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大河ドラマ「青天を衝け」第32話

おはようございます
10月も最後の週の月曜日の朝です
昨日は日曜日でしたが普段と変わらぬ一日
午前中には新規のクライアント1名
午後からは2名来所打合せと1件訪問
うちから1件は遺言作成についての相談
併せて各種書類作成作業などなど

日曜日ということで大河ドラマ「青天を衝け」第32話

栄一は民間人として新たな道を進む決意をし
明治政府を辞め第一国立銀行の総監役となる
洋行から戻った喜作は横浜で生糸の商いを開始
栄一の母ゑいは体調を崩し栄一のもとに身を寄せるが、、

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
→https://www.nhk.or.jp/seiten/story/32/

ドラマの中ではさらっと流されてましたが
赤坂喰違の変と佐賀の乱という大きな動き

この二つの事件の発端となったのは
明治6年10月に政府内で起きたいわゆる征韓論争で
ここで敗れたこのにより征韓派参議であった
西郷隆盛・江藤新平・板垣退助らが下野したにより
大久保・岩倉政権に対して不平士族の不満は増幅しました

明治7年1月14日夜、赤坂の仮皇居から退出して帰宅途中の
岩倉の馬車が赤坂喰違坂で岩倉が襲撃をされたのが
赤坂喰違の変と呼ばれるもので幸い岩倉は一命を取り留める

この療養中に起こったのが佐賀の乱は
1874年2月に江藤新平・島義勇らを中心として起こった
このころは各地で萩の乱や神風連の乱など
不平士族による反乱が相次いだ時期でもありましたが
すべて明治政府による軍事力により鎮圧
とくに佐賀の乱は大久保自ら軍を率いて九州に入った

箱館戦争を率いた榎本武揚は赦免され政府要職についたが
江藤新平は佐賀の乱鎮圧後は逃亡中に捕縛され
ほぼ問答無用に近い形で処刑晒し首にされるなど
特に佐賀の乱に対する大久保利通が熱量の凄さが感じられます

ただ渋沢栄一が主人公のドラマであることを考えると
ここからのちの西南戦争などもさらっと流して終わりか
ほとんど触れることもなく進んでしまうかもしれません

という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!

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