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【考察】大河ドラマ「光る君へ」第5回!

おはようございます
1週間の始まりの月曜日の朝です

昨日は朝一からクライアント先にて打合せ
それから事務所に戻り一日ずっと作業
途中、午後からは来客3件ほどあり打合せ

で、月曜日ということで
大河ドラマ「光る君へ」第5回

まひろは道長の身分が実は右大臣家の子息で
それも6年前に母を手にかけた道兼の弟であると
知りショックを受けて寝込んでしまう
まひろが倒れたことを知った道長は
自らの身分を偽ったことを直接会って
説明したいとまひろに文をしたためる
ようやく再会した道長とまひろは…

ドラマのあらすじに関してはこちらへ
光る君へ公式サイト

冒頭に「右大臣家の3人の御兄弟は見目麗しく...」
という源倫子ら4人の平安女子の女子トークの場面

右大臣家というのは右大臣藤原兼家の3人の息子
藤原道隆藤原道兼藤原道長3兄弟のこと

右大臣とは当時の朝廷の最高機関で太政官の職の一つ
官位は「正・従二位」で超上流貴族ということで
道長らは上流階級のイケメン3兄弟という感じ

同時の日本における官位は人が就く官職と
人の貴賤を表す序列である位階の総称

位階とは律令制における官僚の序列の標示で
603年の冠位十二階制から数度の変遷を経て
大宝令養老令で整備されたものだそうで
階級は細かく定められ「正一位」から「少初位下
まで30の階級が定められていました

官職もその役割に応じて階級があり
最上位の太政大臣を筆頭に左大臣右大臣とを
総称して三公・三槐と呼称され
当時の日本の政治権力を司っていました

この中で右大臣という役職の役割は
左大臣とともに事実上の太政官の長官の立場ですが
左大臣がある場合は議政官の首座は左大臣で
左大臣が置かれていない場合などに
右大臣が朝議を主催しましていたそうです
また左大臣が関白を兼務していた場合には
右大臣が左大臣の担っていた政務を担当したそうです

まあこの辺中々イメージをつかみづらいですけども
ドラマを通じて少しずつ慣れていくしかないかも(笑)
ちなみに右大臣の役職は1885年内閣制度の
発足に伴って「関白」等と同じく廃止となりました

次回まひろは道隆主宰の漢詩の会に参加
第6回「二人の才女」

という訳で
今日も一日頑張っていきましょう

画像の引用 PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

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