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忘れられた神殿


迷い込んだ記憶の森が突然に開けた・・・世界が微細な粒子となって雨のように落ちていったような感覚に襲われた私がいたのは、物音ひとつしない空間だけが広がっているような、音が吸い込まれてゆく無音の世界だった。

なにひとつ動くものなどない世界で森だけが流れてゆく・・・
感じるのは足下に堆積した砂の感触だけ・・・風もなく音も無い… すべてが止まったような… 時間が砂粒となって堆積しているような空間だった。

森が遠ざかってゆくように見えたのは、砂粒となって落下してゆくもう一つの時間の後姿を見せられた所為なのかもしれない...

すべてが実感のない世界で、ただひとつあるのは足裏に伝わってくる砂の感触だけだった。砂粒を手に取ってみると、不思議な感触が伝わってくる。 手のひらの上で躍っているように感じられる・・・動いてはいないのに微細な振動がその感触を通して何かを語っているようでもあった。

ひとつまみ程の砂粒が、しだいに手のなかで弾みだし、ひとつの形を作りはじめた・・・驚きとともに見入っていると、それを透かして遠くに同じ形の建造物が現れていた・・・さっきまでは無かった… 或いは気が付かなかったのか・・・それは古代遺跡の神殿を思わせるように… しかし石の建造物ではなく、結晶のようなたたずまいを見せていた。

そのときはじめて風を感じた気がした… あれは時間の風だったろうか・・・柔らかな圧力を潜り抜けたような感触が身体の余韻として残っている。

記憶の森に守られていたのか… 或いは見捨てられたのか・・・しかしこの神殿は乾いた砂の上で、生きている… という振動だけが身体を通して伝わってくる・・・

私が歩いているのか… 神殿が近づいて来るのか・・・風のように浮遊している… という無重力空間にも似た世界のなかで、皮膚感覚だけが研ぎ澄まされてゆく・・・

目の前に立ちはだかる神殿は巨大に聳え立ち、しだいに私を呑み込んでいった・・・それは微細な振動が身体を貫き、砂粒が身体を貫通しているような感覚でもあり、痺れるような心地よさでもあった。それはまた水の中にいるような感覚にも似て細胞が共振しているような感覚をもたらしていた...

海を思わせる巨大な細胞のなかで様々な振動が描き出す波紋が通り過ぎてゆくと同時に、様々な記憶の波が現れては消えてゆく・・・もはや砂粒の感触ではなく、記憶の振動が私を満たしていると言える至福の空間だった・・・

幾重にも交差してゆく波紋は、互いに干渉して様々な幾何学模様を描いてゆく・・・立体マンダラの如くに描き出された振動の世界は、まさに神聖幾何学そのものだった・・・

共振している私の身体は、変幻を繰り返す波紋が描き出すめくるめく幾何学模様のなかで、無数の細胞が歓喜の海で躍っているのを感じていた・・・

誰が感じていたのか・・・それは、もはや私が私で在る… ということの意味すらなさない、自我の囚われから解放されたもうひとりの私だったのかもしれない・・・

歓喜の海はしだいに渦を巻き、やがて無限に繰り返されるいのちの循環となって私を貫いてゆく・・・私を溶かしながらエネルギーは天地を廻ってゆく・・・

歓喜の海のなかで細胞は増殖し、そして死んでゆく・・・いのちの記憶を湛えた水は怒涛の勢いで私のなかに流れ込んでくる・・・わたしが私で在り、同時にエネルギーでもあるなかで、極限にまで引き延ばされた渦は一筋のひかりとなって私を貫いていった・・・

そのとき… 私は透明に響きわたる一弦の楽音を聴いた・・・

ひかりの一弦の絃とともに海は砕け散り、振動は記憶の粒子となって降り積もってざわめきとともに森は息を吹き返していた・・・私は私であり、そして森でもあり、同じ記憶の細胞を共に生きているという共振の世界に言い知れぬ悦びを感じている私がいた・・・

時間の風が森を震わせ、水の記憶はいま精霊の言霊となって森に響きわたっていった・・・

あの時…  私は生と死を同時に生きていたのかもしれない・・・






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