵に手をやいたり、同じ裏技を使ったりと、共感できる部分が多い。つまりゲームクリアに向けてある程度同じレールの上を進んでいっているため、別々にゲームをしていてもどこか仲間意識のようなものが芽生えるんだと思う。実際オンラインでチームプレイをしながら進んでいくことも一般的になってきている。

そんなことを考えるうちにどうして僕はRPGをしてこなかったのだろうかと考えるようになった。

記憶を遡ると、僕が初めてRPGを手にしたのはゲームボーイのポケモン銀だった。空前のポケモンブームの中周囲の友人は熱狂した。ポケモンのレベルを上げ、各エリアのジムリーダーを倒して、どんどんバッチをゲットしていった。しかし、僕は3人目のジムリーダーをどうしても倒せなかった。何度挑んでも負けてしまい、抜け出せない迷路に迷い込んだような感情に陥った。そして僕は夢の中でもゲームをしていた。主人公がどうしても勝てない3つ目のジムがある街の中をただただウロウロしているのだ。特にこれと言ってなにもしない、ただ歩くだけ。それがなぜかとても恐ろしかった。恐怖とは真逆ともいえる明るいBGMがさらに僕を怖がらせた。その恐ろしさは夢が覚めても続き、それ以降僕がポケモンを開くことはなく、数か月後母親が四天王をボコボコにして喜んでいた。

僕のRPG第一章はあっけなく散った。IRでのKO負けだった。

こう考えると僕はRPGを進めていくセンスがもともとなかったのかもしれない。


そこから僕のRPG二章が幕を開けるまでは数年がかかった。


ポケモン銀にKOを食らったことなど忘れかけていた僕の目の前に現れたのは”ぼくの夏休み”(以下 ぼく夏)というゲームだった。ゲームの内容は単純であり、主人公の”ぼく”が夏休みの間だけ田舎の親戚の家で1か月間を過ごすという、日常系のRPGだ。8月1日からスタートして8月31日まで進めるとエンディングを迎えることとなる。田舎の町で釣りや虫取りをしたり、その町に住む様々な人との交流を楽しんだりする平和を具現化したようなゲームであり、今までの僕の人生の中で最高傑作である。

しかし、最高傑作のはずのこのゲームは僕にそれ以降RPGに近づかせないあるトラウマを与える。


僕のRPG第二章は序盤から順調に進み、海で泳いだり、山を駆けまわったり、小さな田舎町での生活を平和に楽しんでいた。民宿に滞在しているギターを持った外国人の「夕陽が海に沈むとき”ジュッ”って音がするんだ」という大好きなセリフにも出会えた。

そして何よりポケモンの時には得ることができなかった共通体験があったのだ。

”ぼく夏”はみんながしていた人気ゲームではなかったが、ゲームが得意の友人トモ君も僕と同時期に”ぼく夏”にハマっていて話が盛り上がった。ある日僕はデータが入ったメモリーカードを持ってトモ君の家に向かい、お互いが集めた虫や魚のデータを見せ合っていた。トモ君はゲームが得意だったこともあり、僕がまだ出会ったことのない虫や魚をたくさん持っていて、関心をしていた。しかし、その日一番の歓声が上がったのは、僕が釣った魚をトモ君に見せた時だった。

「オニカサゴおるやん!!!」

僕はよく知らなかったが、トモ君曰くオニカサゴはなかなかのレアらしい。僕はとても嬉しかった。「これ見て!オニカサゴやですごいやろ!」と自慢したわけではなく、棚から牡丹餅的な、毎日何気なく教科書の隅に書いていたパラパラ漫画を急に評価された的な、そんな偶発的な驚きであったことが、僕の喜びを倍増させた。

僕はウキウキしながら家へと帰り、ハイテンションのまま”ぼく夏”を数日進めた。オニカサゴ効果で急にプレミア感の増した僕のセーブデータは、8月28日まで進み、感動的なクライマックスを見るまで、つまり僕の人生初のRPGクリアまで残り3日間となっていた。

次の日学校から帰った僕は真っ先にゲームに取り掛かった。残り3日間だ、今日中に終わらせてしまおうと、学校にいるときから緊張で少しドキドキしていた。

いつものように電源をオンにし、セーブデータのフォルダから、僕の28日分の愛情が詰まったオニカサゴデータを開こうとした。

しかし、データがない。うん?なんかバグったかな?

とりあえず一度ゲームを再起動し、再びセーブデータを開いた。

しかし、さっきと同じだ。冷汗が出てくる。

そして少し冷静になって、昨日まで僕がセーブデータがあった位置を見てみると、

名前:あああああ 8月1日

完全に悟った。この適当な名前、8月1日という真新しすぎるデータ。

弟だ。まだゲームもちゃんと理解していない弟が、僕のいない間に普段の僕の姿を見よう見真似でゲームを起動し、適当に遊んで、適当にセーブした。それだけならよかったが、そのデータを上書きしたのだ。

泣くしかなかった。とりあえず泣いた。でも弟には悪気はなかったため親からは「知らんかってんやん」で片付けられた。だから僕は余計に泣いた。だれも僕の気持ちをわかってくれへんやん。

次の日僕はトモ君に打ち明けた。トモ君は以外にも冷静で、あるあるやなくらいの反応だった。その共通理解は今はいらんわって思った。一緒にオニカサゴが消えたことを悲しんでほしかった。そっちの共通理解が欲しかった。



それから僕はRPGをしていない。おそらくこの経験のトラウマは少なからず影響していると思う。でも、15年ほどが経ち、そろそろ克服しなければいけないような気もしている。実際今までRPGをしている友人を見て、してみたいなぁと思うことも何度かあった。


それに、あの夏休み、僕が失ったのはオニカサゴだけではないんだ。


最後の”3日間”には、僕も想像していないようなことが待っていたのかもしれない。


今年はそれをもう一度見つけに行く夏にしてもいいのかも。

実家にまだゲームが残っていればの話だけど。




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