日記34/20220930

2週間ほど間が空いたか。帰宅後の子供の相手という日々の変動、他律的な業務による週単位での変動とにより生活パターンを平準化しにくい。

加えて、最大の要因は、来年春に向けた大学院への準備だろうか。修士課程の2年間では、研究をするには非常に短い。入学前から研究テーマの深掘り、周辺情報の収集、問題意識の醸成に取り組んでおく必要がある。一度手をつけると頭が回転し始めて、中々どこで終わればいいのか辞め時が難しい。これは、半分嬉しい悲鳴でもあるのだが。
新たな分野に取り組み始めた最初期は、やることなすこと目に映ることすべてが新鮮で、刺激的でワクワクしてしまう。一つ一つの情報に連想ゲームが始まり色々な妄想が膨らんで、途中で止めることが難しい。一方で、踏み入れた領域の広大さ、終わりの見えないゴール、先人たちの苦労や偉業などに気圧されて不安になる場面も。つまり、感情がジェットコースターのように動きまわり、その実、手と足は止まったままだったりも。結局は、日々のやるべき事を粛々とやるだけなのだが、そこに至る間の揺れ動きを当分の間は、味わっていくことになるのだろう。悪くない。

組織内で、若手・中堅を中心にした大きなプロジェクトが動きはじめた。いわく、ここ20年来の組織の基本方針・戦略を見直すというもの。メンバーは、40代前半のリーダー陣数名と中核を担う20-30代と、全体で20名強。20年後にどのような世界になっているのかという未来予測、そして未来の社会が抱えているであろう「課題」の認識から始めるという。とかく、目の前の施策の実施に追われがちな我が組織としては、この視点の転換は大きな意味を持つ(と思いたい)。
もちろん、あらゆる施策の前提には現状認識と「課題」の理解とがあるはずで、実際に我々の組織においてもその建前は守られていることになっているのだが、その実を見れば、単に施策の裏返しになっているだけだったり、あるいは、施策ありきで現状分析の切り口や基準を設定していたり、と。当然、そこから生み出される施策は(正確には、施策から現状認識が生み出されているのだが)、結果を伴わないものになるのだが、その結果を厳しく評価する仕組みも存在しない。必然的に、既存の施策を惰性で継続したり、よく見せるためのマイナーチェンジを繰り返したりと。それでも組織が存在しているのは、過去の蓄積を消費しているから。よくある大組織のありきたりな風景なんだろうという気もするが。
もっと、真面目な現状分析を、現状理解の解像度の高さを求めていきたい。そのために、最大限のリソースを投下していきたい。組織としてその方向性へ向かう、一つのきっかけとなれば嬉しいな。このプロジェクトの成功を心から願っているし、微力ながらも外から応援していくつもり。半年後にどうなっているか、とても楽しみだ。

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