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Zazie, ou une fleur de Malle


本記事は10年以上前に書いたまま〝お蔵入り〟状態になっていたものである。現在の筆者の語り口と異なる印象もあるかもしれないが、あえて加筆せず、そのまま掲載する事をお許し願いたい。


【映画レビュー】『地下鉄のザジ』(1960, France)

大貫妙子さんのアルバム『Comin' Soon』に《地下鉄のザジ》というタイトルの歌が収録されています。大貫さんのチャーミングなメロディに、大人を向こうに回して巴里の街中を駆けずり回る少女ザジの姿が描かれた佳曲。

“ザジ”の名前はこの曲で初めて知ったもので、その後これが映画の題名である事に気づき、どんな筋立ての作品なのか興味を抱き続けていました。そして、ある日書店で見かけたレーモン・クノーの同題名の原作を手にした訳ですが…

何なんだ、この小説は!

発禁スレスレの言葉遊びとドタバタ喜劇に終止する“赤塚不二夫的世界”―登場人物はおよそまともな連中ではなく、暴力・流血沙汰も辞さぬ物凄い展開…

いやはや、ハマってしまいました(笑)。
と、同時に心をよぎる不安。「これ、映画にしたらどうなっちゃうの…?」

そんな疑問と不安を抱きつつ、折りしも廉価版ビデオでお目見えしたルイ・マル監督の映画版『地下鉄のザジ』を鑑賞したのでした。

クノーの原作は文体自体は決して難しいものではないのですが、口頭語表記を取り囲む音声的・身体的表現に対する想像力が要求されます。時々現れる“(身振り)”“(間)”“(沈黙)”(以上生田耕作訳)といった表記は、言葉や会話というものが、単に音声化(あるいは文字化)されている以上の部分を含めて意味を形作っている事への読者への注意といえるかも知れません。映画は映像と音声によってそうした言葉への補完をしてくれる訳ですが、この作品では、その意味の空白部分を思いつく限りのギャグで埋め尽くしています。

冒頭ザジが巴里に到着してから伯父ガブリエルの家に至るまでの一幕。「あれはパンテオン?」「いや、アンヴァリットさ」…しかし車から見る景色は何故か同じような場所を行ったり来たり。原作にもある観光案内問答の不毛さがいやが上にも増幅されます。

また、地下鉄のストに泣きべそをかいているザジが怪しげな男と出会い、蚤の市で買ってもらったジーンズを持って逃走する場面、原作本文では…

群集の中に飛び込む、人々や露天の間に滑り込み、ジグザグコースで一目散に駆け、次いであるいは右に、あるいは左に急カーブする、走るかと思えば歩き、急ぐかと思えば速度を落とし、また小走りになり、何度も曲がりくねる。

クノー『地下鉄のザジ』生田耕作訳(中公文庫)

…という描写を、映像では漫画的 or アニメ的描写をふんだんに織り込んで、過剰なまでに脚色しています。
そして後半のクライマックス、レストランの場面では、戦場レポートもかくやと思われるほどの修羅場に。淡白な原作本文に対し、色付けはサイケデリックの様相を帯びています。

一方でエッフェル塔におけるガブリエルの幻想的デクラマシオン。下界を遥か見下ろす、観ている方がはらはらするような場所を舞台に、演ずる Ph. ノワレ Philippe Noiret の夢見がちな口調が木霊し… 物語は表題的にはメトロという地底を指しながら、その中間部においては巴里の高みの局地を描く―それを映像的に補完しているとも言えるでしょうか。

ザジ役の C. ドモンジョ Catherine Demongeot のこまっしゃくれた可愛らしさもさることながら、怪しげな男―はじめはペドロ、後にトゥルスカイヨン、アルン・アラシッド等と名乗る―を演ずる V. カプリオリ Vittorio Caprioli は、先の追いかけっこから、警官として巴里の渋滞する道路を交通整理しながら走り抜ける場面、クライマックスでのムッソリーニを思わせる絶対暴君ぶり等の名場面で抱腹絶倒させてくれます。また C. マルリエ Carla Marlier によるガブリエルの妻アルベルティーヌは、その能面的…もとい、クール・ビューティぶりが強烈な印象(なお、アルベルティーヌは原作ではマルスリーヌとなっており、明らかにマル監督によるプルーストへのほのめかしが窺えます)。
その他の名もない登場人物たちに注目すると、同じ人物が色々な場面で異なる役柄を演じているのが、この作品のシュールさをさらに強めています。

Zazie dans le Métro (1960, France)
Un film de Louis Malle
avec Catherine Demongeot (Zazie), Philippe Noiret (Gabriel), Antoine Roblot (Charles), Hubert Deschamps (Turandot), Annie Fratellini (Mado), Jacques Dufilho (Gridoux), Carla Marlier (Albertine), Yvonne Clech (Mouaque), Vittorio Caprioli (Trouscaillon)
93 min.

【追記】一番最初に鑑賞したビデオソフトは、この映画の毒気に当てられたのかビデオデッキがストを起こし、機械の中に閉じ込められたまま故障。どうにも取り出せず、そのまま家電リサイクルへの不帰の旅路と相成りました。

Zazie dans le métro, Louis Malle (DVD)

原作について、最近では細かい注釈の付いたものや、未定稿のフラグマンを併載したもの、ジュニア向けイラスト入り本(いいのか、子供に読ませて…)など、お好みで色々な種類を選べます。
日本語版は生田耕作訳の中公文庫版が手頃。ザジのあの口癖は「○○喰らえ!」と訳されています。また、マルスリーヌ(映画のアルベルティーヌ)は「おしとやかに」話します。

レーモン・クノー『地下鉄のザジ』生田耕作・訳(中公文庫・新版)

クノーのもうひとつの傑作『文体練習』―ある日の日常的な出来事を様々な文体(擬古典風から日本の短歌風まで幅広い)で表現する実験文学。クノーはバッハの『フーガの技法』に触発されてこの実験に挑んだとの事。ある意味「翻訳不可能」な作品ではありますが、日本語版は創造的かつ良心的な内容になっています。

レーモン・クノー『文体練習』朝比奈弘治・訳(朝日出版社)

大貫妙子さんのアルバムは、童心に帰るようなメルヘン世界。ザジの他にも、アリス、ピーター・ラビット、タンタンなど、図書館の児童コーナーでおなじみの顔ぶれに出会えます。

大貫妙子「Comin'Soon」


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