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本当かどうかわからないしどっちでもいい話だけど、私はこれを真実だと思っている

いきなり変なことを言うようだけれど、世界はもういちど繰りかえすことになると思う。

多くのnoteユーザーの方は、実用的な情報を教えてくれたり、心の機微をうつくしく描いたり、実体験をクスッと笑えるマンガにしたりと、読者にとってとても有益な経験をさせてくれている。

それからしてみたら、今から説明することは、証明のしようがないし、本当にどうでもいい酔っ払いの戯け事なのである。

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世界はもういちど繰りかえす。

これを始めに考えついたのは、スーパーカミオカンデのドキュメンタリー番組を見ていたときだったかと思う。たぶん2015年よりも前のことだ。ミューオンという、宇宙から地球へ飛んでくる素粒子――ものすごく小さな粒みたいなものを、やっと映像に捉えた、という話だったと記憶している。

その頃の小説好きの同僚に説明して、小説好きでわりかし想像力豊かな彼女だったはずなのにポカンとされたのを覚えている。

すべての物は、物質から成りたっているのは、理科の授業でやった通りだと思う。わたしたちの体も、家も自然物も、すべてが小さな粒でできている。それは、原子と呼ばれているが、原子だってまた、別のもっと小さい粒でできていて、そのさらに小さな物の集まり、さらに小さな物の集まり……と、フラクタルな階層は人類が発見したよりもっとずっと階層をもっていると思う。でも、集まりであることに変わりはなく、最小単位があることも確実だと思う。

ところで、私たちはよく「偶然」という言葉をつかう。

偶然というのは、物事が予想できなかった方向にうごいて、それがほかの物の動きと連動していたりして、あっと驚く、といったような意味を持つ。そのものの動きも予測できなかったし、時間軸の先で交差するほかの物の動きもまた予測できなかった。かくして偶然の驚きは生じることになる。

予測できなかったのはなぜか? それは、予測するに足る材料がなかったからだ。「偶然寝坊して」「偶然隕石を目撃した」といったことも、寝坊は夜更かしだか疲れだかがあって脳がそれだけ休まなくてはと努力しただけだし、隕石なんかは軌道がわかれば地上に落ちる予測もできる。

材料が足りないだけなんだ。つまり、逆にいうと材料がすべて、本当に全部そろえば、予測はすべて正確に立てることができる。材料のなかには、人類がまだ発見したことのない物質の動きや、条件も入ってくる。けれど神の視点に立てば、すべての条件を察知し、すべての物の動きを予測することは可能なのだと、思う。

それで、繰りかえす話だけど。

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予測を立てられるということは、条件をかたちづくっている粒子の動きが一定だということだ。ここでの動きというのは、進み方、流され方。何によって自ら動き(自ら動くものは、有機物以外にはないように思うけど)、どんな周辺環境によって動かされるか。どちらへ動かされるか。それらもすべて、決定づけられている。凹凸のある土地で、水がどこからどこを通ってどう流れるか、何度やっても同じになるように。

ちなみに有機物であり、思考能力のある私たちだけれど、彼らですら、この神の視点にたった予測からは逃れられ得ない。私たちは自ら物事を判断し、行動を制御している。そうは思っているけれど、判断し制御しているのは脳である。脳内でなんらかの物質が動き、あるいは入りこみ、あるいは流れ出て、その判断をする。つまり、私たちが自ら行っている「判断」は、実は脳内物質の動きで制御されており、その脳内物質の動きというのは、粒子の動きといっしょで、水が低きに流れるがごとく、なのである。

すべての粒子の動きが、それぞれの条件のもとで同じなら、ビッグバンのスタート時から、138億年と経った現在に至るまで、もう世界は決定づけられていたことになる。そしてまた、未来も。すべての粒子、ぜん粒が、自分の動くべき方向へ動き、結果世界はこうなった。運命論だね、といっても、人間に予想できるわけではない。

それで、今度、この宇宙は現在拡大し続けていて、という話で。それは周囲の恒星のうごきを見れば証明もできるんだけど、今後「拡大しつづける」「収縮を始める」「凍りつく」みたいな論争があって、ここで仮に「収縮を始める」だった場合、物質はどこをどうやって、ビッグバンの始まりの中心点まで戻っていく? っていう謎にぶちあたるわけ。

パチンコみたいなものでさ、ここまで拡大してきたときには、ピンとピンの間を、玉が思うがままに進んできた。思うがままにっていうけど、それは盤面の、目に見えない微細な凹凸や、空気中の物資の影響があって、道筋は初めから1つに絞られていた。

これが、宇宙収縮に向かうと、今度は盤面が上下さかさになって、その時にはその時の、玉が思うがままの進行方向が選ばれる。これもまた唯一無二の道筋だ。そして、粒子として認識されている無数の玉が、世界でたった1カ所の、ビッグバンの出口へまた還っていく。

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そんで、その後の話だけど。ビッグバンというからには、たぶんこれもまたフラクタルな構造をしていて、世界でたった1カ所だ、って玉が集まった先にもまた、さらに集まるべき1点があって、その中も拡大してみると、さらにまた一歩進むべき1点があって…というふうになって、最終的に、本当にただの1カ所となる1点に玉は集約され、玉そのものも、無数にあった粒子のはずが、1個の何物かになるのではないかと思う。

そうでないということは考えにくい。理由として、やはりビッグバンが1カ所から生じたということがある(現在の通説ではあるが)。ただ粒子が全てでなくいくつか集まっただけで1個の何物かになれるのだとしたら、ビッグバンがいろんな場所で生じたり、また戻ったり(何に)するような気がする。全宇宙に存在する質量のすべてが集まったことでなれる何物かであるような気がするのだ、ビッグバンというのは。

というわけで、宇宙の収縮後、全粒子は1カ所に集まり、1個の何物かになりかわる。1個なので、その内部には、生命体がやるように様々な臓器や機構やゴルジ体やらリボソームやら、種類のちがう物たちがわらわらしているのではなく、本当に一様に1個ということになる。

それでその1個だけれど、このあと、一体なにをする?

まあ、私だったらビッグバンを起こすね。で、粒子はまた元のように分散しまくって無数の粒になって、塵の雲をつくって、恒星をつくって、惑星をつくって、あるとき有機体ができて、生命が生まれて、恐竜時代になって、人類が誕生して……ってこれ、どこかで見たことある。

というふうになる。もちろん、全ての無数の粒子はそれぞれ、その粒が思うがままの道筋、ただ1つの道筋を通ってすすむ。通るしかほかにない。それで、恐竜を形づくったり、人間を形づくったりする。

私はその夜に缶のプルタブを開ける。プシュッと音がして、ホップや麦芽の粒子が飛びだす。グラスに注ぎ、写真に撮り、インスタにあげる。それから作り置きのピクルスをつまみに金曜の夜を過ごし、1週間の仕事の成果と反省とを思いおこしながら、概ね自分をほめたたえる。

ホップの粒子は缶を飛びでたあと、空気中を漂い、あるときは土に落ちてから木に吸収されたり、木が伐採されれば水蒸気とともに上空へ上がって雷雨になって落ちてみたり、さんざん地球を循環した挙句に、ついに宇宙の収縮が始まり、流れに巻きこまれ、粒子があつまった1個のなにかの一部となり、再びビッグバンによって……

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どうだい、なんの実にもならない話だっただろう。これが酔っ払いの書く文章だ。

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