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初めて日曜に教会に行ってきた

San Jose生まれ、San Jose育ちのLさんと一緒に、教会へ。
Lさんはこの教会に5年ほど通っており、歌を歌う際の伴奏も担当している。

どうやって教会を選ぶのか、
教会では何をするのか、
クリスチャンでなくとも入れてくれるのか、、、
などなど様々な疑問があった。

Lさんはもともと別の教会に通っていたが、引っ越しがきっかけで家の近くを探して、今の教会を見つけたとのこと。もともと家族みんなで行っていたが、最近はLさんだけ。「理由は知らないけど」とのこと。

教会というと、スタンドグラスがあって、大きな十字架が掲げられていて・・・というイメージがあったが、私が行った教会は公民館のようなところ。前には小さな十字架と大きなスクリーン。
日曜日の13:30。子供から大人まで続々と集まってくる。子供達が走り回る。
ピアノ、ギター、ボーカル2人が演奏を始めると、スクリーンに歌詞がパワポで映し出される。メロディーラインが簡単なので、何となく私にも歌えた。

歌というのは不思議で、合唱コンクールでうまい具合にハモれた時みたいな、大リーグの応援席でみんなで同じ応援歌を歌った時みたいな、心地よさに包まれた。

そのあとは聖書を開きながらの講和。女性は頭に布を巻く。これは強制ではないらしい。
そして参加者一人一人が「最近感銘を受けた聖書のフレーズ」を語る。私の英語リスニングが合っていれば、多分、このテーマだったと思う。全員がビデオ撮影された。
(ごめんなさい、一旦ここで私は眠りにつきます)
こんな長い会、子供達はどうしているのだろうと見ていると、お絵かきをしたり、床に寝っ転がったり、ゲームをしたり、親の腕の中で眠ったり。。。本当に自由。聴くことを強要されないんだ、とどこか新鮮だった。
自分が子供の時は、正座が辛くてもお経が読まれている間中、一言も喋らずに大人しく「すべき」ものだと思ってそうしていた。
どっちがいい、とかではないけれど、自分がやりたいことをやる方が自然な気がした。

皆フレンドリーで、なんでアメリカにきたの?Lさんとはどう知り合ったの?などと話しかけてくれる。子供達も挨拶してくれる。
よく聞かれたのが「日本にいる時はどこの教会に通っていたの?」そうだよなあ。アメリカに来て教会に来るんだから当然日本でも通っていたに違いないよなあ。

今回行った教会は、オープンでフレンドリーだったが、他の方に聞くとお金を強要されるようなこともあるらしいので、どこでも行けばいいというものではない。
「日曜の教会」=「画一的な一つの形」ではないので一概には言えないが、今回は地元で生まれ育った人と出会うことができた、素敵な体験だった。

すてっぴぃ@自分でもびっくりするくらいどこでも寝れる

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