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わたしを生きるということ

減薬でお世話になっている精神科の先生のオンライン受診日だった。前回の記録から今日までにも何度か受診していたけれど減薬をステイしていることもあって取り立て書くこともなかったため書いていなかった。

大抵は不足している薬をもらうために話をして終わるのだけれど、今日は久しぶりに少し最近のことを話した。セラピーヨガのクラスに参加したこと、気候のこと、心と向き合っていること。先生は「心はね、向き合わなくてもいいんですよ。でも減薬をしているとどうしても体の不調もあって心のことをたくさん見つめてしまうよね」と今日もやさしく微笑んでいた。今は少しだけわかる。

体を動かすようになって色んなことに気づくようになったわたしは、自分のことも以前よりはっきりと見えるようになってきていた。以前よりも客観的に自分を見られるようになったということもあるけれど、自分の良くない部分、嫌な部分もより一層見えるようになってしまった。その事で落ち込んだり、変わるためにはどうしたらいいんだろう?自分と向き合わなくては!とあれこれ自分のことを分析していた。ついネガティブに考えてしまうから、無理矢理でもポジティブに考えてみよう!とか、いつも伝え方が優しくないからこういう風に伝えれば優しくなるんじゃないか?とか、なりたい自分像を作り上げてはそのためにどうすればいいのか?を一生懸命に考えて一生懸命にやってみていた。割とよく「自分と向き合いましょう」というのを目にしてきたので、向き合わなきゃいけないのか!向き合えば変わるのか!と思ったのもあると思う。

先週、漢方の先生と話をするタイミングだったので、わたしはその事を話してみた。「運動をして色んなことが見えるようになったけど、最近は自分の嫌な部分がたくさん見えて、変わるためにはどうしたらいいのか考えてみてるんです。」先生は「やんなくていいですよ、そんなことは。」と少し笑っていた。「えーでもわたし優しい伝え方とかも出来ないし、嫌なところもたくさんあるし」とそれでも変わりたい!と少しゴネるわたしに笑いながらやっぱり「やんなくてもいいですよー、僕もね昔やったんですよ、色々と目標を決めて今年はこういうことはしない!って。でも結局は◯◯を知れば大丈夫」というような事を言っていたけれど、せっかくなので答えは伏せておくか・・・まぁ、それは真理だろう。それでも納得しそうにないわたしを見て「やってみるといいですよ!やってみないと気が済まないでしょ、僕と同じだから」とやっぱり笑っていた。

答えはわかったものの、やっぱりわたしは自分が心からそのことに対して理解出来ているわけではないし、まだその境地には辿り着けていないので今も何となく少しずつ自分の事を分析しては見つめている。もっと時間が経てば笑い話になる時が来るのかなぁ、とぼんやり思っている。

時折やってくる苦しさや悲しさや寂しさを感じながら今日もわたしは生きていて、それでもわたしがわたしであることは何も変わらないじゃない、と何となく自分を慰めている。

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