真昼の蛾(小説)

 河川敷にて。純子と言う十六歳の少女は、スーパーの袋を片手に、空き缶や空き瓶などを拾い集めている。日曜日の午前十一時頃であった。河川敷には、資源ごみなどが沢山落ちている。新聞紙とかも落ちているので、それも拾って袋に入れている。本日は程良い天気であり、今は五月の中頃になるので、そこそこ暑いが、純子は長袖の白ブラウスを着ていた。それから、青いハーフパンツに、サポート用の黒いハイソックスにスニーカーだ。
 そして正午を少し過ぎた頃、純子は石の階段を上り、自宅へ戻る事にした。十時半から正午過ぎに掛けての、約一時間半余りの、ボランティア活動を終えた。
 純子は、生まれつき、足に障害があった。身体を揺らしつつのっしのっしとゆっくり歩き、漸く家に着く。自宅前のゴミ置き場に、一杯になったゴミ袋を置き、玄関から家に入る。
「あら、純子、お帰り。御飯、出来てるわよ。手を洗ってらっしゃい。」
と、台所にいた母が言った。
「うん。」
純子は、洗面所で手を洗い、うがいをする。そこへ、祖母がトイレから出て来る。
「純子や。今日も頑張ったねえ。私は感心するよ。」

食卓にて。
「純子、ゴミ集めも良いけど、足が悪いんだから、無理しないようにね。特に河川敷とかは、転ぶと危ないから。」
「うん。分かってる。いつも気を付けてるよ。」
 純子は、大人しく素直な少女であった。目が丸く、いつも銀縁の眼鏡を掛けており、顔立ちは老け顔で不美人ではあったが、ボランティア精神に溢れ、また読書好きでもあった。今朝は、八時に起きて着替え、朝食後はコーヒーを一杯飲んで頭をスッキリさせてから、十時頃まで読書をしていた。天気が良かったので、歩行運動も兼ねて河川敷へゴミ拾いに行ったのである。
 昼食後、純子は二階の自室へ行き、再び読書をする。純子は、国語の成績は良く、小学校から中学二年まで算盤を習っていた事があり、珠算も得意だった。そして純子は、私立の商業高校に通っており、今年は日商簿記三級を取る予定であった。

翌朝、純子は、近くのバス停からバスに乗り、高校へと向かう。
 やがて学校に着くと、純子に一番に挨拶して来たのは、親友の信子であった。
「純子、お早う。」
「うん、お早う。」
信子は、ローファーを履いているが、足の悪い純子は、いつもスニーカーだった。ローファーも履いて見たかったが、母からは、引っ掛かって転ぶと危ないからと買って貰えなかったのだ。
「純子、秋に受ける簿記検定、お互い頑張ろうね。」
「そうだね。」
 信子は、テニスラケットを抱えている。信子はソフトテニス部で、スポーツも得意だった。また、純子と同じく読書好きである。小説とか物語が好きな純子が得意な科目は、国語であったが、信子は、小説も理科系の本もよく読み、理数系も純子より強く、頭の回転が良くて、しっかり者の何でも出来る文武両道な優等生だった。純子と信子は中学時代からの親友であり、中学で純子が少し苛めにあった時は、いつも信子が庇ってくれた。亀とか河馬とかノロマとか言って純子を苛めていた、映子と言う女子生徒は、裕福な家庭に生まれた、美人だが性格は高飛車で、勉強は不得意な子だった。純子達とは別の高校に行っている。
 昼休み、純子は図書室で本を読んでいた。純子は村上春樹や江国香織、ゲーテなどが好きで、村上春樹の小説やエッセーは、ほぼ全部読んでいる。
 夕方、帰宅後、純子は私服に着替える。足が蒸れていると分かるので、紺のハイソックスを脱ぎ、別の靴下に履き替える。水色の長袖シャツに、膝丈スカートを履く。これからまた河川敷に向かうので、雑草などが足に当たるとチクチク痛いので、白のハイソックスを履く。
 純子は、天気さえ良ければ、学校から帰った後、近くの河川敷や児童公園まで、よくごみ拾いに出掛けていた。運動以外では、コーヒーが糖尿病や癌などの予防になると、雑学読本で読んだ事があり、純子はその事もよく知っていた。休日の朝は、純子はいつもコーヒーを飲む。そして出掛ける前には読書や勉強をする。時々、友達の信子と喫茶店に行った時も、純子はコーヒーを頼み、そして信子は紅茶をいつも頼む。純子はコーヒー好きだが、信子は紅茶好きであった。紅茶が虫歯予防に良い事は、ある日、信子が教えてくれた。

 純子は、冬塲も、道端や河川敷、公園などでゴミ拾いをしていた。初冬である。もう十二月に入っていた。
日曜日、純子は起きると、橙色のセーターを来て、厚手のグレーの膝丈スカートを履き、そして、サポート用の茶色いタイツを穿いた。足が思うように動かず、とても硬いタイツなので、穿くには一苦労だった。しかし少しでも運動になれば良いと、純子はプラスに取った。純子はいつでも前向きな性格である。流石に雪が降った日は、外には出ず、家で読書したりテレビを観たりして過ごした。
 秋の終わり頃に、簿記検定三級の合格通知が届いていた。次は、二級である。早速、純子は近くの書店へ行き、簿記検定二級の小冊子を購入し、少しずつ勉強を始めていた。

 高校二年の夏。もう七月の中頃だった。夏休みが近い嬉しさと言う祝いと言うのも何だが、久し振りに、純子と信子はカラオケボックスに来ていた。純子は身体や足腰の関係でアルバイトなどと言うものがなかなか出来ないが、ボランティア活動を独自でいつもしていて偉いと言う褒美として、今日は信子の奢りであった。信子は、金曜日や土曜日に、学校近くのスーパーマーケットで、夜にアルバイトをしていた。
「純子、見て。今日は短パンに、夏用のストッキングよ。ちょっと暑いけど、脚が綺麗に見えたり、アザを隠したり出来るの。」
「そう。でも、ストッキングって、脚が痒くなったりしない?私は苦手かな。信子はやっぱり、背が高くて脚が長くて綺麗で良いな。」
今日の信子は、グレーのTシャツに、紺の短パン、夏用のストッキングに、ヒールの付いた紐付きサンダルを穿いている。
「あら。純子は、服装のセンスがまた素敵よ。純子の着てるその青いワンピースと白の無頼スト、穿いている白い三つ折り靴下が素敵よ。今日の純子は、不思議の国のアリスみたいね。」
「有り難う。でも私、靴はスニーカーぐらいしか履けないし。信子は、そのTシャツとかサンダルとか似合ってるよ。」
「あら、ありがと。そうそう。このサブリナ・ノンランって言う種類のストッキングは、薄茶色にすれば素足とそっくりでストッキングだとあまり分からないし、アザや傷が隠れて便利よ。」
歌う前に、暫く二人はこうして会話で盛り上がっていたのだった。

 純子は、滅多に怒らない優しい子であった。父が残業続きでも、連日して飲んで帰っても、仕事だから仕方が無いと許した。父が母から叱咤されている時も、純子は父の事を庇ったりもした。両親と祖父母と、家族みんながリビングでテレビを観ていたなら、純子はその間だけでも、大好きな読書を控えて、家族に合わせるように一緒にテレビを観たり、世間話をして楽しんだ。

 八月と夏真っ盛りのある日の夜九時頃だった。御風呂に御湯が入って、純子がそろそろ入ろうかと思い、湯加減を確認しに、浴室の戸を開け、湯気を逃がす為に窓を開けた時だった。
「あっ。」
 何と、大きな蛾が入って来たのだ。

「純子!どうしたの?」
母が翌日へ行くと、虫取り網を片手に、浴室で転んで膝を打った純子がいた。
「蛾を逃がす為に、これで……。」
「純子。そんな時は、母さんや父さんを呼びなさい。あなたは足が悪いんだから気を付けないと。蛾なんて、蠅叩きで殺してあげるから。」
「えっ?殺す?駄目。それは可哀想だわ。」
「えっ?蚊とかムカデは殺してるのに、どうして?」
「だって、普通の蛾は、害虫じゃないよ。」
「そうだけど。」
「蝶は、いつも甘い蜜ばかり吸うけど、蛾って、埃とか、汚ない物を食べてくれるじゃない。だから益虫だと思う。」
「そ。純子がそう言うなら、分かったわ。じゃあ、私がやるから、その虫取り網を貸して。純子は、膝を打って痛いでしょ。薬箱の中に湿布があるから、それを貼って置きなさい。」
「うん。有り難う。」

 純子は、高校を卒業後、とある病院へ、一般事務職員として就職した。
 ある日の午後、職場の事務所ににて。換気をしようと窓を少し開けると、小さな蛾が入って来た。部屋に殺虫剤はあったが、純子は、蛾が外に出るまで、暫く窓を開けたままにしておく事にしたのだった。そしてゆっくりとした足取りで、純子は自分のデスクに戻った。

                                       了

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