死にたいと思いながら生きるということ

最初に死にたいと思ったときは単純に人が信用できなくなって、生きていく自信や価値を見出せなくなったから。
その次死にたいと思ったときは自分自身が信用できなくなって、生きていく自信や価値を見出せなくなったから。
最近で死にたいと思ったときは、歳をとって多くの人と関わりをもって、やっぱり人間は信用に値しないと確信を持ったから。

さて、死にたいと思ったり体が動かなくなったりしたときに、人は病院に行く。私も行った。もちろんそんなことで悩みが解決するわけではない。
1人目、2人目、3人目と私は合わず、薬も何種類も試して違和感が抜けず、ついに病院に行くことをやめてしまった。

だから、私は死にたいという気持ちを解消することが出来なかった。
それでも、私は死ぬことはできなかった。

死のうとしていないわけではない。死のうとしたことはあった。最初は何度も止められた。突発的に死にたいと思ったとき、止める力が周りにあったから。
今は違う。私は死ぬわけにはいかない。死んではいけない理由がある。でも、死にたいと思う気持ち自体は変わっていない。
人間は信用に値しないと思っている。自分のことは嫌いだし、他人はもっと嫌いだ。何でこんな世界に生きていなきゃいけないのか。なんで人間はここまで醜いのに、何食わぬ顔で生きていられるのか。自分だってそうだ。何故平気で不条理を許せるのか。

そもそも感情というものがあるから、人間は不完全で醜い生物になる。その不完全さこそが人間を人間たらしめるものであるというのは、創作において言及されがちなテーマだが、だったら滅びてしまえばいい。

少し話がずれたが、このようにして死にたいと思いながら生きる今が形成されている。家にいれば首に縄がかかっているような感覚を持ちながら生活し、時にはその縄が強く引っ張られることもある。
駅に行けば、電車に飛び込むことを考える。高所に行けば、飛び降りを考える。

とにかく日常生活に、持っている自殺のイメージが投影される。
それでも私はまだ死ぬわけにはいかないし、それだけの理由がある。もちろんその理由で死にたくないと思う自分自身だって、嫌悪の対象になる。

・死にたいと思うこと、それが自死に繋がること

死にたいと思う人にはそれなりに死にたいと思うキッカケがあって、理由が出来る。その理由が存在し続けている限り、死にたいという感情は際限なく高まっていく。もちろんその理由が、死にたいと思う理由としての要件を満たさなくなれば人は死にたいと思わなくなるはずだ。大体の場合は一過性の理由だろうし、すぐに気にしなくなる人のが多い。

では自殺に至る人は何が違うのか。
私は2つの条件が必要だと思っている。

・それだけの行動力が今あるか
・死んだ方が得か

1.それだけの行動力が今あるか

自殺する人間の大半はうつ病か何かしらの病気持ちと言われていた気がするが、うつ病患者数の割に大して死んでいない。
いざ病気になると自殺しようという気すら起こらないことがあるし、死にたいと思っている人間もさほど死にたいと思っていない。
別に死ななくとも、生きた屍みたいな生活をしていれば実質死人。それ以上を求めるほどの行動力はうつ病には無い。

薬を中途半端に飲むと中途半端に行動力が付く場合がある。科学的根拠があるかは微妙らしいが、少なくとも私はなったので要注意だ。
またそもそもうつ病でなければ、この段階は容易にクリアできる。

2.死んだ方が得か

結局これである。
生きてるだけで苦痛になるような状況にあるならば、死んだ方が得。
今後の総幸福量に期待が持てないならば、死んだ方が得。

うつ病他ほとんどがそうだが、損得勘定が正しく出来る判断力ではない。しかし自殺はその不正確な損得勘定がもたらす結果であり、生きていた方が得/死んだ方が損と思わせればとりあえずそいつは死なない。
さっきも上げたが、死んだような生活をしていれば不幸にならず幸せがほんの少しあるのならば得なので、人は死なない。
こういうタイプはストレッサーが外部にあるだろうし、よく言われる「仕事を辞めればうつは治る」状況と言える。

ここで問題なのがうつ病でない人間である。
もちろん死にたいと思っている時点で予備軍ないし、本来はうつ病と扱われるべきなのかもしれないが。
例えばキッカケが外部なら、その切り離しで生きる判断が付く。
しかしそれで自己嫌悪に陥っていればどうだ。生きているだけで死にたいと思い続ける呪いが完成する。それが自身の価値観の中で妥当な判断だから。


死にたいと思いながらも生きるということ

では、うつ病ではなく行動力はある程度あり、ストレッサーが自分自身の中にあり、生きているだけで自己嫌悪で死にたいと思い続ける状態の中、
何らかの要素によって生き続けなければならない状態になればどうか?

ここで、死にたいと思いながらも生きている状態が発生する。
死にたいと思いながら、毎日を過ごす。その日常の中で常に自身を呪い続け、自身の外からは自殺の誘いの手が伸び続ける。

ではなぜ、生き続けなければならない?

死への恐怖か?
それは避けられない。誰もあなたを咎めはしない。

世間体か?
今すぐ切って捨てればよい。その程度の世間体など。

それとも、
現世に未練があるか?

それは何だ?
それは努力に値するものか?
ならば何故出来ない。だからお前は、その程度の人間なのだ。

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