毒親育ちの私が風俗嬢になった理由

1.毒親である母親の言動


私は毒親育ちである。
「ブス」「疫病神」「金食い虫」「生まなきゃよかった」「野垂れ死ね」
これらの言葉を、すでに小学校低学年頃、つまり物心ついた頃から言われ続けてきた。

特に外見、顔については
「何その細い目。ブス!睨み付けるな!」と何度も言われ
ずっとアイプチをしていたけれど
「不自然。気持ち悪い。ブスは何してもブス」と鼻で笑われた。
食事中に「食べてる姿が不快」と言われいきなり背中を蹴られたこともあった。箸が喉に刺さりそうで怖かった。


2.「功績」は「恥ずかしい」事なのか

中学生になり、大好きな国語の先生に出会ったことで、作文や小論文を書くのが好きになった。
その先生はもう50代半ばの女性で、優しい雰囲気の華奢な人だった。

「ねえ、あなたコンテストに出す作文書いてみない?あなたなら絶対いいのが書けると思うの!」
今まで自己肯定感の低かった私は、「あなたなら」という言葉が嬉しくて、すぐに書くことを承諾した。

作文は人権をテーマにしたものだった。一生懸命書いた。
そしてそれが、教育委員会の賞を受賞した。

夏休み、受賞者が地元のホールに集まり作文の発表と、賞状、トロフィーの授与がされる会があった。
母親の姿は客席にはなかった。
緊張することなく作文を読み上げることができ、賞状とトロフィーを頂いて家に帰った。
その帰り道は、私という人間が少しは世間に認められたという嬉しさや、頑張っていい作文を書けたという達成感で、とても幸せだった。


家に帰り母親に「作文読む日、今日だったから。賞状とトロフィーもらった。」と言ったら
「お前は本当に恥ずかしい事してくれたな!!」と言われトロフィーを床に叩きつけられた。
トロフィーは壊れた。


夏休み明け、作文の添削をして下さった国語の先生に「本当にありがとうございました。緊張せずに発表できました。いい経験になりました。でも、トロフィーを母に壊されてしまいました、すみません。」と伝えると
「どうして壊されたの?」と聞かれたので
「私が作文で賞をとり、それを発表することは恥ずかしい事だそうです」と言うと
「あなたは悪くない……悪くないからね……」と、私を抱きしめながら先生は泣いていた。


3.風俗嬢になるまでと、美容整形

それから数年が過ぎて、私は家を出た。
紆余曲折あり若くして結婚したが、子供を授かることなく2年で離婚した。

とにかくお金がなかった。
手っ取り早く稼ぐために風俗店に入店した。
仕事はつらかったけど、面白いぐらい稼げた。
あっという間に貯金額が100万円を超えた。

お金が貯まったらやりたかった事があった。美容整形だ。
母親から言われ続けてきた「細い目」が嫌だった。
80万円で二重全切開と目頭切開、涙袋にヒアルロン酸を入れた。

お客に「可愛いね」と言われる度に、過去のコンプレックスを思い出す。


4.毒親の呪縛

整形して可愛いねと言われるようになっても、自己肯定感は低いまま。
母親に言われたことをたまに思い出しては、自分には生きる価値がないのだと落ち込む日もある。

そして現在、再婚願望や子供がほしいなどという気持ちが全くない。
自分が毒親になるのが怖いから。

生まれて30年以上経っているのに。
この毒親の呪縛からは、いつになったら逃れられるのだろうか。


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