カウンセリングの意義
ここ最近はカウンセリングのために生きているような、そんな日々。
悲しいことの連続で人生に絶望したり、
他人と会うのがしんどくなって、なんで私はこんなに弱いんだろうと自分自身を責めたり。
そんな中でも自分から人生を終わらせることなく、なんとか生きていけるのは、カウンセリングのおかげかもしれない。
あともうちょっとでカウンセリングの日だ、それまで生きよう
という思いが支えになっている。
「カウンセリングなんて、ただ話を聞いてもらって共感してもらうだけ」
「カウンセリングに通って良くなるのは一瞬でしょ」
と考える人もいるだろう。
でも、私のように友達や恋人に負の感情を吐き出すことができない人もいる。
話を聞いてもらっても欲しい言葉がもらえなかったり、相手が反応に困ってしまったりしたら、と考えるとなかなか悩みを人に話せない。
そういう人にとって、カウンセラーの先生は
話を最後まで聞いてくれるし、絶対に傷付くことを言わないし、安心して負の感情を打ち明けることができる存在なのである。
実際、私はその「絶対的安心・安全」な存在にかなり救われているし、
たとえ、今の抑うつ状態をカウンセリングで完治させるのは難しい、と言われても私はこれからもカウンセリングに通うだろう。
この前、「突然、訳もなく涙が出てくる」症状の話をしたら
涙は言葉や感情では表現できないものを浄化してくれるから、涙が出てきたときは思いっきり泣いていいんだよ。
恥ずかしいことじゃない。
という言葉をかけてもらった。
自分を肯定してもらえて純粋に嬉しかった。
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