筆まめの経由地 #エッセイ
いつも手紙を書いていた。切手も便箋も封筒も、おそらくひとりの人間が一生のうちに使いきれない程ある。
それらの郵便グッズは、コレクションでは決してなくいわば在庫なのだが、外から見れば集めているように見えるかもしれない。
筆まめというか度が過ぎて筆キチガイとも呼ぶべき私はある時期から書かなくなった。いや書けなくなった、のか?
小さい頃は神様が居て、じゃないけど歳が少なければ少ないほど私にはどうにもならないことってほとんどなかった。
でも、死って。それも世界で一番居なくなって欲しくない人の死って、なんというか、言葉にできない。千や万の悲哀の言葉を並べてもまだ足りない。
私が手紙を書いていたのは、書けば気持ちの整理になるとか、人から意見をもらえるとか、そうすればものごとはどうにかなると思っていたんじゃないかな。
筆まめは、私の甘えの一形態だったのかもしれない。一人で生きられるなんて大それたことを私は思ったことないけど、特定の人に心を開くには重すぎることもある。
それで、たまにはここで書かせてもらおうと思う。許したまへ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?