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きみがおしえてくれた事

新しいリュックサックを求めて、ショッピングモールをぶらついていた。もともと持っていたリュックを、家の、日当たりのよい場所にぶら下げていたら、劣化したのか、肩にかけるストラップの部分が根本からぷっつり切れてしまったのだ。どうせ買いかえるなら、ノートパソコンの入るやつがいい。

旅行用品のコーナーには、PC対応のリュックも並んでいた。黒、グレイ、濃紺。機能性は申し分ないが、どうも色がぱっとしない。中学時代の自分を見ているかのよう。ビジネスシーンに用いられる種類の鞄だから、ぱっとしないものが売れ筋なのだろうか。ここには欲しいものがない。

やっぱり、あのリュックにするしかない。実をいうと、別の店で目をつけているものがあった。それは明るい色で、機能も想定以上で、それゆえ値段が張るので躊躇していたのだ。夜遅く、閉店間際の時間に店に入り、一直線にリュックをとってレジへ向かった。慌ただしそうな雰囲気のなかで、それでも気さくな女性スタッフが、丁寧に対応してくれた。

ずっと気になっていたのですが、買うことにしました。新しいものはありますか。
「並んでいるものだけなんですよ。よごれなどがないか確認しますね」
彼女は、無数にあるポケットを、ファスナーをひとつひとつ開けて丁寧に確認してくれた。その機能性の高さに、「私もよく見るの初めてなんですよ」と、一緒に驚いてもくれた。

秋の夜は静かだ。ヘッドライトが道端でゆれるススキを映す。音楽データを整理するために、昔のUSBメモリを車のオーディオにつないでいた。ジョー・パスの優しくて緩やかなソロギターが流れてくる。My romance、古いジャズの曲。録音も古いし、出会ったのもずいぶん前になる。

そうだ、きみが、このCDを貸してくれたんだ。

***

最初にきみと出会ったときの場面は、昨日のことのように思いだす。

僕は当時、本やアニメが大好きで、友達がひとりもいなかった。遠い街に家族で引っ越してきて、まだ間がなかった頃だったと思う。今のようにSNSや、それどころか携帯電話さえみんなが持っているわけではなかった時代、離れた旧友と自由に語ることもできなかった。文通は間遠だった。

突然、きみは、僕が大好きだったアニメの、原作マンガを目の前に示してくれた。金田一少年の事件簿。原作がマンガであることを当時の僕は知らなくて、ひどく嬉しかった。それについて詳しい知りあいもいなかったし、親戚にも読んでいる人はいなかった。それで、いったいどうやったらその情報に辿りつけたのだろう?と、後々深く悩んだ。それでも、きみがおしえてくれたから、その後僕は小遣いを貯めて全巻買った。

それから、高校に入っても僕たちの関係は続いたね。しょっちゅう会っていた。友達と一緒に会いに行ったこともよくあったね。あの頃は自転車通学で、バカみたいに、毎日通って、同じところに自転車を止めて、近くの自販機でアイスクリームを買って食べて、暗くなってから別れて、僕はひとり星を見ながらふらふらと自転車をこいで、田んぼのあいだを危なっかしく家に帰ったのを、よく覚えている。

あの頃やっていた、夏の100冊という文庫本のキャンペーンは、本に詳しいきみも知っているとおり、今でもずっと続いているんだね。お揃いの帯と、プレゼントのしおりに惹かれて、何冊も読んだ。100冊を紹介する無料のリーフレットを何度も読みかえして、ふだん自分が選ぶ本以外にも様々な本があることを知ったよ。

高校1年のときキャンペーンで買った本は、印象深くてよく覚えている。『六番目の小夜子』『シャーロック・ホームズの冒険』『江戸川乱歩傑作選』。偏りがすごすぎて、笑える。この頃は本当に、僕は閉じた世界にくらしていたね。きみはもしかしたら、早い段階でそれに気づいていたかもしれない。

もっと、色んな世界に自分から入っていってみたら、よかったのに。自分にないものに気づくのは、難しいね。今思えば、きみは、そう何度も諭してくれていた? きみの色んな提示があったこと、今の僕にはすごくよく分かる。

大学に入って僕が東京に住むようになってからは少し疎遠になってしまっていたけれど、帰省するごとには会っていたよね。たまにホラーDVDなんかも貸してくれたね。ホラーは苦手なんだけど、しばらく見ていないとムズムズと見たくなってきて、見てけっきょく後悔する、という悪循環なんだよね。そんなことの繰り返しだったのだから注意してくれたらいいのに、一度もきみは拒んだりしなかった。意地悪だったのかな。

大学で僕はジャズ研究会に入った。いままで数人のプレーヤーしか知らなかった僕に、きみは、ジャズのレジェンドの存在や、ジャズから派生した若いミュージシャンの音楽を、たくさんおしえてくれた。とくに、あの頃まだ数枚のアルバムしか出てなかったのにきみが持っていたJABBERLOOPは、今でも大好きで、繰りかえし聴いている。僕のデータにある曲のほとんどは、きみが貸してくれたCDだ。

就職になやんだ時には、どんな資格を取ったらいいかなんていう相談にも乗ってくれていたよね。興味が向くたびに僕は、色々に意見を変えるから、その度に付きあう羽目になっていたのに、きみはいやな顔ひとつせず、根気よく話をきいてくれた。それから、本当に進路や人間関係に迷ったときには、占いもやってくれた。50%くらいは、当たっていたような気がする。

そして、あの夜があったね。

その日は真夏で、陽が落ちようという時刻だった。僕は家族と喧嘩をして、居場所を無くしていた。夜風は涼しかったけれど、田舎のことで、自転車で行ける範囲に長居できるファミレスや満喫などはなく、気軽に行ける知り合いも近所になく、夜になれば道路をぐるぐる走るのにも疲れてしまった。精神的な鈍痛が、頭だか背中だかに重く圧しかかって、もうどこへも行きたくなくなってしまっていたんだ。

どこへも行きたくないし、帰って眠る場所もない。何もしたくないのに、道に佇んでいる以外にない。いったい、これからどうしたらいいのだろう? 今夜、どこへ行ったらいいのだろう? これから、どう、生きたらいいのだろう? 誰と生きたらいいのだろう?

そのとき、きみの家の灯かりが、見えた。

きみは、夜遅くまで僕を匿ってくれた。明るい部屋で、たくさんの考えを、様々な考え方があることを、どれに従って生きてもいいし、どれにも従わずに自分の考えで生きてもいいのだということを、思想を、教えてくれた。きみは物静かに、でも、まっすぐに僕の目を見て、その「自由」について語ってくれた。
僕は家に帰り、虫の音が響く道路際で、真上にのぼった白鳥座をしばらく眺めてから、裸足で玄関のドアを開けて中に入り、けっきょく自分のベッドで眠った。

***

女性スタッフが、慣れた手つきで、黄色と青のカードをリーダーに通す。その指先の爪には透明なマニキュアが塗られ、美しく手入れされている。

「買うの、決心してくださって、ありがとうございます。」
彼女はレジカウンターから出てきて、両手でリュックを手渡してくれた。まるで、小説に出てくるような、物語性のある一言を添えて。

***

いいえ、お礼を言わなくちゃいけないのは、僕の方なんです。

なにも知らなかった僕に、きみが、世界の一端をみせてくれた。
きみはこの秋、2022年の9月に、都会へと行ってしまう。そちらへ行ったら、もう、会うこともなかなかできなくなるね。かわいい女の子の手を介して、きみが最後にくれた、アイボリーのリュックサックを背負って、僕も、新しい世界へ旅立つよ。

いままで、ありがとう。

さようなら。元気で。




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