「ノーチラス」が心の支え
突然の告白ですが、私はヨルシカというバンドが好きです。
特にこの曲が好き!というものはなく、全曲平等に愛を注いでいるのですが、最近「ノーチラス」という歌に支えられながら生きています。
先日、幼馴染の友人が他界しました。
悲しいし悔しいし…一生分の涙を流したといっても過言ではないほど泣きました。
今もまだ立ち直れていないですし、ふとした時に涙が溢れてきます。
「もう一度会いたい」と思っても彼女に会うことはもうありません。
桜を眺めて「美しい」と感じたり、好きな人と遊んで「楽しい」と感じたり、お米を食べて「美味しい」と感じたり。
そんな感情も彼女にはもうないのです。
そのことを考えるのが辛いです。
ヨルシカの曲は普段から聴いていましたが、同時に他のアーティストの曲も聴いていました。
ですが最近はヨルシカしか聴いていません。
そして、「ノーチラス」という曲に特にハマっています。
曲の雰囲気に惹かれるのはもちろん、歌詞が今の私を表しているかのようで心に染みます。
「どうせ出ないのは夜が明けないから」
「喉が渇くとか、心が痛いとか、人間の全部が邪魔してるんだよ」
「どうでもいいかな 何がしたいんだろう」
とか。他にも共感する歌詞はありますが、大切な人との突然の別れに悲しみ苦しむ様子が、「悲しい」という言葉を使わずに描かれていて、胸に刺さります。
そして、最後の方に
「丘の前には君がいて随分久しいねって
笑いながら顔を寄せて
さあ、二人で行こうって言うんだ」
という歌詞もあるのですが、
私が死んだら天国で彼女とこんな風に再会したいな、なんて考えてしまいます。
まだ気持ちの整理に時間はかかりそうですが、しばらくは彼女との楽しかった思い出に浸りながら、生きていこうと思います。
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