見出し画像

オタクになった頃に 「ひぐらしのなく頃に業 鬼騙し編」所感

深夜アニメはサブスクで見るものとなったこのご時世。とあるアニメの配信が先日始まった。

「ひぐらしのなく頃に 業」

新規エピソードを楽しむ為に、ひぐらし廻のパチンコを打つ程度に僕はこのコンテンツがまた何かやってくれるんじゃないかと密かに心待ちにしていた。

ちなみにひぐらし廻はあまり良い台ではない。319を今の時代もう打ちたくないんよ。アニメ台は甘で良いんよ。
あと鉈落ちた時の音が非常にうるさい。文句しかねえな。

(謎の新キャラ出すのは好きだけど)

話は逸れたが、僕は根っからのひぐらしファンだ。原作はもちろんPS2版のひぐらし祭やDS版のひぐらし絆もやりこんだ(ノベルゲーにやり込みがあるかは定かではない)し、コミックは中学生の時になけなしのお金をはたいて少しずつ集めていた。そう、中学の頃に。

そもそもとして僕がオタクコンテンツにハマったのはひぐらしがきっかけだったのだ。いや、ハルヒも同時に通った。良い時代だったな……ハルヒも今年新刊が出るということで界隈が騒然としているがその話はまた今度。

(ハルヒ原作一巻表紙。イラストはいとうのいぢ先生。懐かしい)


僕は中学までほとんど漫画を読んで来なかった人間で、ほとんどメジャーな作品にすら触れたことがなかった。親の影響で名探偵コナンとちびまる子ちゃんを全巻読んでいたぐらい。ワンピースもナルトもブリーチも、その頃ちょうど全盛期だけど未だに足を踏み入れるに至らない。
やはりルーツはその中学時代にあるんだなと思う。往々にして人がそうであるように、思春期にハマったコンテンツは受け入れやすいのだ。

友人N君の家に初めて遊びに行った日のこと。

Nは大変な漫画好き(蒐集家と言っても過言ではない)でもあり、俗に言う濃いオタクだった。天井まである本棚がびっしり漫画で埋め尽くされている彼の部屋を目の当たりにして、とても興奮したことを覚えている。そして際どい絵が描いたタペストリーやフィギュアが飾っていたりと、こちらは未知の領域だった。

思えばNは僕をいろんな沼に引きずり込んだ張本人だ。ラノベはNの家で灼眼のシャナを手に取ったのが人生初めてだったし、咲を読ませて麻雀を仕込んだのもN。
ちなみに彼は卓球部に所属していて、部室に賭場を立てていた。後にこれがきっかけで卓球部は停部になる。僕もその現場にいたけど。

(灼眼のシャナ原作一巻。そういえばこれもイラストいとうのいぢ先生だったね)

閑話休題。そう、ひぐらしの話。
Nは初めて僕を招き入れた時に聞いた。

「お前、怖いのいける?」

そこで頷かなければ僕の人生はまた違ったものに……いや、そんなこともないか。とにかく僕はそこで出会ったのだ、ひぐらしに。

衝撃的だった。本当にその日の夜、夢に出た。もちろん読ませてもらったのは鬼隠し編。こんなお話が世の中にあっていいのかとすら思った。

そう、その時の僕はちょうど主人公の圭一と全く同い年だったのだ。

鬼隠し編と言えば一番の問題提起編でもあり、「嘘だ!」の名シーンや、主人公がバットでヒロインを殴り殺す衝撃展開などてんこ盛り。個人的に日常パートとの落差がわかりやすいのはやはり鬼隠し編だと思う。密度の濃さが違う。

(コミック版 「嘘だ! 」これ今見ても迫力あるなあ)

そんなものを見せられた当時純粋だった僕は、本当にトラウマになりかねない思いをした。
実際アニメは事件が起きただの問題作だので放送中止になっていましたね。確かにあれの与える影響は凄まじい。

(問題があった頃に)


しかし僕は後々、この作品の綺麗で純粋でまさに絆を描いている部分にひどく感銘を受けることになる。

その日以降、Nの家に入り浸って漫画を手当たり次第に読ませてもらった。
ボーカロイド黎明期だったというのもまあタイミングが悪い。メルトや初音ミクの消失を初めて聞いたのも彼の家だった。もっと言うと、彼がMDプレイヤーでニコニコ組曲を流しているのを聞いたのがオタクになった一番の要因。皆さんご存知の「God Knows...」ね。僕が初めて買ったラノベはハルヒだ。

(ニコニコ組曲。当時ニコニコ動画というかネットで流行っていたコンテンツがぎっしり。今でもフルで歌える)

そんなこんなで、立派なオタクかつニコ厨かつ萌えアニメ信者が出来上がってしまった。ハルヒ→らきすたの黄金2トップ。本当に恵まれた時代に育ったと感じる。後悔はない。

しかしながら最近は冒頭でも話した通りリアタイでアニメを見ることもなくなった。あの頃は深夜、リビングのテレビにイヤホンを挿して片耳で親が来ないか窺いながら齧り付いていたものだ。オタクはキモいと馬鹿にされる、美少女アニメの台頭でそれが顕著になった時代でもあった。

と言うよりも最近は新作アニメをほとんど見なくなった。耕したい意欲はあるが、退屈に時間を浪費することは歳を重ねるほど億劫になるのだ。面白いとわかっているものだけを見たいというのはなんとも傲慢。

そんな中で僕は再びひぐらしリバイバルに巻き込まれようとしている。そう、あの頃と一緒だ。

鬼騙し編は構成的に鬼隠し編の筋で進んでゆくが、大きく違う点がいくつもある。一番の衝撃はもちろんラスト。あれに関してはとてもネタバレになるから言えない。けれどこれも元々あった別の可能性を描いているのだろう。

そして鬼を騙す。それが何の比喩になっているのだろうかというのがポイント。この作品における鬼とは……。

これ以上行くと考察になってしまうね。あくまでも個人的な所感。

あとは「嘘だ!」に至るまでの比較動画がようつべにアップされてましたね。あれは面白いと思った。フレデリカの詩がなかったり、進行の合間も少しずつ違ってやっぱり別世界線だなと思いましたね。おはぎの件は見たかったなあ。

(フレデリカの詩、鬼隠し編。これアニメでも確かあったよね?あのボイスで脳内再生されるし。ゲームだけだったらごめん)

別世界線と言えば、そもそも梨花ちゃますら別世界線の人間って可能性すらある。分かりづらく言うけど、「今までのひぐらしがAの世界線から分岐してXに収束する。けれどYのグッドに辿り着きたい話」だとすれば、業はそもそも前提として「AじゃなくBの世界線の話」なんじゃないか的な。すまん、纏まってなくて分かりづらいな。「辿り着きたいYは一緒だけど前提となる世界線自体が違うからXがこれまでと違う結果になる」的な。伝われ。

思えば友達とこんな風に考察を言い合っていたあの頃が一番アニメを楽しんで見ていたなあ。

では次の綿騙し編が終わったらまた感想を書きます。次はリメイク前との比較材料が増えて、もっとしっかり考察出来そうだけれど、ここはあくまで駄文を垂れ流す場所。これも一発書きの推敲なしでアップするつもりだし。

ほな。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?