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【BBG】鈴木ユキオ邸 視察訪問レポート|さっとん


こんにちはこんばんは、さっとんです。

さてさて、本日は先月に行いました、鈴木ユキオさん宅への訪問日誌を書いていきたいと思います。

鈴木ユキオさんというのは、BBG(ブルーベリーガーデン)やわかち座が取り組んでいる表現活動に講師(と呼ぶべきなのかは分からないけれど)として、来てくださっているアーティストの方です。



わかりやすい表現をしてしまえばコンテンポラリーダンサーなのですが、はたしてその表現が正しいのかは微妙なところだなぁと、なんとなく感じております。

わたくし、さっとんもユキオさんのWSに参加していて、ユキオさんから表現のエッセンスを受け取っているのですが、なんとなくの感覚、それは『身体表現』という言葉がしっくりきております。



と、ここで簡単に自己紹介をさせてください。こういう文章は『お前誰やねん』という疑問が浮かんでしまうと、なかなか入ってきづらくなってしまうものだと思うので。

はじめまして。さっとんです。先にもお伝えしたとおり、ユキオさんの身体表現ワークショップに参加しておりまして、昨年から学ばせてもらっております。



BBGやわかち座の皆さんとは、1年半ほど前ですかね、『NAGANO ORGANIC AIR』の一環にありました、BBGの黒岩さんと千葉の梨農家さんであり、演出家・鎌ヶ谷アルトギルド主宰の石井幸一さんとの『破戒』リーディング公演に参加したのが最初のきっかけとなっております。



さっとんの出身は千葉県船橋市。社会人になって東京で音楽系の業界で働いて、そのあとになぜか島根県に移住し、地域活性化系のNPOで行政の方と一緒にまちづくりのあれこれをやっておりました。

その後いろいろありまして、30歳を過ぎたあたりから、表現をすることをはじめました。また自身の心のあり方や生き方などの、哲学めいたものを考えることが増え、その探究を続けています。八ヶ岳南麓の山梨県北部を経由したのちに、現在は小諸市在住となります。

その辺りの細かい経緯は、直接出会ったときに聞いてもらえると、水をえた魚のようにお話しさせていただこうと思います。



さて、今回はユキオさんちへの訪問日誌でございます。わかち座の皆さん、そしてユキオさんから学んでいる数名でお宅を訪問してきました。

たしか目的は、なんだったっけかな。ユキオさんの暮らしから、『表現のあれこれ』を学ぶというような名目があったような気がしましたが、個人的にはほとんど遠足に行くような気分でまったりと参加させていただいておりました。(各々それぞれ参加の動機があったのだと思いますよ)

天気はあいにくの雨でしたが、結果的にはそんな偶然の出来事も楽しむことができました。


ユキオさんのお宅は山梨県の某所。具体的な場所はお伝えできませんが、小諸からは2時間半ほどの場所。実はさっとんは両親の出身が山梨県ということもあって、なにかと親しみのある場所です。 山梨という場所は全方位山に囲まれ、かの武田信玄公はその山々を天然の要塞とし、鉄壁の守りを誇りました。


Google Maps で見るとこんな感じ


盆地という地形から、寒暖差が高く、そのため果実の産地だったりもします。桃や葡萄、そして葡萄から作られるワインは有名ですよね。中心市街地のエリアは非常に暑く、東京よりも暑いこともあります。ただ、中心地から離れて、山間地に行ってしまえば、ひんやりと心地よい空気を感じられることができる場所です。

ユキオさんのお宅は中心市街地から少し離れた中山間地。特にこの日は雨だったこともあって、肌寒い一日となりました。とはいえ、小諸の方が標高が高いので、同じくらいのひんやり加減だったかもしれませんね。

高速道路を降り、住宅地のあるエリアからすっと脇道に入るとすぐに山道へ。車がすれ違うのも難しいくらいの道のりをしばし進み、雨音に似た渓流の音が聴こえてきたところで、ユキオさんのお宅が見えました。

まるで映画のワンシーンのように静かで、いまにも野生動物が飛び出してきそうな森林に囲まれた場所にポツンとひとつ。どうやらこの家は、昔々、個人の所有者が保養所のように使っていて、放置されてボロボロになっていたところをユキオさんがサルベージしたとのこと。



手入れ前の写真を見させていただきましたが、お世辞ににも人が住めるようになるなんて思えない廃墟の状態から、ほぼセルフで直してしまったとのこと。

よく見れば、ところどころに手作り感があり、なんというか『自分で住むんだから、こんなもんでいいだろう』というような、悪く言えばテキトウとも言えるかもしれないけれど、その遊び心といいますか、ノリの良さといいますか、子供の頃に秘密基地を作っていたような感覚の延長線上でクリエイティブをしている人なのだなぁという感じが伝わってきて、ユキオさんの人柄や冒険心のようなものに触れることができた感じがしました。


到着した一行はユキオさん、そして菜緒さんのご好意に甘えて、お昼ご飯をいただきました。菜緒さんの優しくて美味しいご飯をいただきながら、しばしの団欒。カレー、美味しかった。



本当に保養所にきたような感じで、のんびりと過ごさせていただきました。晴れていればいろいろと散策したりアクティビティを楽しめたようですが、雨はまた雨で良し。川の音と雨音とが混じったその時間は、きっと晴れているときのそれよりもゆったりと流れ、心に染み入る時間をつくってくれたことでしょう。



ユキオさんの案内で、お隣にある手作り小屋を見せてもらって、そのあと畑のある広場を散策しました。こちらの小屋は全部手作り。基礎から丸太を並べ、骨組みをつくり、ユキオさん曰く『テキトウ』にツギハギされた小屋。



床は水平ではないし、屋根からは釘が飛び出してるし、壁も隙間だらけ。でもそれがなんだか可愛くて、そしてワクワクする。

『設計とかできなくて、行き当たりばったりなんです』と言うユキオさんに、我が一行の黒岩さんは大変共感しておりました。(黒岩さんも直売所に劇場をつくっちゃうくらいですからね)



そういえば、この小屋と広場は先日のユキオさんのTwitterで新しい企画として紹介されていましたね。




『Dialogue in the TARP(ダイアログインザタープ)』というプロジェクトが始まったようです。YouTubeで対談の模様を公開していくようなので、そちらもどうぞご覧ください。




小屋の壁の隙間のように、余白が満載なこの場所はきっと使い道も可能性も盛りだくさん。アイデア次第でインスピレーション次第でどんどん新しいことが生まれていく場所になるのだろうなぁと感じます。時間と余白って大事。

私たちは生活する中で、なにかカチッと決めてしまいたくなるようなところがあるし、そういう仕草が悪いこととは言えないけれど、タイムスケジュールやマニュアルやルールに縛られて窮屈になってしまったときは、自由な発想で余白を楽しみたいものです。



キチっと組み合わさっているのではなく、余裕や隙間があることを『あそびがある』といいますが、私たちの生活にもやっぱり『あそび』が必要で、そして『遊び』が必要なんだろうなと思います。

『遊び』というのはやっぱりクリエイティブなことで、子供の頃はみんながみんな『遊び』を開発していたのだと思います。制限のある中ででも独自の発想で、自由な世界を生み出していく。

制限と自由は対立するものだけれど、それは表裏一体で補完的な関係でもある。制限がなければ自由は生まれないし、自由がなければ制限も生まれない。その境界線をどうやって溶かしていこうかと試行錯誤することが楽しいのだと思います。



さて、畑散策を終えたあとは、暖かいお茶とコーヒーをいただきながら、5月からはじまるBBGでの企画についての作戦会議を。これまでの2年間を振り返って、各々が感じていることを語り合い、さらにより良い方向性について考える時間。



このプロセスって、とても難しいんです。何かを前に進めて行くことって、とても難しい。あるようで無い答えを手探りで探しながら前に進んでいくと、その欲しかった答えは過ぎ去った道のりの中にあった、なんてこともしばしあります。

成果や結果というものは、一つの尺度でしかなく、本当にやるべきことが何なのかは誰にもわからないのだと思います。でも、だからこそ、こうやって仲間とテーブルを囲みながら話す時間が尊いし、すれ違いの時間も愛おしい。

唯一、答えのようなものがあると言えるのであれば、こういう時間を過ごすことで育っていく、植物の根のようなものを広げていくことが、そうなのではないかと。そんなことを思うのです。



少し前に、わかち座の皆さんの1年間の活動振り返り会に参加させてもらったときに、ふと思って『カンパニーの語源』についてお話ししたことがあります。

カンパニーというのは一般的には『会社』の意味で使われます。また演劇や舞台表現の場では、劇団のような『集まり』として使われる言葉です。

このカンパニーの語源はラテン語のcom(共に)、panis(パンを食べる)、仲間という意味を表す-yが合わさった言葉で、ようするに『共にパンを食べる仲間』という意味なのですね。これ、日本語の慣用句でいうと『同じ釜の飯を食う』ということですよね。

昔の人たちは、一つの共同体というものを『同じ釜の飯』を食うかどうかで決めていたのかもしれません。それが家族なのか集落なのか、それとも何か同じ目的を持ったひとつの集まりなのか、そういう広さや深さは時代や場所によって異なるけれど、『同じ飯を食う』ということには、何か特別な影響力があったのだろう。そんなことを思います。

現代では同じ釜の飯を食うことが少なくなりました。それは家族でさえも少なくなったのだと思います。でも、だからこそ、『同じ釜の飯を食う』という貴重さが増してきたようにも思えます。



わかち座の1年間振り返り会のときには黒岩さんが特製の『おでん』を作ってくれました。しみしみで美味しかった。今回の旅ではユキオさんのお宅で、菜緒さんの優しいお昼ご飯をいただきました。そもそも黒岩さんは農家さんで、農と食は当たり前だけれど繋がっているもの。

さっとんには、黒岩さん手作りの『おでん』もユキオさんちでいただいた『カレー』も、とても特別なものとして記憶と心に残っています。私たちは『共に食べる』という行為を持ってして、何かを確認しあっているのかもしれません。わかちあいたい、大切な何かを。




訪問の話なのか、何の話なのかわからなくなってしまいましたが、ユキオさんのご好意に甘えながら過ごした、ひとときの静かな時間はとても心地よいものであり、充実したものとなりました。

この時間が明確な具体的な成果につながるのかどうかはわからないし、そんな野暮なことは考えないようにしますが、この時間を経由することでしかたどり着けない場所というものが、きっとあるのだろうなと思います。



BBGで開催される鈴木ユキオさんのワークショップですが、今年度は過去2回よりもバージョンアップしてやってくるようです!初回の体験会の情報も公開されております。興味のある方はぜひそちらをご覧ください。



また今後の情報はわかち座のSNSなどで公開してまいりますので、随時確認してもらえると幸いです。さっとんはもちろん、今回も参加させていただきます。直接お会いできることを楽しみにしていますね。

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。


さっとん



わかち座 BBG事業
農作物とアート作品を収穫するプロジェクト

企画・制作:わかち座
支援:信州アーツカウンシル
(一般財団法人⻑野県文化振興事業団)
令和5年度文化庁文化芸術創造拠点形成事業

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