【考察】大河ドラマ「光る君へ」第22回!
おはようございます
週の始まりの月曜日の朝です
昨日は朝一から事務所にて文書作成
それから某団体の研修会に参加
夜になり事務所に戻り資料整理など
で、月曜日ということで
大河ドラマ「光る君へ」第22回
越前に向かう途中に敦賀の松原客館に
立ち寄ったまひろと為時を宋人の朱や
通事の三国らが迎えた
その夜に国守を歓迎する宴が行われた
翌日越前国府に到着したが為時は
早々に激務で体調を崩してしまう
ドラマのあらすじに関してはこちらへ
→光る君へ公式サイト
紫式部が父為時とともに越前で過ごしたのは
996年1月頃でこのとき27歳(ただし年齢は諸説あり)
から約1年半くらいであったと言われています
まひろと為時は都を出ると近江に向かい
琵琶湖を渡って越前方面に赴いたそうです
近江の水海にて、三尾が崎という所に、網引くを見て
三尾の海に網引く民のてまもなく立ち居につけて都恋しも
この時紫式部は上記のような歌を詠んでいます
滋賀県高島市にある白髭神社に紫式部歌碑が
建立されこれらの歌が記されているそうです
この石碑には、次のような説明があるそうです
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この歌は、「源氏物語」の作者紫式部が、
この地を通った時に詠んだものである。
平安時代の長徳二年(996)越前の国司となった
父藤原為時に従って紫式部が京を発ったのは
夏のことであった。
一行は逢坂山を越え、
大津から船路にて湖西を通り越前に向った。
途中、高島の三尾崎(今の明神崎)の浜べで、
漁をする人々の綱引く見慣れぬ光景に、
都の生活を恋しく思い出して詠んだのが右の歌である。
その夜は勝野津に泊り、
翌日塩津から陸路越前に下った。
紫式部にとって、
この長旅は生涯でただ一度の体験となった。
彼女は越前の国府(武生市)に一年ばかり滞在したが、
翌年の秋、単身京に帰った。
ここに紫式部の若き日を偲び、
当白髭神社の境内に歌碑を建て
永く後代に顕彰するものである。
なお碑文は「陽明文庫本」に依り記した。
昭和六十三年四月吉日 建立
高島町観光協会
(白髭神社紫式部歌碑より引用)
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また、福井県越前市の「紫ゆかりの館」には
紫式部にまつわるモノがいくつも展示されていて
「日本を代表する女流作家 紫式部が
越前たけふの地で過ごした時間と、
紫式部が生きた国府時代より脈々と生き続けている
越前・丹南地域の伝統的工芸品について、
展示や物販を通して紹介しています。」
(以上紫ゆかりの館HPより)
ということだそうです
紫ゆかりの館HPより→こちらから
さて次回、宣孝がまひろと為時に会うために
わざわざはるばる越前までやって来る
その目的は。。。。。。
次回、第23回「雪の舞うころ」
という訳で
今日も一日がんばって行きましょう!
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