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『白昼夢の青写真』遭遇記(中)~3つの夢を辿って

こんばんは。

前回に続き、Laplacianさまが2022年11月にNintendo Switch向けに発売したゲーム、『白昼夢の青写真』をプレイした感想を垂れ流したいと思います。

前回の記事はこちら。こちらではネタバレはしてません。

(前回から1ヶ月もかかってしまった…)

今回以降、見る人もクリアして走り切ったこと前提としてネタバレありきで進めていきます。見てない人向けの補足とかは一切ないのであしからず。

今回は中編です。プレイヤーが見る3つの夢を中心に語ります。
勝手に解釈してる部分もいっぱいでしょうがそこはご留意いただければ。
CASE-0(この後では世界編と呼称)については、それ単体で記事一つ分になりそうだったので分けることにしました。CASE-0の内容にも触れるのでそこはご留意を。


システム面などなど

まずはシステム系のお話から。

ムービーに散りばめられしネタバレ

初見時の失敗?はやはり「OPスキップしとけば良かったも」です。
世界観と楽曲を楽しむ一方、知りすぎる可能性も秘めています。
予告詐欺もなくはないですが、基本的にOPに登場した場面やボイスはどこかに登場するのが相場。
未出のCGやボイスがある=まだ未回収の場面や分岐がある、と想像できてしまうわけですね。もちろん、「この場面を見るまでは!」とターニングポイントまでのモチベーションを与える側面もあります。
元よりNintendo Switch版はすでにプレイ済みのユーザ向けでPRを打ち出していたとのことで、パッケージのイラストもCASE-0通過済みならあっ…と涙を流す人もいるかもしれないモノ。すべてを見終えた今だと私もやられてしまいます。
そんなわけで、いろいろと隠してないことも気付けていると、もっとビックリに遭遇できたのかもしれないなーと思ってしまったわけですね。
オリヴィア編は印象的なカットが多かったため余計にやらかした感があったりしました。もちろん、推察できたところで結末までわかるか、カラクリに気づけるかはまた別ですし、しっかりそこは隠されてましたね。
(割と早いタイミングから起動する度観れてしまうティザームービーが最大の罠かも…遊馬って誰よ!CASE-0なんて聞いてないよ!!)

サウンド面まとめがたり

この作品の音楽について。
一番特徴的なのは、夢の世界では過去作のBGMを一部再投入している点と、エンディングテーマが過去作のテーマ曲のリアレンジという点。
まずこれは重要なのですが、いい曲はいつどこで聴いてもいいんですよ。なのでこの攻め方は大歓迎。夢の世界観が過去作のそれをベースにしているのだから劇伴もそうなるのは自然ですしね。
もちろん、その過去作のキャラ、場面と紐づいて馴染んでしまった人にとっては異なる使われ方をすることによって本来引き立つべき感情が歪む可能性もあるので難しいとこです。(『ブルカニロ』初聴きの時点では流れに対する曲調にしっくりこなかったりはしました)
私はこの作品が初なのでそこは評価できないのですが、『誰がためにYOUは鳴く』は今後永遠にスペンサーのテーマと認識して聴くたびに笑うことでしょう。それだけは確か。

これらの特徴によりOPやEDを主題と見立てたときに劇伴が主題展開のようにも感じ取れ、非常に心に刺さりました。
なんだかんだ、私は主題が帰って来る楽曲展開が好きなんですよね。

顕著なのがCASE-2のオリヴィア編。
『冷たい壁のむこうに』に対する『涙の行方』『逃れられない運命』
『夜明けの片隅で』に対する『過ぎ去った景色』と、OP&ED(正確にはその原曲)のインストが両方採用され別アレンジもおりと、テーマ曲がかなり効果的に用いられていたため強く印象に残ってます。
あと、『外灯が消える頃には』もED曲の展開をなぞっているのでそこかしこで楽曲の繋がりを感じるのです。

好きな曲で言うならCASE-3、すもも編は全般的に刺さりました。
シンプルにピアノとストリングスが響いて星空を想起させる流れが大好きで『瑠璃色の空』『もう一度あの空を』は初聴きの時点で泣かされました。

感情を強めた曲を挙げるとやはりCASE-1、凛編の『亡骸の涯』でしょう。
秋房によって重く沈みゆく芳とプレイヤーをさらに闇へ埋めていく感覚に震えさせられました。
これは世界編の『涯際』にも通ずるものがあります。

詳しくはCASE-0、世界編の感想で触れますが、『海が凪ぐまでは』も素晴らしかった。入りのたった一音一和音で、これからどういう結末となるのかをすべて伝えるような強さがありました。

▲CASE-1で渡辺先生と居酒屋に行く場面。
ここでは過去作の歌曲らしきものに加え、特典CDの『荒野の少女』も流れた

とても使いやすかったUI面

もともとPCで出た作品がSteam、Switchへと移植されたわけですが、そういった作品の大半で、それぞれのプラットフォームに適したチューニングがなされていない印象をもっています。
しかし、このソフトはバッチリチューニングされていた。ソフト起動時に一度だけ起動しきらなかった点を除き、プレイ中のエラーは全く発生しませんでした。

また、スキップ時の未読ストップ、通過済み台詞の色付け、シーンスキップなど、周回したりスクショしたい場面に辿り着いたりするために非常に助かる機能もほぼワンボタンから実行可能。操作時のSEも世界観にマッチしていて小気味よかったです。
強いて言えばセーブしすぎてロード時にちょっと重かったくらいでしょうか?1周完了時点でセーブ枠の8割以上使う刻みプレイしてたのでそこは致し方なしか。

▲幕間の差分確認用セーブも加えて、残り14枠までガッツリと

総じて、たいへんストレスなく楽しめたのも非常に良かったです。

シナリオ感想:3つの夢編

辿った夢の流れについて

本編プレイ時において、ランダムに選ばれた夢の順序は以下の通り。

CASE-2 → CASE-1 → CASE-3

思い返せば、なかなかの振り幅ですね…。
悲しみと絶望へ叩き落されていった先に、やっと希望を見い出されるような順番でした。

後半見る夢を選ぶ際もそのままの順番を踏襲。
理由は実にシンプルで、「希望のあるCASE-3を後に置いとかないと心がもたない…!」という直感です。
他の2つの夢は同じように陰が差しているから優先順位はないと判断し、前半の流れを貫徹することに。

この感想でも、そのまま見終えた順に振り返っていきたいです。
ちなみに、これを書くにあたり全編2周しました。見直しての発見も楽しみたいのです。

幕間について

3つの夢の合間、夢から醒めた海斗と世凪の交流シーン。
海斗は出雲に夢のことを尋ねていきつつ世凪の変化を追っかけて行きますが、このセクションも気づきがそこそこあったりしますよね。
例えば、CASE-2が最後の場合におけるレクリエーションルームでの一幕。

▲この時の海斗のテンションだけは永遠の謎

これ、よく見たら「ロミオとジュリエット」の終幕の場面そのまま
なるほど世凪は夢の結末を自覚・記憶してるのか、と物語を読み切った後だとわかります。
この場面で見れるやりとりは夢の選択順で変化しますが、CASE-3だとメイク、CASE-1は悲しい童話なので結末の推測もできたんだなぁ、と。
実際私はこのやりとりをみて、すももはヘアメイクを仕事にしていくんだろうなと予測を立てており、これは的中したわけです。

また、体験版の構成をほぼ知らずに遊んだため、夢の進行がある程度で止まり、急に別の夢に切り替わることにびっくりしました。近年は割とゲームソフトという媒体を使ってメタ仕込む作品も出てきてますからね…
どの夢も気になる場面でお預けくらうので声にならない声が出てました。

ここからはそれぞれの夢ごとに。

CASE-2:オリヴィア編 ~厳しい時代に生きる~

オリヴィア編は他と比較し、日本が舞台でない異質感があります。
言い換えれば世凪の創作性が最も入っている世界ということの表れです。
"世凪や海斗自身のこと"はさほど投影されておらず、オリヴィアとウィルのキャラを形作るエッセンスにとどまっています。
ベールが剥がれると純真なオリヴィアや全然手を出せないウィルあたりはまんま本人たちですが。

一番の特徴はやはりずば抜けた名ありキャラの多さ。ほかの夢の倍!
劇団という本来大所帯な集団を扱う上に敵キャラのポジションもいるため当然ではあるのですが、結果として世俗的な会話にわかりやすい対立構造など、純粋な物語らしさが詰まってます。

史実の実在人物を交えた世界

キャラの多さもそうですが、このインパクトが大きかった。夢という劇中劇だからこそ出来る手法ですよね。
調べると、シェイクスピア本人を含め実際にこの時代の著名人の経歴は割と判明していないんですね。なるほど。

▲ここではマーロウ諜報員説を採用してますね

一方で貴族と奴隷の概念や、女は舞台に立てなかった時代といったシビアな背景も活かされていました。(私自身は知識全然ねぇなあと思うなど)
前述の曖昧さと合わせ、うまく組み立てたなと思いました。

変態貴族、スペンサー

では創作のキャラクターが目立たないかというと全くそんなこともなく。

▲最初は貴族らしいと思ったのにあっという間におかしな人に

なんなんすか、スペンサーとやら。
登場する場面のほとんどは笑えないシーンなのに爆笑しまくって読み上げに身が入らなかった…
後々すもも編にて3段活用(台詞登場→立ち絵顕現→口調感染)で追い討ちかけてきたのは許せん!

▲急にこの字面を受けてみなさいよ。笑っちゃうでしょーが!(CASE-3より)

このスペンサーの言葉遣いや、時折発される「女優」「男の娘」「ドメジャー」などの時代から離れたワードが創作だと気付くきっかけだったり。

とはいえスペンサーとの対峙とは貴族との対峙。この世界がどうあるかを見せつけてくる場面でもあります。
オリヴィアの身分も、スペンサー邸でのやりとりで「オリヴィアこれ奴隷だな、転落へのフックだな」と直感してしまいました。

▲締めるとこしっかり締めてくるのもスペンサー。取引に例外はない

変わる劇団、オリヴィアの本心

個人的に好きなポイントは、オリヴィア一座の結束が高まる一連の流れ。
舞台の成功を通じて絆の深まりを実感できて良き。

▲時折かけることば、「いいこ」は一種のオリヴィアの口癖。
「のぞむところよ」ネタもオリヴィアが背負うことに。3度は言ってる

そして、オリヴィア自身のツンツンドS気質もなりを潜め、純真さが顔を覗かせるようになっていきます。(半分演じているツンではありますが)
演劇に懸けるひたむきさと、次第に深まるウィルへの想いを見ていると、その本質にはやはり世凪のエッセンスが香ってきます。

特異な存在、エド

オリヴィア編では主人公とヒロイン以外の、それも死別の流れが描かれています。それは遊馬の面影を持たされた宣教師・エドとの別れ。

▲似た構図も遊馬のこんな姿も見たことないので、世凪が意図して創作した場面でしょう

カトリック迫害は描写済み。でも追い打ちをかけたのは何故?
となると、ロミジュリの「第二の悲劇」になぞらえつつ「親しき人との別れ」の要素を持たせたのかな、と解釈しました。
世凪の記憶で該当するのは、海斗ママとの別れのエピソード。
海斗の母親は、世凪にとっては唯一別れを告げられた人物であり、海斗にとっては自分の力ではどうにもならなかった存在の象徴でもあったため、それらをエドに投影して当時の自分の感情を保存したのかも…と思いました。

考えすぎかもですが、こういう風に自分なりに解釈するのも楽しみです。

シビアな世界を華やかに生きる人々

事前情報だと、なんとなーくオリヴィア編は好きになれないんじゃないかと不安がありました。斜め上存在のスペンサーに始まり、この世界の人々の個性や温かさに振り回されたとき、杞憂だと気づくのですが。
最終的にこの世界の人々が3つの夢の中で最も愛着を持つに至りました。

▲序盤に倒れて割と心配したのに最後まで元気なパパ。ちゃっかりたくましい

結局二人は運命によって引き裂かれてしまいますが、その悲壮感は囚われてなお演劇の舞台に立って演り切るという救いが与えられることでさらに際立っていたように感じました。

▲この嘆きがオリヴィア編らしさ、でも考えてみれば世界編の示唆だったのかも

この物語を最初に見終わったのは、考えてみると一番よい流れだったのかもしれません。
それは、全編「別れの物語」であるということを示すにあたり、最も再会する場面を想像できないのがこの二人の物語だったからです。
現在の法と制度を前に到底打ち崩すことができない壁が示され、その枷から逃れられない、という点を強調されていますから…
作中劇になぞらえた悲劇を切なく見届けたのでした。

CASE-1:凛編 ~生々しい死生観を突き付ける~

凛編は、他の夢と異なり物語の起伏が非常にゆるやか。
もちろん、山場…もとい谷間があるのですが、平凡な場面が割と少ない。
主人公の芳は、凛という存在に常に心を乱されて、その乱された心を渡辺先生と煙をくゆらせながら整理していく。後半まではこの流れをゆったり進めていくのが特徴です。
それを示すかのように、凛編の経過日数は約70日、描写日数も26日と3つの夢でともに最長でした。

死が這い寄る、という恐怖

凛編を振り返った時、とにかくじわりと忍び寄る死と虚無が恐怖でした。
秋房の手記を読み始めて芳が早々に口角を上げだした時点でその後の展開を直感し、案の定彼は浴槽で生命を止める行為に及びだします。
「別れの物語」と知っているから、こういう別れの在り方も捨てきれず、なおかつ凛を拒絶し渡辺先生すら無視しているのですからお膳立ても済んでいる。確定した救いがない!

▲もはや外の情景すら曖昧。心理状態をわかりやすく示してくれます

劇伴も重々しく、画がなくなっていき、耳鳴り音は実際に鳴らしてくる。
絵、音、文章…使えるものすべてを利用し、我々諸共深淵へ引きずり込んできます。
私自身は心では救済を願ってましたが、そうでないとこちらまで虚無に沈みかねませんでした。
私の場合、音読しつつ読み進めたため余計声と心から表情が抜け落ちる感覚を体感してしまいました。おっそろしい。

結局は身に着けたままのスマートフォンの通知に引きとめられる結果に終わります。スマートフォンは人とのつながりの道具、つまり生への執着の象徴。これを手放せない時点で芳は秋房にはなれないのでしょうね。

この場面を読み切った時の自分の脱力感と疲労感は相当なもので、とても息苦しくなっていました。思い出すとあの感覚は今も纏わりついてきそう…

凛と芳の距離感に乱される

凛編は文学が軸で地の文による描写が多彩なのですが、それに追随するのが凛の多彩な表情。印象の上では誰よりも表情の幅がありました。

距離感も印象的。ひとたび一線を超えると急に丁寧語がほぼ消滅する。行動でも、祥子に自分たちを見せつけるわ鯵のひらきの出来で勝手に争うわと、堰を切ったような距離の詰め方にたじろぎっぱなしでした。

はじめこそ神秘的で物静かだったのに、ひとたび親密になると挑発的だったりあどけなかったり、めまぐるしく表情を変える。
妖艶とはまさにこれ、というのを見せつけられました。

▲極めつけにこの鎖骨丸出しの私服よ。いかんでしょ。

先生と教え子~"おとな"と"こども"

そんな凛には終始、この命題が付きまとってきます。
凛は芳に対し様々な駆け引きを行う一方、その実自分本位なところが目立ちます。元妻(仮)・祥子の目の前で芳と腕を組む行為なんてその最たる例。芳の立場など抜け落ちていたでしょう。

▲初見でも「何しとんねん!」と内心思った

あそこで芳が自身の惨めさも合わさって凛の行いを怒るのは当然でしょう。
この場面はともかく、芳は凛を大人としてたしなめ、諭す場面が実は多い。
惰性的な生き方をしてもきっちり大人であり、教わる機会がなかっただろう凛に多くを伝えてました。

▲おそらく一番凛に効いたことば。大人としての経験が心に届く

そんな芳との交流の中で、凛はわずかな間に身体的に少女から女へ、さらに母になる過程を経る。
そして最後、凛は芳の居場所を守ろうと、自らの居場所を手放します。自分のためでなく相手のために、そして産まれてくる子のために。
ここにきて、凛は精神的に大人になれたのだと思います。

禁断要素てんこ盛りの物語

いい感じの受け取り方をしましたが、結局まとめると禁断、これに尽きてしまう。大人としても、子供としても現実でやってはならない行為が闊歩しています。もう全部挙げるのも野暮なほど。

▲ほんともうその通りでございます

一度繋がれた者たちに対する別れのきっかけとしてさらに禁忌を盛り付けられた点は口があんぐりと開きました。親の行いを繰り返させるとは。
そう考えると、秋房の行いを芳が繰り返す点が、遊馬の行いを海斗がなぞってしまうところと重ね合わせているようにも受け取れますね。

▲生きる意味を見つける。これは作品全体のテーマのひとつ
それにしてもキービジュアルの一つがラストカットとは思うまいて

それでも、芳は死の淵に触れることで生きている自らを受け入れ、凛は生を宿すことで自分の生きる目的を見つける。それぞれが芯を持ち、前向きな別れに終わったのはよかったのかな。この先も想像できる分、希望がちょっとでも残ったように思います。

CASE-3:すもも編 ~たった3週間の煌き物語~

すもも編は本当に、希望と夢が煌いている物語でした。
意図的に明るくしてるだろう、ということも伝わってくるんですが、どこか退廃的な世界観が逆に開放的な気持ちを与えてくれます。
世凪の幼少期にこの物語が生み出されたという背景も加味すると、ここまで希望を持てていたんだ、とも解釈出来てそれだけでちょっとウルっときてしまいそうです。

カメラをふんだんに使った演出

やはり、すもも編の特徴といえばこれ。
シャッターを切る操作をプレイヤーに委ねるというのはいいアイデアですよね。まるで自分がその風景を切り取った気分を得られて楽しくなりました。
スチルも、動きではなく一瞬を切り取った画のようなものが多く、目を奪われることが多かった。

▲この場面、何度見ても"すもも"が切り取られてる。私だってカメラ取り出すよ

また、写真絡みで一番印象に残ったのは以下のセリフ。

▲近所のキャンプ場、あの花畑をバックに

写真は思い出を切り取る、とはよく言われますがこの言葉を受けて改めてそう思いました。多くを思いながら撮られた写真って、どんな時でも目に映ると思い出に浸れちゃうんですよね。
大事にポラロイドカメラの使い時を見定めていた世凪も、きっとこう思いながらシャッターを切ったのでしょう。

人の温かさと大人たちの導き

他のシナリオと比べ、家族という存在も強い要素。
ずっとカンナの夢を応援する父と目標であり続けたアンナさん、すももと母親を苛んできた二人の父親。
それぞれがそれぞれの親に対する心境変化を辿るのもこの夢のポイント。

特に印象的なのはやはり次のシーン。

▲スケッチの真相が明らかになる場面。当初は笑顔で明かされると思ってなかった

カンナの父親については、すももとの対面時からその優しさを感じてはいましたが、上記のくだりでカンナの右往左往を笑い飛ばした父親を見た時、夫婦の確かな絆とカンナへの想いがどっと伝わってきた気がして、ホロホロと泣いてしまっていました。
そんな親子愛が行き届いているのか、特典CDのオマケドラマでさえあったかいのが印象的。

梓姫とすももの遠慮のない掛け合いもまた見どころの一つ。
低レベル?な貶し合いが印象にのこりますが、梓姫はすももやカンナよりも経験を重ねてるので、二人の人生の道案内役も担ってくれています。

▲梓姫のこのセリフ、好き。気ままな生活の先輩だからこそ響いてくる

他愛もない話でただ笑ったり、しんみりした雰囲気に釣られて語ってみて気づきを得たり、というところに日常も感じられるのがすもも編の好きなとこです。

心にスッと来る伏線回収

3つの夢はそもそも世凪と海斗の記憶が散りばめられ、それ自体が伏線みたいなもの。世凪の小説にはないだろう体験談が混じっていたり、現実での出来事を夢で見たり…という場面もちらほら見受けられます。
しかしそれらとは別に、すもも編は単体で伏線めいたものが用意されています。それがカンナの旅の目的である、「アンナさんのスケッチの場所」。
最後の夜、あのスケッチの場所の正体が明らかになる流れは素晴らしいカタルシスを得られました。

▲カンナの才覚を父も知っていたことにも繋がり、物語が一つの輪を描いた瞬間

また、梓姫が飴井邸に投じていたDMでの肩書「MeTuber」も、最終盤にカンナパピーが知っていたという奇縁に繋がります。
冒頭の場面も、実はすももとカンナではなく…という一種の叙述トリックも仕込まれていて唸らされました。

▲この切り株が原点だったとは…本当に驚きました

藤の木は飴井家3人の、次はカンナと冒険をした3人の、そしてカンナを見守った3人…ゆくゆくは、結ばれるだろう2人と父の3人へと思い出を紡ぎ続けているのです。素敵じゃないですか。

未来を見据えた別れもある

他の夢と異なる最後のポイントは、冒頭のモノローグによりすもも編全体が回想録として構成されていること。
これにより、全体のシナリオに希望を残すという役割が与えられています。
だって、別れの後の再会なしには絶対に描かれないのですから。
冒頭の場面がなくとも、いつか会う約束をしての別れなので希望に満ちており、必ず再会できるという確信すらできます。これがなければ3つの夢の先はもっと辛い気持ちで見てたことでしょう。
すべてが終わった後だと、子どもの頃の世凪が抱いていたものが見えるようでとても切なくなります。
きっと希望はある。そう思いながら、この物語は見届けられました。


ここまで3つの夢と、BGMとシステム面についてどっと語ってみました。
この時点でほぼ9000文字。な、ながい…
CASE-0についてはこれらと同等のボリュームと、衝撃と葛藤と感動が詰まっていますので、ここに付け足すと間違いなく大長編になっちゃいます。
ビジュアルとボイスについても全部を一度語り終えてから。ほぼシナリオの内容だけでぜーんぜん語れてません!
ただでさえ文章を長くしがちなので、今回はこの辺にいたしましょう。
ここまで長文をご覧いただき、ありがとうございました。
それではまた後編で。

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